2話 御前死合い

隆源りゅうげん、どっちに賭ける?」

「賭けはせんよ。明堂院みょうどういん家の者ならば、勝ってしかるべきだ」

「しかし相手は、かつて最強と謳われた御庭番おにわばん、その末裔ぞ?」

「うむ、天下三刀の称号も持っているしな」

「天下三刀は、純粋な刀技で評される。術者としては、未知数よ」


 広間側から飛び交う雑言を無視し、伊織いおり沙奈さなとの距離を取る。

 右には常世姫や五大武家の面々、左には観衆。

 対峙せし相手は、一人の可愛らしい少女だ。

 改めて向かい合えば、沙奈は伊織より頭一つぶんも背が低く、身体つきは華奢で、手首など握れば折れそうなくらい細い。


「……きみ、やる気だと言うのなら、死んでも恨まないでくれよ?」


 非常にやりづらいが、退くわけにはいかない。

 罪はともかく、天道學園への入學試験をかねた死合いとなれば、逃げる選択肢はなかった。


「貴方こそ、死んでも怪異かいいになったりしないでよね」


 青ざめ怯えていた先ほどとは一変し、凛とした佇まいは、これが沙奈の普段の姿か。恐怖も怒りも感じられず、ただ生きるために殺すと、澄んだ双眸そうぼうが言外に語る。

 なるほど、武人の目だ。


(容姿であなどっては、礼を欠くか)


 伊織は深呼吸し、気を引き締める。


「発案者として、われ、隆源が取り仕切ろう。両者、準備はよろしいか?」


 隆源の厳粛げんしゅくな確認に、


「おう」「はい!」


 お互いの声が重なった。


「では名乗り、始めよ! 姫君ひめぎみ御前ごぜんだ、華々しく死合え!」


 下された合図で、一気に空気が張り詰める。


「魔道・魔刀術まとうじゅつ無月一心むげついっしん流、蓮水はすみ伊織! 推して参る!」

「陰陽道・符術ふじゅつ土御門つちみかど流、明堂院沙奈! いくわよ!」


 世には魔道、陰陽道、仙道、霊道など様々な道や、術や、流派がある。

 決闘では、名乗るのが礼儀だ。


 名乗った伊織は、両足を開いて上半身を前方に傾け、左手で鞘を掴み、右手を刀のつかに添える。抜刀の構えだ。

 対して沙奈が懐に手を入れ、数枚のふだを取り出した。


「式神召喚、悪行罰示あくぎょうばっし、きたれ鬼将きしょう首切舞くびきりまいっ!!」


 同時に手元でいんを結び、一枚の札を突き出す。

 その上方、宙に出現したのは、巨大な男の上半身だ。

 顔に般若の面を張りつけ、両手で二丈(約六m)はあろう斬馬刀ざんばとうを握っているそれは、無論、人間ではない。

 式神――陰陽道の術者が使役する、怪異の類だ。


「先手必勝よ!」


 沙奈が片腕を上げ、術者の動きに応じて、前進した首切舞が斬馬刀を横に振るう。

 巨体と斬馬刀の長さが合わさり、開始前に空けた距離は、大した意味をなさない。

 刃の軌道は、伊織の首に定められていた。

 躊躇ためらいも容赦もなく、斬首の一閃が迫る。


「後手で上等だ!」


 はなから伊織は後手に回る気で、まだ抜刀せず、不動を保つ。

 ひりつく肌、死の気配を感じる。まだ、まだ、まだ。

 もう当たるかという寸前、ぎりぎりを見極めて天羽々斬あめのはばきりを抜く。


 無月一心流魔刀術、風刹ふうせつ――刃に魔術の風を纏わせ、極限まで速度を上げた刹那の抜刀は、相手の初撃に合わせた反撃の術だ。


 ぶつかる刃と刃。甲高い金属音が鳴り、伊織は首切舞の斬馬刀を、難なく弾いた。

 それだけでは終わらない。

 刀を振り切った体勢から両手で柄を握り、返す刃で、鋭利な剣気を乗せた魔術の風を飛ばす。

 一の太刀で反撃、二の太刀の追撃をもって風刹は完成し、剣気の風がとらえる先は式神ではなく、術者の沙奈だ。


「速い……!?」


 沙奈が首切舞を下がらせるが、弾かれた斬馬刀は、防御に間に合わない。

 伊織の剣気の風が首切舞の脇腹を削ぎ、止まらずに沙奈を襲う。


「くっ、結界符けっかいふ!」


 苦しげに顔を歪めた沙奈が、別の札を用いる。

 通常、式神の負傷は術者に返る。

 沙奈は首切舞の負傷で痛みを感じつつも、即席の結界を張ったのだろう。

 不可視の壁に剣気の風が当たり、


「きゃっ……!?」


 完全には防げず、剣気の風を浴びた沙奈が、地面に転がる。


「ほう。魔術と刀技の組み合わせ、見事であるな」

「名刀を扱う優れた使い手、流石は御庭番の末裔、流石は天下三刀よ!」

「これはこれは、明堂院の娘には荷が重いか」


 広間側からの称賛に、伊織は「ちっ」と舌打ちする。


(偉そうな連中だな。実際に偉くはあるが……)


