4話 円城寺家の童女

   ◇◇◇



(兄の方はまともそうだが、妹の方は……、変な子だったな)

 

 柳葉兄妹と別れ、食堂を出た伊織は、巫堂の近くにきていた。

 沙奈との待ち合わせのためだ。


「お待たせ、伊織くん。遅くなったわね」


 間もなくして、沙奈が慌ただしく姿を見せる。


「俺も今きたところ……、まるで逢い引きの会話だな」

「…………」

「軽い冗句だ。顔をしかめるなよ」


 伊織の軽口に、沙奈が「はぁー」と溜め息をつく。


「……それじゃ、學園を案内するわね。常世姫の命令だから」


 朝食を挟んだ待ち合わせの理由は、天道學園の案内にあった。

 入學の経緯が経緯なので、常世姫は沙奈に命じたのだろう。


「いっそ、手でも繋ぐか?」

「縄で良ければ繋ぎましょうか?」

「……縄はもう御免ごめんだ」


 先導する沙奈に続き、伊織は天道學園の案内を受け始めた。



 天道學園の歴史は、領地の支配を巡った、かつての諸外国との大戦争までさかのぼる。

 亜米利加アメリカ英吉利イギリスを中心とした同盟国と、独逸ドイツ仏蘭西フランスを中心とした連合軍の戦いだ。大倭国は連合軍に属していたが、戦況は劣勢が続いた。

 そこで大倭国を統べていた徳川公とくがわこうは、当時は気味悪がられ、迫害の対象となっていた、術者や異能者に目をつけた。


 戦争に投入された術者や異能者は、多大なる戦果を上げた。

 中でも天眼てんがん――久遠家の長女、代々の常世姫に継がれる血統異能を用いた占いは、戦争を勝利に導く大きな要因となった。

 同時に世間は戦後、術者や異能者を恐れた。

 とはいえ戦果や諸外国からの評価もあり、以前のような迫害はできない。

 徳川公が選んだのは、自治という名目の隔離だった。

 久遠家の当主、初代常世姫は出雲いずもの一帯を貰って自治し、そこに集められた術者や異能者の統治を任された。

 腹心の御庭番おにわばんを裏で、先の戦争で特に戦果を上げた五つの家、五大武家を表で動かし、初代常世姫は、術者や異能者のための地を作り上げたのだ。


 くして出雲に建てられたのが、天道學園――術者や異能者の鍛錬や交流を理念とした、公的な施設である。


 ちなみに人は誰しも氣を持つが、その氣の操作に長けた者が、術を編み出したとされている。

 異能者は自然的に発生したとされ、どちらも古来より存在する、稀有けうな血筋だ。

 術者や異能者は海外にもおり、島国の大倭国に限った話ではない。



「入學希望者は試験に受かる腕前……、十五歳くらいで門戸を叩く者が多いわ。ここでどう生活するかは自由よ」


 沙奈が天道學園について説明している途中、歩く足を止めずに言う。


「自由? 鍛錬や交流が理念じゃないのか?」

「そうね。ほかには怪異退治の依頼とか、簡単な仕事も受けられるけれど……。どれも強制はされないわ」

「何かわけが?」

「余計な揉めごとをけるためよ。術者や異能者には、変わり者が多いから。誰かさんみたいにね」

「ははっ、自虐か?」

「貴方のことよ! そういうところが……、まぁいいわ」


 沙奈が目頭を押さえ、首を左右に振る。


「話を戻すわね。大抵の生徒は五年くらい、成人する頃に卒業試験があって、試験に受かるとゆるし状が貰えるの」

「そこに関しては、俺にも知識があるよ」


 御許し状とは、常世姫から発行される、天道學園を卒業した証だ。

 大倭国において、出雲の外での術の使用は、基本的に禁じられている。

 また非公認の占い師や霊媒師など、術を使う職の開業も違法だ。

 術は危険な代物ゆえに、秩序を保つためである。


 しかし御許し状があれば、どこでも術の使用が認められ、開業の許可も下りる。

 つまり大倭国政府、公認の術者になれる。

 五年という期間は、術の腕前よりも、人間性を見極める側面が強いのだろう。

 常世姫が、天道學園に住んでいる理由だ。


「伊織くんは就きたい職とかあるの? 御許し状が目的なのよね?」

「……そう、だな。希望の職はないが、御許し状は持っておいて損はないからな」

「……歯切れが悪いわね?」

「気にするな、多感な年頃なんだ。ところで、きみたち五大武家はどうなんだよ? 一般の術者とは違うんだろ?」


 話を変えると、沙奈が懐疑的な眼差しながらも頷く。


「扱いは違うわね。常世姫の部下の私みたいに、在學中は、特別な役割をたまわったりするわ。風紀を取り締まったり、物事を決めるとき、話し合いに参加したり……」

「今朝の裁判か」

「えぇ。ただ、御許し状を貰うまでの過程は一緒よ。五大武家に連なる者にとっての御許し状は、通過儀礼のようなものだから」

「たしかに、御許し状がなければ、周りに示しがつかないか」

「ま、体裁のためよね」


 会話を重ねつつ、天道學園を見て回る。

 高い塀に囲われた敷地は、とにもかくにも広い。

 三十万坪にも及ぶ敷地の中、巨大な武家屋敷のような建物は、大まかに七つに分かれていた。

 常世姫や一部の者が住まう巫堂ふどう、客を迎える客堂、集会場などがある講堂、道場があるたん堂、生徒たちが住まう宿しゅく堂、食事をとる食堂、医務室や風呂があるよく堂だ。

