3話 柳葉家の兄妹

   ◇◇◇



「ふーんふーん、ふふーん♪」


 十六歳の少女――柳葉やなぎば恋華れんかは、天道學園の広い廊下を歩いていた。

 後ろには数人の男子生徒が付き従い、彼らは一名を除き、恋華の下僕げぼくだ。


「……窓が雲っておるな。拭けーい」


 立ち止まった恋華の何気ない命令に、


「はい、恋華さん!」「お任せを!」「今すぐに!」


 下僕たちが布巾ふきんを用いて、光栄だと言わんばかりに、廊下の硝子ガラス窓を拭く。


「よーしよし、綺麗になったな。うーむ……」


 恋華は満足し、ぴかぴかの硝子窓に映る、制服姿の自身を眺めた。

 二房に分けて結っている、赤みがかかった髪の毛。

 顔立ちは人形のごとく整っており、唇は桜色で瑞々みずみずしい。

 身体の線は細く、胸は年齢の割に大きい方だ。


「今日もは、かわゆいなぁー」


 うっとりして自賛じさんし、にこりと笑顔を作る。


「これほどかわゆくては、目が離せぬぞ。しばし余は余を眺める!」


 宣言すると、下僕の一人が椅子を持ってきて、別の一人が飲みものを用意し、また別の一人が扇子せんすで恋華をあおぎ始めた。

 恋華は椅子に腰かけ、飲みものを口にし、鼻歌交じりで前髪をいじる。

 いくら広いとはいえ、ここは食堂の近くの廊下だ。

 それなりに生徒の人通りはあり、本来ならば、迷惑きわまりない行動なのだが。


「おや、恋華さん、こんにちは」

「恋華ちゃん、やほー!」

「恋華殿は相変わらず、お綺麗ですな」


 行き交う生徒たちは、まるで気を悪くする様子もない。

 それどころか、ほとんどの人間が恋華に好意的だ。

 態度のわけは、恋華の力にあった。


 血統異能・愛好恋慕あいこうれんぼ――他者は恋華に好意を抱く。

 五大武家の一つ、柳葉家の長女にのみ発現する異能だ。

 個々によって効き目の差はあるが、とりわけ年齢の近い男性には効果てきめんで、下僕たちは自ら恋華に付き従っていた。


 血統異能は術と根本から違い、氣は消耗せず、持って生まれたものゆえに、使う、使わないの制御ができない。

 常に発動している状態なので、不便も多いが。


(あぁ~、気分が良いのぅ)


 恋華は存分にその恩恵を受け、自由気ままに生活していた。

 誰が呼んだか「天下のわがまま娘」という揶揄やゆは、だが恋華にとっては誇らしく、自慢だ。

 わがままが許される余、すごいと。


「恋華よ。自賛にふけるのも良いが、やつに会いにいかぬのか?」


 恋華に付き従う者たちの中、唯一、下僕ではない男が呆れぎみに問う。

 逆立った短髪は、恋華の髪と同じ色。

 顔つきは雄々おおしく、筋骨隆々とした体躯の彼は、柳葉修一郎しゅういちろう

 恋華の一つ年上の実兄にして、柳葉の若獅子わかじしと名高い、次期当主だ。

 愛好恋慕は近しい血縁者には効果がなく、修一郎とは単純に、仲のいい兄妹だから一緒に行動していた。


「む、そうじゃったな兄上。ゆくぞ、下僕どもぉー」


 用事を思い出した恋華は、下僕に椅子を片づけさせ、再び歩き出す。

 食堂に到着し、並ぶ何列もの卓子テーブルを見れば、奥の席に目的の相手が居た。

 學園の真新しい制服を着ている彼は、蓮水伊織はすみいおり

 今朝がた騒動を巻き起こした、張本人だ。

 あのとき恋華は観衆に交ざり、修一郎は柳葉家の代表として広間に座っていたが、伊織の立ち回りは見事だった。


(沙奈ちゃんが死なずに済んで、何よりじゃった……)


 沙奈は恋華の友人であり、一連の流れには肝が冷えたが。


(堅物の隆源りゅうげんめ。ぷぷぷ、ざまぁーないのぅ)


 隆源が出し抜かれたさまは、実に滑稽こっけいだった。


(蓮水伊織……。あの強さ、あの胆力! 余の下僕に欲しい!)


