4話 円城寺家の童女
◇◇◇
(兄の方はまともそうだが、妹の方は……、変な子だったな)
柳葉兄妹と別れ、食堂を出た伊織は、巫堂の近くにきていた。
沙奈との待ち合わせのためだ。
「お待たせ、伊織くん。遅くなったわね」
間もなくして、沙奈が慌ただしく姿を見せる。
「俺も今きたところ……、まるで逢い引きの会話だな」
「…………」
「軽い冗句だ。顔をしかめるなよ」
伊織の軽口に、沙奈が「はぁー」と溜め息をつく。
「……それじゃ、學園を案内するわね。常世姫の命令だから」
朝食を挟んだ待ち合わせの理由は、天道學園の案内にあった。
入學の経緯が経緯なので、常世姫は沙奈に命じたのだろう。
「いっそ、手でも繋ぐか?」
「縄で良ければ繋ぎましょうか?」
「……縄はもう
先導する沙奈に続き、伊織は天道學園の案内を受け始めた。
天道學園の歴史は、領地の支配を巡った、かつての諸外国との大戦争まで
そこで大倭国を統べていた
戦争に投入された術者や異能者は、多大なる戦果を上げた。
中でも
同時に世間は戦後、術者や異能者を恐れた。
とはいえ戦果や諸外国からの評価もあり、以前のような迫害はできない。
徳川公が選んだのは、自治という名目の隔離だった。
久遠家の当主、初代常世姫は
腹心の
ちなみに人は誰しも氣を持つが、その氣の操作に長けた者が、術を編み出したとされている。
異能者は自然的に発生したとされ、どちらも古来より存在する、
術者や異能者は海外にもおり、島国の大倭国に限った話ではない。
「入學希望者は試験に受かる腕前……、十五歳くらいで門戸を叩く者が多いわ。ここでどう生活するかは自由よ」
沙奈が天道學園について説明している途中、歩く足を止めずに言う。
「自由? 鍛錬や交流が理念じゃないのか?」
「そうね。ほかには怪異退治の依頼とか、簡単な仕事も受けられるけれど……。どれも強制はされないわ」
「何かわけが?」
「余計な揉めごとを
「ははっ、自虐か?」
「貴方のことよ! そういうところが……、まぁいいわ」
沙奈が目頭を押さえ、首を左右に振る。
「話を戻すわね。大抵の生徒は五年くらい、成人する頃に卒業試験があって、試験に受かると
「そこに関しては、俺にも知識があるよ」
御許し状とは、常世姫から発行される、天道學園を卒業した証だ。
大倭国において、出雲の外での術の使用は、基本的に禁じられている。
また非公認の占い師や霊媒師など、術を使う職の開業も違法だ。
術は危険な代物ゆえに、秩序を保つためである。
しかし御許し状があれば、どこでも術の使用が認められ、開業の許可も下りる。
つまり大倭国政府、公認の術者になれる。
五年という期間は、術の腕前よりも、人間性を見極める側面が強いのだろう。
常世姫が、天道學園に住んでいる理由だ。
「伊織くんは就きたい職とかあるの? 御許し状が目的なのよね?」
「……そう、だな。希望の職はないが、御許し状は持っておいて損はないからな」
「……歯切れが悪いわね?」
「気にするな、多感な年頃なんだ。ところで、きみたち五大武家はどうなんだよ? 一般の術者とは違うんだろ?」
話を変えると、沙奈が懐疑的な眼差しながらも頷く。
「扱いは違うわね。常世姫の部下の私みたいに、在學中は、特別な役割を
「今朝の裁判か」
「えぇ。ただ、御許し状を貰うまでの過程は一緒よ。五大武家に連なる者にとっての御許し状は、通過儀礼のようなものだから」
「たしかに、御許し状がなければ、周りに示しがつかないか」
「ま、体裁のためよね」
会話を重ねつつ、天道學園を見て回る。
高い塀に囲われた敷地は、とにもかくにも広い。
三十万坪にも及ぶ敷地の中、巨大な武家屋敷のような建物は、大まかに七つに分かれていた。
常世姫や一部の者が住まう
それらを纏めて
屋外には走り場や、芝生の広場があり、結構な面積を占めていた。