 死合いに投じられた身としては、素直に喜べない。


(……考えれば考えるほど、苛ついてくるな)


 気に入らないのだ。罪に問われるのは、仕方がない。

 規則を知らず、巫堂ふどうに入った伊織に非があり、無知を恥じて反省しよう。

 死罪を言い渡されても、仕方がない。

 そうなれば抵抗もやむなし、生きるために己の志で戦おう。

 しかし現状はどうだ? 連中は身内であろう沙奈を巻き込んで、死合いを見世物にして、伊織は否応なしに戦わされている。


(どうにか俺も彼女も死なず、連中に一泡吹かせたいが……)


 策を巡らせる伊織の前、沙奈が立ち上がった。


「……っ、どうして詰めてこないの!? 手加減のつもり!?」


 立腹りっぷくだ。馬鹿にされたとでも、思っているのかもしれない。

 普通の人間ならば、剣気の風を浴びれば肌が裂ける。

 だが沙奈は制服の一部こそ裂けているが、肌には傷一つない。

 魂の力――術の動力源でもあるで、肉体を守っているのだ。人によっては魔力や霊力とも呼ぶが、道や流派に関わらず、肉体の保護は術者の基本だ。


「手加減じゃなくて様子見だ! 俺にも考えがあるんだよ!」

「……何よ、考えって?」

「きみも俺も、死なないためにはどうすればいいか、考えている!」

「そんな方法、あるわけが……! 大体ね、どうして私まで含まれてるのよ? 何の義理もないでしょ!」

「どうしてって……。強いて言えば、外見が好みだし」


 義理はないが、人情はある。

 巻き込まれた立場の女子を、おいそれと斬れるわけがない。

 好みの外見ともなれば、尚さらだった。


「~~っ!? 私が女だからって、舐め腐って……!」


 沙奈が苛立ちを隠さずに札を変え、新たな印を結ぶ。

 上方の首切舞が掻き消え、


「式神召喚、悪行罰示、きたれ鬼将・絡繰太夫からくりだゆうっ!!」


 替わって現れたのは、着物姿の女の上半身だ。

 おしろいの塗りたくられた顔はのっぺらぼうで、左右の指先からは、何か線のようなものが伸びていた。


「……なに? いつの間に……」


 遅れて気づく。糸だ。

 絡繰太夫の指先から伸びる数本の糸は、既に伊織の腕へと絡みついていた。

 沙奈は召喚と同時に駆け出しており、接近に迷いがない。

 てっきり式神の特性上、術者は遠距離に徹するかと思いきや。


「ははっ、肝が据わっているな!」


 まさか刀使いに真っ向から突っ込んでくるとは、中々の度胸だ。

 もしくは初めの応酬で、力量差を察しての背水の陣か。

 当然ながら、伊織は刀を構えようとするが。


「どれだけ速くても、刀を振らせなければ!」

(千切れない……)


 絡繰太夫の糸に引っ張られ、動きが大幅に鈍る。

 糸の強度は計り知れず、強引に動けば肌に食い込み、痛みが走る。

 氣で肉体を守っていなければ、うに腕の方が千切れているだろう。


ぜろ、起爆符きばくふ!」


 近づいた沙奈が、一枚の札を投げる。どう考えても、触れては不味い。しかし斬り落とすには、刀が振るいづらい。伊織は片足を上げ、靴の裏で札を受けた。接触した札が、ぼんと小規模な爆発を巻き起こす。


「おっと……」


 大した威力ではないが、靴が焼け、煙で視界が塞がる。


(こうなれば……、やるしかないか)


 後手に回り続けても、活路が見い出せない。

 伊織は刀を逆手に持ち替え、落ち着いて糸を断ち切る。


「きたれ首切舞、とどめを刺せ!」


 それを予想していたのだろう、絡繰太夫が消え、再び首切舞が召喚された。

 距離を詰め、煙に紛れての召喚は、実に上手い奇襲だ。


(……上か!)