 欲しいものは、どうあっても手に入れる。

 それが柳葉恋華の主義で、生きかただ。


「下僕どもは待っておれ。兄上、ゆこうぞ」

「うむ」


 下僕たちを待機させ、修一郎だけを連れて、恋華は伊織のもとにいく。


「おい、蓮水伊織よ」


 恋華が声をかけると、うどんを啜っていた伊織が、「ん?」と顔を上げる。

 相手が年の近い男なら、一声で十分だ。

 異能が効き、相手の方から擦り寄ってくるだろう。

 ――擦り寄ってくる、はずだった。


「誰だ? 悪いが朝飯を食ってるんだ。用事があるなら、少し待ってくれ」

(……あれぇ?)


 思いのほか冷たい、予想外の反応に、恋華は面食らう。


「ふははっ! これはまた、面白い反応ではないか!」


 固まっている恋華のそば、修一郎は興味深げだ。


「きみは……。常世姫の近くに座っていた、五大武家の……」


 修一郎を見た伊織が、箸を止める。


「うむ、吾輩は柳葉修一郎と申す。隣の娘は、妹の恋華だ」

「柳葉家の人らか。俺は蓮水伊織だ。きみのことは、印象に残っているよ」

「ほう、何ゆえ?」

「今朝の一件……。広間に座っていた人らの中で、きみだけは沙奈との死合いに反対していたからな」

「沙奈殿は、妹の友人であるしな。それに他所の家だろうと、身内を死合いに投じる提案など、賛成はできぬ」

「ははっ、きみ、いいやつそうだな。もう一つ、印象に残っていた理由がある」


 伊織が柔らかく微笑み、卓子に頬杖を突く。


「あの場で姫さんときみと、あとは小さな女の子の生徒が一人か。三人だけが、俺の幻傷にかからなかった」

「ふははっ、気づいていたか。童女の生徒は、円城寺えんじょうじのだな」

(はぇ~、そうじゃったのかぁー……)


 恋華は感心し、ぼんやりと二人の会話に聞き入る。


「だがあの術、おそらく本来は、対峙している相手のみを惑わすものであろう。周りまで惑わし、沙奈殿を救った手腕、まことに天晴あっぱれよ」

「博打だったけどな。上手くいって良かった」

飄々ひょうひょうと……、底が見えぬ男よ」


 修一郎が喜色を浮かべ、伊織に片手を差し出す。


「吾輩は貴殿きでんを気に入ったぞ。これからよろしくな、蓮水殿」

「こっちこそよろしく。俺のことは名前で構わない。俺も修一郎と呼ばせて貰うよ」


 がしりと握手を交わす男二人は、どこか楽しそうだ。


「……って、ちょっと待たんかぁーーーーー!!」


 はっとした恋華は、卓子を叩いて叫ぶ。


「何で兄上が仲良くなっておるんじゃ! この男は! 余が下僕にするのぉ!」

「む、そうであったな」


 修一郎が「やれやれ」と下がり、恋華は伊織を睨みつける。


「卓子を叩くなよ、うどんの汁が零れたじゃないか。というか、下僕って何だ……」

「うどんはどうでも良い! おぬし、余を見て何とも思わんのか?」

「何がだよ?」

「かわゆいじゃろ? 下僕になりたいじゃろ?」

「……頭がおかしいのか?」

「何でじゃーーーーー!?」


 眉根を寄せる伊織には、まるで異能の効果が見られなかった。ありえない話だ。

 恋華にかかれば、堅物な隆源でさえも、愛想笑いくらいは作る。

 それをあろうことか、「頭がおかしいのか?」とは。

 至極真っ当な反応こそが、異質きわまりない。


「きみ、本当に何なんだよ……」


 伊織が残りのうどんを掻き込み、席を立つ。


「俺はこのあと約束がある。よく分からないが、二人とも、じゃあな」

「ま、待たんか!」


 迷惑そうな伊織を呼び止め、恋華は「こうなれば」と躍起やっきになる。

 愛好恋慕は使う、使わないの制御はできないが、恋華の行動で効果を強めることは可能だ。


「蓮水伊織、お願いじゃ。余に付き従えぃ!」


 駆け寄って、伊織の手に触れる。

 言葉と接触によって愛好恋慕の効果は飛躍的に強まり、この場での「お願い」は、もはや抗いがたい命令の域に達していよう。


「断る。きみ、見てくれはいいが、わがまますぎるな」

「…………」


 はっきりと告げた伊織が去り、恋華は呆然とその背中を見送る。


「恋華の異能が、まったく効いておらんかったな。風変わりな男よ。心に決めた相手でも居るのか、それとも……」


 修一郎の見解も耳に入らず、気づけば恋華は、ぽろぽろと涙を零していた。


「……泣くな、妹よ。元気を出せ」

「余は泣いておらぬ! ぐすっ……」


 恋華は目元を拭い、拳を握り締める。


「おのれぇ、蓮水伊織ぃ……!」


 男に袖にされたのは、初めての経験だった。

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