生徒数は現在、千名ほどらしい。
今朝の裁判ではそこそこの人数が集まっていたが、あれでもごく一部なのだろう。
「講堂と鍛堂には、五大武家それぞれの専用の場所があるから、注意してね」
「おう」
「巫堂と客堂も、一般の生徒は立ち入り禁止よ。いいわね? よーーーく憶えておきなさい?」
「ははっ、常識だろ? ……すまない、頭に刻み込むよ」
ぎろりと睨まれた伊織は、ふざけるのをやめ、素直に謝る。
射殺すような眼光だった。洒落になっていなかったようだ。
「しかし俺が言うのも何だが……、姫さんが住んでいるにしては、随分と警備が手薄だな。勘違いするなよ、他意はないぞ?」
「……そうね、ここは言葉通りに受け取っておきましょうか。正直、私も最初は同じことを思ったわ」
元号が変わり、
むしろ現在の政府は、常世姫の天眼による占いを頼り、
天眼は血統異能ゆえに代替が効かず、何なら重要性は増しているはずだ。
にしては、學園の警備は手薄すぎる。
「そもそも
「……なるほどな」
代々の常世姫が人間ではないのは、周知の事実だ。
外見は人間と同じでも、沙奈の言葉通り、現人神という疑似的な神である。
「戦いにもならないわね。現人神は、
「高天原に移動すれば、誰も手出しはできない、か」
「そういうことね。今も一日の大半は、高天原ですごしていらっしゃるわ。目の前で御姿が消えたときには、私も目を疑ったものよ」
「それは……、驚くだろうな」
「だから伊織くんは、家柄も含めて例外中の例外で……。あ、思い出したわ」
立ち止まった沙奈が、眉間に
「貴方、結局どうやって結界に侵入したのよ? 誰も信じてくれないけれど、本当に異常はなかったのに……」
伊織はどう話したものかと悩む。
今朝の「なぜか入れた」とは無論、嘘だ。隆源たちの中では沙奈の
「……俺はできれば、きみと仲良くなりたいと思っている」
「……何の話よ?」
「死合ったのも、こうして案内して貰っているのも、何かの
伊織は沙奈の目を見つめる。
発言に嘘偽りはなく、出会いこそ悪い形だったが、仲良くはしたい。
沙奈は明るく真面目そうで、接しやすい子だ。
結界についても、伊織は一切の関与をしていなかった。
「信じてくれないだろうか?」
「…………」
硬い面持ちの沙奈が、長めの沈黙を経て。
「……天に誓える?」
術者が歩む様々な道を、総じて天道と言い、全ての道は天道に通じる。
外道に堕ちてはならず、天を目指すべし。天道學園の名の由来だ。
天に誓うとは、己が歩む道に、魂に誓うに等しい。
「天に、俺の道に、俺の魂に誓おう」
「だったら信じるわ。常世姫が寝室に入れるくらいだもの、こうして話してみても、悪い人ではなさそうだし」
「ありがとう」
伊織は信じて貰えた嬉しさから、目じりを下げ、沙奈に一歩詰め寄る。
「では今このときから、きみと俺は親友ということでいいか?」
「いいわけないでしょ! 距離の詰めかた、おかしくない!?」
「……そうか。今まで友と呼べる相手が居なくてな。難しいものだ……」
「……え? 本気で?」
「俺の生家……、御庭番の隠れ里には、同年代の他人が居なかったんだ。何度か町に下りて遊んだことはあるが、どうにも人付き合いは不慣れでな」
「隠れ里……、そういう事情ね」
納得したのか、沙奈が表情を和らげる。
「……急に親友って言われても困るけれど、私も人の縁は大事にしたいし、伊織くんのおかげで命拾いした立場だからね。分かったわ、お友達になりましょ」
「おぉ……! 末永くよろしく頼みたい!」
生まれて初めて友と呼べる相手ができ、胸が温かくなる。
感激のあまり、泣きそうなほどだ。
「す、すごく嬉しそうね。喜んで貰えて、何よりだけれど……」
「それにしても、こうも簡単に友ができるとはな。もしやきみ、実は俺のことが好きで堪らないのか……?」
「自惚れも
