天道學園の魔刀使い 最強の現人神は普通を望む

阿樹 翔

1 入學編

1幕 天道學園の新入生

1話 出会い

 明治二十二年、暖かな晩春の朝。

 目覚めると、隣に全裸の少女が寝ていた。


(……どういう状況だ?)


 十七歳の青年、蓮水はすみ伊織いおりは布団からゆっくりと上半身を起こし、寝ぼけ頭で現状の把握に努める。

 記憶が混濁こんだくしていた。

 仄かに漂う草の匂い。ここは二十畳ほどの、見知らぬ広い畳部屋だ。

 出入り口の障子しょうじからは陽光が差し込み、遠く小鳥のさえずりが耳に届く。

 枕の近くには一振りの刀と、脱ぎ捨てられた羽織袴はおりはかま

 それらには見覚えがあった。伊織のものだ。


(俺は遊郭にでも、遊びにきていたか?)


 しかし、だとすれば妙だ。

 着ている襦袢したぎは乱れておらず、布団を見ても、行為の痕跡こんせきがない。

 首を傾げた伊織は、改めて隣の少女に視線を移す。


「ん……、すぅ……」

 

 寝息を立てている細身の少女が、寝返りを打つ。

 年齢は伊織と比べて、二つか三つ下だろうか。

 長く長く足元まで及ぶ、白銀色の髪の毛。

 あどけない顔立ちは鼻筋が通っており、柔肌は絹のようになめらかだ。

 つんと主張する控えめな胸は美しく、腰のくびれから続く尻は、張りがあり丸い。


(……ふむ、据え膳だな)


 ぼんやりと少女の尻を眺めている間、


(あぁ、この子は……)


 徐々に記憶の糸が繋がり、伊織は相手を正しく認識した。


(この出雲で一番偉い、姫さんじゃないか)


 少女の素性は、久遠くおん家当主・八代目・常世姫とこよひめ

 大倭おおやまと国の中、この出雲いずもの地を統べる、最高権力者である。

 そしてここは天道學園てんどうがくえん――大倭国の若き術者や異能者が集う、公的な施設だ。

 伊織もまた術者として、本日より天道學園に、入學するつもりなのだが。


(……いささか、不味いかもしれないな)


 伊織の額に、焦りの汗が滲む。

 やむを得ない事情があったとはいえ、常世姫と同衾どうきんなど、大問題だろう。

 尻を眺めている場合ではなく、伊織は「どうしたものか」と思い悩むのだった。



   ◇◇◇



「これでよし、っと」


 十六歳の少女、明堂院みょうどういん沙奈さなは、天道學園の中、自室で身なりを整えていた。

 長い黒髪をくしかし、天道學園の女子制服――上着を纏って腰巻きスカートを履く。

 最後に符術ふじゅつの札を懐へと仕舞い、準備は完了だ。


「今日も頑張るわよ」


 姿見の前、鏡に映っている自身に一言。

 意気揚々いきようようと障子を開けて部屋を出れば、縁側えんがわを挟んで雅やかな庭園が目に入る。

 大倭国の建築様式を用いている天道學園は、木造の二階建てで、巨大な武家屋敷の集合体のような形だ。

 縁側や廊下の幅も広めで、一般的な屋敷と比べて、倍以上ある。


 庭園を横目に縁側を歩き、向かう先は、常世姫の寝室だ。

 沙奈は数か月前に任命された、常世姫の直属の部下だった。

 同性ゆえに起床や身支度を任され、名誉なことこの上ない。


(……結界に異常はないわね)


 道中、念のために、柱に張っている結界の札を確認しておく。

 天道學園の中心に位置する建物、常世姫や沙奈が住まう巫堂ふどうは、五行ごぎょう結界で守護され、限られた者しか入れない。

 巫堂の結界の管理は、沙奈の大切な役目の一つだ。


(ま、巫堂に侵入しようだなんて不埒者、居るとは思えないけれど)