 それらを纏めて七堂伽藍しちどうがらんと呼び、全ての堂は、回廊や庭の道で繋がっている。

 屋外には走り場や、芝生の広場があり、結構な面積を占めていた。

 生徒数は現在、千名ほどらしい。

 今朝の裁判ではそこそこの人数が集まっていたが、あれでもごく一部なのだろう。


「講堂と鍛堂には、五大武家それぞれの専用の場所があるから、注意してね」

「おう」

「巫堂と客堂も、一般の生徒は立ち入り禁止よ。いいわね? よーーーく憶えておきなさい?」

「ははっ、常識だろ? ……すまない、頭に刻み込むよ」


 ぎろりと睨まれた伊織は、ふざけるのをやめ、素直に謝る。

 射殺すような眼光だった。洒落になっていなかったようだ。


「しかし俺が言うのも何だが……、姫さんが住んでいるにしては、随分と警備が手薄だな。勘違いするなよ、他意はないぞ?」

「……そうね、ここは言葉通りに受け取っておきましょうか。正直、私も最初は同じことを思ったわ」


 元号が変わり、御上おかみが江戸の幕府から明治の政府に移ろおうと、常世姫の重要性は変わらない。

 むしろ現在の政府は、常世姫の天眼による占いを頼り、まつりごとの指標の一つにしていると聞く。

 天眼は血統異能ゆえに代替が効かず、何なら重要性は増しているはずだ。

 にしては、學園の警備は手薄すぎる。


「そもそも現人神あらひとがみであらせられる常世姫には、部下は必要だとしても、護衛は要らないのよ。どんな術者よりも強いから」

「……なるほどな」


 代々の常世姫が人間ではないのは、周知の事実だ。

 外見は人間と同じでも、沙奈の言葉通り、現人神という疑似的な神である。


「戦いにもならないわね。現人神は、現世げんせではない極楽浄土、創造神・天照あまてらすが住んでいる、高天原たかあまはらに出入りできるわけだし」

「高天原に移動すれば、誰も手出しはできない、か」

「そういうことね。今も一日の大半は、高天原ですごしていらっしゃるわ。目の前で御姿が消えたときには、私も目を疑ったものよ」

「それは……、驚くだろうな」

「だから伊織くんは、家柄も含めて例外中の例外で……。あ、思い出したわ」


 立ち止まった沙奈が、眉間にしわを寄せる。


「貴方、結局どうやって結界に侵入したのよ? 誰も信じてくれないけれど、本当に異常はなかったのに……」


 伊織はどう話したものかと悩む。

 今朝の「なぜか入れた」とは無論、嘘だ。隆源たちの中では沙奈の怠慢たいまんと認識されたようだが、本人からすれば堪らなかろう。


「……俺はできれば、きみと仲良くなりたいと思っている」

「……何の話よ?」

「死合ったのも、こうして案内して貰っているのも、何かのえんだ。そのうえで正直に伝えるが、俺は何もしていない」


 伊織は沙奈の目を見つめる。

 発言に嘘偽りはなく、出会いこそ悪い形だったが、仲良くはしたい。

 沙奈は明るく真面目そうで、接しやすい子だ。

 結界についても、伊織は一切の関与をしていなかった。


「信じてくれないだろうか?」

「…………」


 硬い面持ちの沙奈が、長めの沈黙を経て。


「……天に誓える?」


 術者が歩む様々な道を、総じて天道と言い、全ての道は天道に通じる。

 外道に堕ちてはならず、天を目指すべし。天道學園の名の由来だ。

 天に誓うとは、己が歩む道に、魂に誓うに等しい。


「天に、俺の道に、俺の魂に誓おう」

「だったら信じるわ。常世姫が寝室に入れるくらいだもの、こうして話してみても、悪い人ではなさそうだし」

「ありがとう」


 伊織は信じて貰えた嬉しさから、目じりを下げ、沙奈に一歩詰め寄る。


「では今このときから、きみと俺は親友ということでいいか?」

「いいわけないでしょ! 距離の詰めかた、おかしくない!?」

「……そうか。今まで友と呼べる相手が居なくてな。難しいものだ……」

「……え? 本気で?」


 毅然きぜんとした態度で、「あぁ」と首を縦に振る。


「俺の生家……、御庭番の隠れ里には、同年代の他人が居なかったんだ。何度か町に下りて遊んだことはあるが、どうにも人付き合いは不慣れでな」

「隠れ里……、そういう事情ね」


 納得したのか、沙奈が表情を和らげる。


「……急に親友って言われても困るけれど、私も人の縁は大事にしたいし、伊織くんのおかげで命拾いした立場だからね。分かったわ、お友達になりましょ」

「おぉ……! 末永くよろしく頼みたい!」


 生まれて初めて友と呼べる相手ができ、胸が温かくなる。

 感激のあまり、泣きそうなほどだ。