 ぼやける視界の中、振り下ろされる斬馬刀の一撃。

 轟音が響き、土埃が舞う。果たして斬馬刀は空振からぶって地面を抉り、


「惜しかったな」

「えっ……!?」


 次の瞬間、伊織は沙奈の背後を取っていた。

 風陣歩ふうじんほ――足元に微かな旋風を起こして移動する、高速の歩行術だ。


「刮目しろ、決着のときだ! この娘を斬る!」


 刀を斜め下に構え、あえて観衆に叫ぶ。


「うむ、これにて仕舞いか」

「明堂院家の娘も、決して筋は悪くないのだがな」

「相手が強すぎる。無理からぬ話よ」


 広間側からの注目は良し、ならば一刀を披露しよう。


「きみ、できれば動くなよ?」

「……っ、私はまだ……!」


 案の定、沙奈が振り向きざまに下がる。


「悪く思うな」


 言って伊織は一閃、斜めに斬り上げた。


「か、は……!? そん、な……」


 沙奈が首元を抑え、ふらふらとあとずさり、尻餅を突く。

 傷口から鮮血が噴き出し、白い肌を赤が濡らす。


「……だから動くなと忠告した。一刀で仕留め損ねたな」


 伊織は嘆息たんそくし、広間側、隆源に向き直る。


「首の動脈を狙った。この娘……、沙奈は終わりだろう」

「……だな。見事な腕前だ」

「隆源とやら、死合いは俺の勝ちで構わないか?」

「良かろう。此度こたびの一件の罪は、沙奈がかぶる。貴様は無罪だ」

「そして俺が勝ったことで、沙奈は裁かれた。相違ないよな?」

「……相違ない。貴様、何が言いたい?」


 いぶかしげな隆源の返答に、


「取り仕切っているやつの、言質を取ろうとな」


 伊織は口端を上げ、刀を鞘に収める。

 途端に沙奈の首元の裂傷が消え、流れる血が霧散した。


「何だと!?」「む……?」

「これは!」「いかなる状況だ!?」


 観衆は勿論、


「え、私、どうして……?」


 沙奈が困惑の表情で、無傷の首元を撫でる。


「無月一心流魔刀術、幻傷げんしょう――さっきの傷は、まどわしの風の幻だ。俺は沙奈の首を狙ったが、当ててはいない」


 幻傷は容易たやすく使える魔刀術ではないが、今回は好ましい条件が揃っていた。

 まず沙奈は冷静さに欠け、まぁつまり、格下の感情的な相手は惑わしやすい。

 周りに関しては、元より観衆は、伊織の刀技に注目していた。

 観衆ゆえに警戒せず、無防備に。

 言葉も加えて「沙奈を斬った」と思い込ませることができれば、術は成る。

 ただし、全員がかかったわけではないが――。


「蓮水、何のつもりだ! 御前死合いを愚弄ぐろうするか!」


 隆源が不快げに声を荒げる。

 場を取り仕切っている彼が術にかかり、言質を取れれば十分だった。


「愚弄はしていないさ。俺が勝ち、沙奈は裁かれた。それでいいだろう」

「戯言を! このような嘘偽りで……!」

「俺は彼女の首を斬ったとは、言っていない。嘘はついていないつもりだが」

「何を……!」

「それとも五大武家のお偉いさんは、相違ないという発言を取り消すのか? 随分と軽々しい口だな?」

「き、貴様ぁ……!」


 観衆の手前、発言を取り消せば、体裁が損なわれるだろう。

 場合によっては、御家の名にも傷がつく。

 よもや仕切り直しは、ありえまい。


「うふふっ、この場は伊織さんが、一枚上手うわてでしたね」


 常世姫が笑みを零し、二度、手を叩く。

 まったく驚いておらず、まるで現状を予想していたかのような反応だ。


「五大武家の皆さん。死合いは終わった、ということでよろしいでしょうか?」

「……うむ。隆源殿の面子もあるしな」

「まったく、してやられたよ」

「ふははっ! あの男、やるではないか!」

「異論はないよ」


 常世姫の確認に、黙り込む隆源を除き、数人が答えた。


「でしたら此度の裁判は、これにて終了です。同時に、伊織さんの天道學園への入學を許可します。力量は疑うべくもありません」


 ぱちぱち、ぱちぱちと、まばらな拍手が徐々に広がっていく。

 歓迎が半分、それ以外が半分といった具合か。


「それと沙奈さん、命を拾われましたね。思うところはあるでしょうが、伊織さんへの感謝、ゆめゆめ忘れぬように」

「は、はい……」


 畏まる沙奈を残し、常世姫や隆源たちが去っていく。

 続いて伊織と向き合った沙奈が、


「ありがとう、と言っておくわね。経緯はどうあれ、死なずに済んだわ」


 複雑そうに礼を言う。


「礼には及ばない。気にしないでくれ」

「……どうして私を助けたのよ? 本当に斬っていれば、隆源さんから不興を買うこともなかったでしょ」

「あの偉そうな連中に一泡吹かせたかったし、さっきも言ったが、きみは外見が好みだからな」

「前半はともかく、後半はどこまで本気なんだか……」


 肩を竦める沙奈に、伊織は眉をひそめた。


「なに? 可愛い女子の死は、世界の損失だろう。常識も知らないのか?」


 はんっ、と呆れの表情を作れば、沙奈が身を震わせて。


「ふ、ふ、ふ、」

「……ふ?」

「巫堂に侵入するような輩が、常識を語るなあああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーー!!」


 沙奈の再度の絶叫をもって、此度の一件は閉幕となった。

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