 階段を上って二階、常世姫の寝室の前に着いた沙奈は、静かに正座する。


「常世姫、沙奈です。起きておられますか?」


 今日の朝食あさげは、常世姫のお口に合うだろうか。

 おやつには、輸入品の猪口齢糖チョコレートを用意しよう。

 そんなことを考えて数秒、いつもなら「お入りなさい」と、鈴を転がすような声が返ってくるのだが。


「うおっ、誰かきたぞ……!?」


 中から聞こえたのは、男の上擦った声だ。

「はぁ!?」と仰天した沙奈は、膝立ちになり、すぱーんと障子を開け放つ。

 部屋では眠っている全裸の常世姫、それはいい、普段通りだ。

 しかしその隣、同じ布団には、


「き、きみは常世姫の、付き人か何かだろうか。は、初めまして」


 知らない若い男が居た。

 背丈は高めで、細身ながらも引き締まった身体だ。

 近くの凶器かたなは十中八九、彼のものだろう。


「は、え……?」


 思いがけない、絶対にあってはならない状況に、沙奈の思考が止まる。


「……あら?」


 そこで常世姫が目を覚まし、緩やかな動作で身体を起こした。

 まず男を見て、次に沙奈を見て。


「おはようございます。良い朝ですね、うふふっ」


 常世姫が微笑んだところで、ようやく沙奈は我に返る。


「あ、あ、あ、」


 震える手で男を指さし、肺いっぱいに空気を吸い込んで。


「悪漢だああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーっ!!」


 異常事態を知らせる沙奈の叫びが、天道學園に響き渡った。



   ◇◇◇



「くっ、何度も言うが、俺は悪漢ではない! 姫さんと話させてくれ!」


 十数分後、伊織は後ろ手を縛られ、ひざまずかされていた。

 あれよあれよという間に御縄おなわとなり、連れてこられた先は學園の建物のすぐ傍の庭、草の一本も生えていない開けた場所だ。

 抵抗しない条件として、身なりを整える時間を貰えたのは、不幸中の幸いか。

 おかげで刀は取り上げられずに済んだが、それも時間の問題かもしれない。


「黙れ、大人しくしなさい!」


 伊織の繋がれた縄を引っ張る少女――常世姫の寝室で、沙奈と名乗っていたか。

 目鼻立ちが整った顔は怒りに染まり、取りつく島もない。


「巫堂に侵入とは、信じられないな……!」

「結界をやぶったのか?」

「即刻、殺すべきでしょ」

「それにしてもあの男、いったい何者?」


 伊織と沙奈の後方、庭に集まった天道學園の生徒たちが、口々に言う。

 どうやら既に、話は広まっているらしい。


「……おい、俺はどうなるんだ?」

「それを今から決めるのよ。打ち首か切腹か、選べるといいわね」

「どっちも嫌なんだが……」

「うるさい」


 目を合わせずに答える沙奈は、冷ややかな声色だ。


(参ったな……)