「す、すごく嬉しそうね。喜んで貰えて、何よりだけれど……」

「それにしても、こうも簡単に友ができるとはな。もしやきみ、実は俺のことが好きで堪らないのか……?」

「自惚れもはなはだしいわね!? どういう思考回路をしているのよ!?」






「さて、案内はここまでね」


 學園内を一周し、伊織は沙奈に連れられ、巫堂の近くまで戻ってくる。

 ただ一周するだけでも、広さが広さなので、それなりの時間を要していた。

 その割には退屈せず、案内人が沙奈だったおかげに違いない。


「まだ分からないことがあれば、職員に聞くのが確実よ。學園には職員として、五大武家に連なる大人が規定の人数、駐在しているわ」

「おう、助かったよ。この恩は明日まで忘れない」

「……私はいくところがあるから。またね」


 呆れぎみの沙奈が、一人で廊下を歩き出す。


「忙しそうだな。どこにいくんだ?」


 叶うならこのあと、一緒に昼食でもとりたかったが。

 尋ねれば振り返った沙奈が、曖昧に微笑む。


「ちょっとね、鍛堂まで」


 去りぎわの沙奈は一瞬だけ、暗い顔をしていた。


(少し気にはなるが……)


 ほかにも気がかりなことがあった。そちらを優先するべきだろう。

 沙奈の背中が視界から消え、伊織はひと息つく。

 巫堂の近くは人通りがなく、廊下は一見すると、伊織を除いて無人だ。


「で、誰だよ? 途中から俺と沙奈をけていた、きみだ」


 呼びかけると伊織の前方、廊下の天井から、小柄な影が下り立った。


「気づかれてた……」


 舌足らずな声。制服姿の童女だ。年齢は十といくつか。

 顎辺りまでの髪は深い紺色で、陽が沈んだ直後の晴空を思わせる。

 顔立ちは幼いながらも整っており、吹けば倒れそうな細身は、だが重心がしっかりしている。そこいらの武人よりも、よほど。

 今朝の裁判で常世姫、修一郎と共に、幻傷にかからなかった子だ。

 食堂での修一郎の話では、たしか。


「五大武家の一つ、円城寺えんじょうじ家の……」

「ん、ぼくは円城寺あおいだよ。養子だけどね」


 童女――葵が丸く大きい瞳で、伊織を見上げる。

 表情の変化は乏しく、淡々とした口調だ。


「ぼくの尾行に気づいてたなら、何でもっと早く言わなかったの?」

「敵意を感じなかったからな。それに俺と沙奈、どちらを尾けているのか、たしかめたかった。沙奈が去っても居るのなら、目的は俺なんだろう」

「……よく考えてるんだね。今朝は滅茶苦茶やってたから、意外かも」

「それで、何の用だ? あめならないぞ」

「子供扱いは嫌い。殺すぞ」

「…………」


 口の悪い童女だ。保護者は誰だろうか。


元老院げんろういんじじいから、お前の人間性を見るように命じられて」

「なに……?」


 元老院とは、常世姫の相談役として置かれている、大倭国政府の組織だ。

 天道學園の近辺にある松江城まつえじょうを拠点とし、非術者で構成される元老院は、常世姫とはまた別の権力を持つ。

 いわば出雲の独裁や大倭国政府への反旗を防ぐための、監視人だ。


「元老院は今朝の出来事で、お前を危険視してるっぽい」

「……無理もないな」

「ぼく個人としても、お前に興味がある」

「一目惚れだろうか? 参ったな……」

「そ、そういう意味じゃない! 勘違いするな!」


 葵が微かに頬を赤らめ、語気を荒げる。

 思いのほか、可愛らしい反応だ。


「御庭番の末裔で、天下三刀の一人……。いったい何が目的で、表に出てきたの?」

「御許し状を貰いたくて」

「……蓮水家の人間ならわざわざ天道學園に入學しなくても、御許し状を貰う手段はあるはず。五大武家と違って、体裁を気にする必要もない」


 鋭い。元老院の入れ知恵か。実際、貰おうと思えば貰える。


「手段はあっても、用いるかどうかは別だ。好みの問題だな」

「……怪しい」

「そう疑わないでくれよ。悪いことは企んじゃいないさ」

「それは今後の言動で判断する」


 できれば勘弁して欲しいが、まぁそうもいくまい。

 葵にも葵の、立場があるのだろう。


「……仕方がないな。けど尾行はやめてくれ、気を張るのは疲れる」

「気づかれるなら無意味だし、そうだね」


 折り合いがつき、伊織は胸を撫で下ろす。


「あ、それと一つ」


 葵が大して興味なさそうに。


「さっき沙奈と友人になってたみたいだけど。あの子、死んじゃうかもしれないね」

「……は?」


 突拍子もない発言に、伊織は目をしばたかせた。

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