「さて、案内はここまでね」
學園内を一周し、伊織は沙奈に連れられ、巫堂の近くまで戻ってくる。
ただ一周するだけでも、広さが広さなので、それなりの時間を要していた。
その割には退屈せず、案内人が沙奈だったおかげに違いない。
「まだ分からないことがあれば、職員に聞くのが確実よ。學園には職員として、五大武家に連なる大人が規定の人数、駐在しているわ」
「おう、助かったよ。この恩は明日まで忘れない」
「……私はいくところがあるから。またね」
呆れぎみの沙奈が、一人で廊下を歩き出す。
「忙しそうだな。どこにいくんだ?」
叶うならこのあと、一緒に昼食でもとりたかったが。
尋ねれば振り返った沙奈が、曖昧に微笑む。
「ちょっとね、鍛堂まで」
去りぎわの沙奈は一瞬だけ、暗い顔をしていた。
(少し気にはなるが……)
ほかにも気がかりなことがあった。そちらを優先するべきだろう。
沙奈の背中が視界から消え、伊織はひと息つく。
巫堂の近くは人通りがなく、廊下は一見すると、伊織を除いて無人だ。
「で、誰だよ? 途中から俺と沙奈を
呼びかけると伊織の前方、廊下の天井から、小柄な影が下り立った。
「気づかれてた……」
舌足らずな声。制服姿の童女だ。年齢は十といくつか。
顎辺りまでの髪は深い紺色で、陽が沈んだ直後の晴空を思わせる。
顔立ちは幼いながらも整っており、吹けば倒れそうな細身は、だが重心がしっかりしている。そこいらの武人よりも、よほど。
今朝の裁判で常世姫、修一郎と共に、幻傷にかからなかった子だ。
食堂での修一郎の話では、たしか。
「五大武家の一つ、
「ん、ぼくは円城寺
童女――葵が丸く大きい瞳で、伊織を見上げる。
表情の変化は乏しく、淡々とした口調だ。
「ぼくの尾行に気づいてたなら、何でもっと早く言わなかったの?」
「敵意を感じなかったからな。それに俺と沙奈、どちらを尾けているのか、たしかめたかった。沙奈が去っても居るのなら、目的は俺なんだろう」
「……よく考えてるんだね。今朝は滅茶苦茶やってたから、意外かも」
「それで、何の用だ?
「子供扱いは嫌い。殺すぞ」
「…………」
口の悪い童女だ。保護者は誰だろうか。
「
「なに……?」
元老院とは、常世姫の相談役として置かれている、大倭国政府の組織だ。
天道學園の近辺にある
いわば出雲の独裁や大倭国政府への反旗を防ぐための、監視人だ。
「元老院は今朝の出来事で、お前を危険視してるっぽい」
「……無理もないな」
「ぼく個人としても、お前に興味がある」
「一目惚れだろうか? 参ったな……」
「そ、そういう意味じゃない! 勘違いするな!」
葵が微かに頬を赤らめ、語気を荒げる。
思いのほか、可愛らしい反応だ。
「御庭番の末裔で、天下三刀の一人……。いったい何が目的で、表に出てきたの?」
「御許し状を貰いたくて」
「……蓮水家の人間ならわざわざ天道學園に入學しなくても、御許し状を貰う手段はあるはず。五大武家と違って、体裁を気にする必要もない」
鋭い。元老院の入れ知恵か。実際、貰おうと思えば貰える。
「手段はあっても、用いるかどうかは別だ。好みの問題だな」
「……怪しい」
「そう疑わないでくれよ。悪いことは企んじゃいないさ」
「それは今後の言動で判断する」
できれば勘弁して欲しいが、まぁそうもいくまい。
葵にも葵の、立場があるのだろう。
「……仕方がないな。けど尾行はやめてくれ、気を張るのは疲れる」
「気づかれるなら無意味だし、そうだね」
折り合いがつき、伊織は胸を撫で下ろす。
「あ、それと一つ」
葵が大して興味なさそうに。
「さっき沙奈と友人になってたみたいだけど。あの子、死んじゃうかもしれないね」
「……は?」
突拍子もない発言に、伊織は目を
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