 しばらく待たされていると、向かって正面の學園内、襖が開けっぱなしな畳敷きの広間に、常世姫と数人の男女が姿を現した。

 常世姫以外は、制服を着ている生徒が三人、残りが私服の大人といった割合だ。

 常世姫たちが並んで畳の上、用意されていた座布団に腰を下ろす。


「皆、静淑せいしゅくに! では、始めるか」


 広間側の男子生徒の一声で、場が静まり返る。

 まるで民が殿さまに謁見するかのような構図だ。

 いや、この場合は、罪人が殿さまに突き出されているような構図か。

 流れは伊織にも察しがつき、つまり御前ごぜんでの裁判が始まったのだ。

 警察を挟まないやりかたは、天道學園が独自の法で成り立っている事実を示す。


 天道學園、ひいては出雲の地を統べる組織形態については、伊織も知っていた。

 まず大倭国の政府から出雲の自治を許されている、久遠家が最高権力者だ。

 代々の久遠家当主に襲名される常世姫とは、出雲の象徴に等しい。

 その下に明堂院、柳葉やなぎば大鳳おおとり円城寺えんじょうじ朝霧あさぎり五大ごだい武家ぶけが存在し、各々の御家に与えられた役割のもと、出雲を取り仕切っている。


 おそらく広間に座っている常世姫を除いた数人は、天道學園に在學、もしくは駐在している、五大武家に連なる者たちなのだろう。

 出雲の警察は五大武家の傘下にあり、五大武家は会議を経て直接、罪人を裁く権利を持つ。


「経緯は事前に説明した通りです! この男は巫堂に、しかもあろうことか、常世姫の寝室に侵入しました! 死罪以外にないでしょう!」


 沙奈が怒りをあらわに、早口でくし立てる。


「まぁまぁ、待ちなさいよ。まずは本人から話を聞こう」

「だな。素性も聞かぬうちから、早計だろうよ」

「侵入した方法も聞きたいしな」

「賛成。沙奈は落ち着くべき」


 広間側の面々からなだめられた沙奈が、「……そうね」と縄を引く。

 素姓を喋れ、と。


「……姓は蓮水、名は伊織。天道學園に入學したくて訪れた術者だ」


 告げた途端、各々が目をみはる。


「術者で蓮水って、もしかして……、御庭番おにわばんの?」

 

 問う沙奈も同じく、かなり驚いている様子だ。

 御庭番とは遠い過去、初代常世姫に仕え、秘密裏に暗殺や諜報を行っていた一族の役職だ。

 しかし世情の変化に伴って、裏で動く御庭番は御役御免おやくごめんとなり、隠遁いんとんする運びとなった。

 ゆえに常世姫は勿論、表の仕事を担う五大武家とは、少なからず所縁しょえんがある。


「あぁ、その末裔だな」


 伊織が認めると、場がざわめく。


「御庭番の末裔だと?」

「なぜ今頃になって表に?」

「偽物じゃないの?」

「証拠はあるのか?」


 驚愕の視線が疑いへと移り変わり、伊織を射貫く。


「伊織さん」


 最中、今まで黙っていた常世姫が、伊織の名を呼んだ。


「刀を抜いて見せなさい。それで分かるでしょう」

「……分かった、姫さん」


 常世姫に命じられては、従うよりほかない。

 個人的にも、嘘をついていると思われるのはしゃくだった。

 立ち上がった伊織は、ほんの少し力を込め、後ろ手の縄を引き千切る。


「ちょ、貴方……!?」


 一歩退く沙奈に構わず、するりと腰の刀を抜く。

 薄水色の美麗な刃が、陽光に煌めく。

 普通の刀とは一線を画すこの一振りは、御庭番が隠遁する際、初代常世姫から餞別せんべつに授けられた名刀・天羽々斬あめのはばきりだ。


「……っ!? その美しい刃は、紛うことなき!」

「本物、であるな」

「天羽々斬を持つ、御庭番の末裔……。ならばそなた、天下三刀さんとうの一人か!」


 天下三刀――大倭国の刀使いの中、至上の三人に与えられる称号だ。


「そういえば前に、姫さんからそんな称号を貰ったな。御庭番の隠れ里から出たことがほとんどなくて、今いち実感は薄いが……」

「え、じゃあ貴方、常世姫と交流があったってこと?」


 意外そうな沙奈に、伊織はこくりと頷く。


「そうだ。だから姫さんと話させてくれって言っただろ?」

「だったらどうして、巫堂に侵入なんて……」

「さっきも言った通り、俺はここに入學したくてきたんだ。昨日の深夜、天道學園に着いたんだが、寝る場所に困ってな。姫さんとは知り合いだし、一晩部屋を借りた」


 刀を鞘に収めて弁明すると、皆の目が常世姫に集まった。


「……事実ですよ。蓮水家とは今も、密かな交流がありまして。知り合いを外で寝かせるのは、忍びなかったので」

(……上手く合わせてくれたか)


