第17話 火山の綿あめ
その頃、風観とクーウォンは山の中腹で、噴火の時を待っていた。
「風観は目がいいんだね」
木に巻き付いていた細い
「まあ、そういう家系なので」
「やっぱり生まれつきよく視えたのか?」
「……いえ」
風観は少し物憂げな表情を見せた。クーウォンは作業の手を止め、風観を見る。
少しの沈黙の後、風観は口を開いた。
「俺は三人兄弟の末っ子なんです。兄たちは生まれつき優れた目を持っていて、俺だけ、普通でした。ちょっとだけ目がいい、ただそれだけ」
風観は魔導書を閉じ、伏し目がちに続けた。緩やかな風が、風観の髪をなで、木漏れ日が光の粒をこぼす。
「両親は何も言いませんでした。兄たちも俺には興味がなかった。周囲も、跡継ぎは兄たちで決まりだろう、と」
でも……と風観はこぶしを握り締める。
まずいことを聞いただろうか、とクーウォンは表情には出ないものの、内心、思っていた。しかし、それは杞憂に終わった。
顔を上げた風観の表情は実にすがすがしく、発した言葉も、実に力強いものだったからだ。
「そのまま拗ねて終わるとか、絶っっ対に嫌だったんですよ。できることやって、兄たちより……いや、歴代の主たちより優秀になって、俺に興味がなかった人たちを見返してやろうと」
クーウォンはきょとんと風観を見た後、思わず吹き出してしまった。音羽や天に押されて主張のない雰囲気の風観だったが、その内心は、彼らにも劣らない。芯が強い子だと思った。
「そうかそうか、なるほどなあ」
クーウォンの力の抜けた相槌を聞いて、風観は少し表情をやわらげた。
「祖父母は喜んで力になってくれました。それで、今に至ります。両親も、兄も、周囲も驚いていました。すでに代替わりは済んでいて、家の主になれなかったのはまあ、残念と言えば残念ですが、それが目的ではないので」
木にもたれかかり、風観はすがすがしく笑った。それは普段の取り繕ったような表情ではなく、年相応に幼く、いたずらが成功した子どもの様に無邪気だった。
「俺のことを適当にあしらっていた人たちのあの驚いた顔! あれを見ることができただけで満足です」
そんな風観を見て、クーウォンはまるで、いたずらの共犯者になった気分になっていた。そわそわするような、心臓が早鐘を打つ、この感覚は久しぶりで、笑みがこぼれるのを抑えきれなかった。
「はは、君もなかなかいい性格をしているね。そういう子は好きだよ」
「ありがとうございます」
クーウォンは深呼吸をして気持ちを整えると、口を開いた。
「魔法使いというのは持って生まれた能力に人生を左右されがちだ。皆、生まれたステージで生きていく。半ばあきらめたようにね。多少のスキルアップはするだろうけど、まあ、大きく人生を変えようとすることは、まずないね」
クーウォンは編んでいた蔦に触れながら続けた。
「でも君は、変えてみせた。努力の継続と強い信念で。それは、誇るべき宝だよ」
その言葉に風観は照れ臭そうに視線を逸らす。と、その時だった。
ドォンッ! という地響きの後、周囲が真っ白な霧に包まれ始めたのだ。
「来たね」
クーウォンは持っていた蔦をローブに押し込む。風観も魔導書をしまい、山頂を見上げた。
風観は目を凝らす。音が遠のき、霧の正体がやがて鮮明に視えてきた。先ほどまでただの霧に視えていたものは、確かに細い糸状になっていた。
「これ、霧の全部が一本の糸になっているんですか?」
「そうだ。……できそうか」
さらに神経を目に集中させ、風観は瞬きもせず糸をたどっていく。魔力の濃淡、質、温度が色の変化で風観の目に映る。
糸の端を見つけた風観はそれに手を伸ばす。そっとつまめば、霧はふわりと流れを変えた。
「やります」
風観は事前に聞いていた通りに糸を巻き取っていく。
アネッサから預かっていた糸巻を取り出し、糸の端を引っかける。そして、風の魔法で水車のように糸巻きを回すのだ。それさえすれば後はそのままでいい……というわけではない。
絡まないように糸を手繰り、糸巻が止まらないように操作をし、糸の強い部分と弱い部分を見極めながら、巻き方を変えていく。ある一か所だけが大きく膨らまないように、バランスも考えなければならない。
根気と集中力が必要な作業で、そもそも糸を見つけること自体至難の業であるこの作業は、誰にでもできるわけではなかった。
風観は自覚していないが、これはおそらく、彼の家でも風観にしかできない芸当であった。いや、それどころか、どちらの世界を探しても、そうそう見つかるような技術ではなかった。
「これは驚いた」
クーウォンは風観を後ろで見ながら、細い目を見開き、面白そうに笑った。
今までも、努力で人生を変えてきた魔法使いたちは少なからず見てきた。しかしこれは、規格外だ。
生まれつき莫大な魔力を持っていて、それを研鑽したことで開花したのであれば納得がいく。
でも彼――風観は、生まれは普通か、それ以下である。
生まれつき持っている魔力の質というものは一生変わらない。どんなに練度が上がっても、その本質は変わらないのだ。風観の魔力は、確かに、お世辞にも優秀とはいえなかった。
しかし今目の前にある魔力は、それを補って余りある勢いと力を持っている。
これを自力で、努力のみで培ったのか。
「はは、この本質を見抜けなかったのは、彼の家にとって大きな損失かもしれないな」
クーウォンは全身に鳥肌が立つのを感じながらつぶやいた。
「いや。逆によかったかもしれないな」
霧に巻き込まれて降り注ぐ小石や土を魔法で払いのけ、風観に当たらないようにしながらクーウォンは続けた。
「これは、小さな枠に収まっていい器じゃない」
家にとっては確かに損失かもしれない。これほどの力は、永く生きた魔法使いでも、めったにお目にかかれないものである。クーウォンは確信した。
「彼が主として家に選ばれなかったのではない。家が、彼を活躍させるために、あえて選ばなかったんだ」
しばらくすると、霧が晴れていった。すべての霧は風観の手元に収まり、空気が段々澄み切っていく。
「……よし」
糸の端を結ぶと、糸巻に巻き付いた霧は安定した。
それを確認して風観は息をつく。と、ふらっと視界が揺らぎ、倒れそうになる。
「おっと、危ない」
それをクーウォンが受け止める。風観は糸巻を持っていない方の手で眉間をもみ「すみません……」とかすれた声で言った。
クーウォンは微笑んだ。
「よく頑張ってくれた。ありがとう」
「うまくいってよかった。こんなに目を使ったことがないから、疲れちゃいました」
へへ、と風観は眉を下げて笑う。クーウォンは頷くと、軽々と風観を抱え上げた。
「え、ちょっと」
慌てる風観をなだめるように、クーウォンは微笑んで言った。
「疲れているんだろう? 帰りは、任せてくれ」
「大丈夫です、歩けます」
「そんなこと言って。さっき倒れそうになったのは誰だい?」
「う……」
疲れ切っていた風観は、いつもの鋭い言葉の羅列もなく、クーウォンに抱えられたまま、下山したのだった。
後日、ついえたと思われていた植物が再び芽吹いたという知らせが世界中を駆け巡ったのだが、風観が知るのはずっと後のことである。
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