 真実が半分、嘘が半分だ。

 常世姫との約束や、伊織の密かな目的に関わるので、全ては言えない。

 ただ悪漢ではないと証明できたし、これで一件落着だろう。

 ――そう思ったのだが。


「たとえ姫君ひめぎみの知り合いでも、大罪は大罪だろうよ」

「たしかに。一宿は姫が許しても、巫堂に侵入した罪とは別問題だ」

「天道學園の警護は、五大武家の管轄だしね。沽券こけんに関わる」

「そもそも貴様、どうやって巫堂に侵入を? 姫君の意思がどうあれ、結界には限られた者以外、入れぬはず」


 予想に反し、怪しい雲行きだ。

 痛いところを突かれた伊織は、目を泳がせる。


「結界? はあれだ、なぜか入れた……」

「…………」


 何とも居た堪れない、嫌な静寂が流れた。


「……怪しいが、御庭番の末裔を簡単に殺すわけにも……」

「五大武家として、義理に反する……」

「けど責任を取らせないと、秩序が保たれないよ」

「特例の措置は……、いやしかし……」


 様々な意見が交わされる中、


「ならば、沙奈に責任を取らせればいい。巫堂の結界の管理は、姫君の直属の部下である、沙奈の仕事だろう」


 広間側に座っている一人の男子生徒が、沙奈に矛先を向けた。

 年齢は伊織よりも、いくつか上か。

 長髪で鋭い目つき、すらりとした体形の人物だ。どこか威圧的な印象を受ける。


「ま、待ってください隆源りゅうげんさん! 私の結界に、異常はなかったんです! 悪いのは何かしらの方法で侵入した、この男で……!」

「言い訳は無用だ! 重要な責務を怠るとは、この明堂院隆源、本家の兄弟子として恥に思うぞ!」


 低い怒鳴り声に、沙奈が「うっ」と身を竦ませる。

 会話を聞くに、隆源と呼ばれた彼は、沙奈と同じ明堂院家の人間か。


「待たれよ隆源。分家の娘とはいえ、身内の沙奈を死なす気か?」

「……けど隆源の意見にも、一理ある」

「賛成できんな。それこそ特例の措置を取るべきだ」

「だが、誰かが責任を取らねば収まらんよ」


 伊織の死か、沙奈の死か。意見がおおよそ、二つに割れた。


(俺に死ぬ気はないが……。御家や立場ってのは面倒だな)


 ちらりと沙奈の方をうかがえば、


「死罪は嫌ぁ……! 何でこんなことに……」


 気の毒なほど青ざめ、怯え切っていた。


「……沙奈、お互い災難だな?」

「誰のせいだと……! 気安く私の名前を呼ばないでくれるかしら!?」


 どちらが責任を取らされるのか。

 判決を待つ者が二人に増え、


「ふんっ、このままでは埒が明かんな……。いっそ二人で死合えよ。死んだ方が罪をかぶる、それで良しとしよう」


 再び隆源が案を出した。


「元より天道學園に、弱者は要らぬ! 皆、どうだ?」

「……賛成、かな。収拾がつかなさそうだし」

吾輩わがはいは反対だ。だったら罪を軽くして、二人とも裁けばいいではないか」

「それなら二人とも死罪に……、どちらも殺しづらいという話だ。隆源に一票」

「分かりやすくていい。見ものだ」


 各々の反応を受けた隆源が、常世姫を見る。


「五大武家は賛成多数だが、姫君、いかがか?」

「……いいでしょう、それも一興ですね。沙奈さんとの死合いをもって、伊織さんの天道學園への、入學試験とします」


 間を置いて告げられた残酷な言葉に、伊織はぎょっとする。


「おいおい姫さん、本気かよ!?」

「…………」


 口を閉ざす常世姫の思惑は、皆目かいもく見当もつかない。

 五大武家の彼らにしても、悪趣味がすぎる。

 だが伊織に拒否権はなく、まったくもって気乗りはしないが。


「無礼な口を慎みなさい! こうなったからには、私が直々じきじきに貴方を裁くわ!」

「嘘だろ……!?」


 不承不承、命を懸けての御前死合いが、幕を開けた。

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