第16話 妖精の森

 アネッサは目をつむる音羽の手を引いて暗い森を進んだ。はたから見れば、森の奥に可憐な少女をだまして連れて行く悪しき魔女である。しかし本人は音羽に頼られ、楽しそうだし、音羽はアネッサに抵抗することなく歩みを進めている。

 音羽はとにかく音をたどるのに必死だった。突然大きくなったかと思えばすうっと波が引くように小さくなり、時折立ち止まっては耳を澄ませ、大きさが不揃いな数珠をたどるように歩みを進めた。

「ん……」

 しばらく歩いたところで音羽が声を出す。この森に来て会話してから、しばらく沈黙していたので、音羽は咳払いをして声を整える。

「この辺り……かしら。一番、音が安定しているわ」

「ふむ、確かに」

 アネッサの声を聞いて音羽はほっとした。いくら手を引いてくれているとはいえ、途中で何か別の生き物と入れ替わっているのではないか、という疑念がないわけではなかったからだ。それに、音に集中しているとき、音羽は聴覚以外の感覚がひどく鈍くなる。アネッサではない誰かにすり替わられたとしても、気づかない可能性があるのだ。

 手を放す気配はなかったが、ここは魔法の世界。相手をだましてすり替わるなど、造作もないのだ。しかし今聞こえた声は確かにアネッサのもので、声にのった魔力もアネッサのものであった。

 音羽はゆっくりとまぶたを上げる。暗い森の中では強い光が差し込む心配もないと思ったが、用心するに越したことはない。

 すっかり目を開き、ぼやける焦点が合うまで瞬きをする。

 と、最初に目に移ったのは、鮮やかなドレスを身にまとった小さな人型だった。しかも至近距離にいる。

 思わず声を上げそうになったが、音羽はすんでのところで抑えた。

 きっとこれは妖精だ。声を上げれば警戒して、また居場所が分からなくなってしまう。

「よく耐えたな」

「ここまでの努力を無駄にはできないわ」

 二人は小声でやり取りをする。音羽の目の前にいた妖精はアネッサの周りをくるくると飛び回り、アネッサの前に落ち着いた。

 妖精は交互に音羽とアネッサを見る。そしてこちらに敵意がないことを察すると、二人を導くように先を行きはじめた。ちりん、ちりん、とガラスが転がるような音が飴細工のような妖精の羽から生まれている。

 やがてその音が増え始める。うっそうと茂る木々は開けていき、ぽつり、ぽつりと花が増えてきた。そして水が流れ始め、白く美しい石畳が現れる。まるで人に忘れ去られて朽ちた神殿のような場所が、そこには広がっていた。

 中央にはガラス細工のような大きな花が一輪咲き誇り、周囲を様々な色合いの妖精が飛び交う。物珍しそうに柱の陰から音羽とアネッサを垣間見る妖精もいた。

「きれい……」

 音羽が思わずこぼすと、先ほどの妖精が嬉しそうに笑い、ちりんちりんと羽を震わせた。

 よく見ると、妖精たちが着ているものは、花で繕ったもののようであった。色褪せた花も鮮やかに着こなし、そこら中に華やかな香りが漂っている。

「もともと妖精は人間に友好的なのさ」

 アネッサは近寄ってくる妖精たちに微笑み返しながら言った。

「ただ、どうしても人間の生活とはかけ離れていてね。それで、だんだんと離れていったんだ。関わり合いたいが、なかなか簡単じゃない、といったところかな」

「仲が悪くなった、とかじゃなくて?」

「そりゃ、生き物同士の関わり合いだからいさかいもあったさ。それで人が苦手な妖精もいるだろうし、逆に、妖精が苦手な人もいるだろう。でも、離れて暮らすようになったのは、それが理由じゃない。何せ今でも、町に住んでいる妖精だっているからね」

 アネッサの説明を聞いて、音羽は町で何人かすれ違った妖精を思い出して頷いた。

「ああ、確かにそうね」

 やがて二人は中央の花までやってきた。

 流れる水を水晶で閉じ込めたようなきらめきを放ち、風に吹かれて揺れている。その花びらはよく見ると、玉座のようになっていて、そこにはいっとうきらびやかなドレスを身にまとった妖精がいた。頭上には冠が輝いている。

「女王の御前だ」

 アネッサは右手を左胸に当て、ひざを折った。音羽もそれにならう。

 妖精の女王は近くに控えていた妖精に声をかける。声をかけられた妖精は頷くと、二人の間へ舞い降りてきた。

「ようこそ、妖精の里へ」

「えっ、しゃべれるの」

 音羽が思わず言うと、目の前に降りてきた妖精はにこりと笑った。

「今やこの里に住む者で、人の言葉を話すことができるのは、女王に仕える者のみにございます。人との交わりがそうそうありませんから。ですがこうやって、あなた方のように来訪される方が時折いらっしゃるものですから、数人は、話せるようにしているのです」

 妖精も大変だなあ、と音羽は思った。妖精は音羽とアネッサを交互に見ると尋ねた。

「ところで、今日はどうなさったのですか。小さな妖精の気配をたどってこられたということは、何か並々ならぬ事情があるのでしょう」

 音羽がたどった音は、先導してくれた妖精の気配だったのだ。わずかに聞こえる音をたどってきたということで、女王も少し驚いているようだった。

 アネッサが世界樹のことを話すと、妖精はすぐに納得したようだった。

「そうですか。三柱が機嫌を損ねたとなると、確かに並大抵のお菓子では収まらないでしょう」

「ええ、そこで、この妖精の里で育てられているというバラ……ショコラローズをいただきたく、はせ参じました」

「なるほど。そういうことでしたか」

 妖精はいったん女王の元に戻り、説明をしているようだった。女王は頷いて聞いていたが、話が終わると、お付きの妖精に何か耳打ちをした。お付きは頷くと、再び、同じ場所に舞い降りてきた。

「そういうことでしたら、喜んで差し上げようと女王もおっしゃっています」

 その言葉に音羽もアネッサも安どした。お付きの妖精は微笑んで続けた。

「貴重な物ですので、一輪しか差し上げられませんが、その点はご容赦ください。そして、こちらからも一つ、お願いがあります」

 お付きの要請は音羽に視線を向けると言った。

「貴女の髪飾りと、交換してほしいとのことです」

「髪飾りって……」

 音羽は赤いシュシュを外し、手のひらにのせた。

「これのこと?」

「ええ。女王はそれをとても気に入っておいでです。ドレスに仕立て上げると、さぞかし美しいだろう、と」

 音羽は少し考えこむ。手に入れてほんの二日程度ではあるが、それなりに愛着はある。そう簡単に決められそうにもなかったが、音羽は快く笑って首を縦に振った。

「もちろん。ぜひ、素敵なドレスに仕立ててください」

「ありがとうございます。感謝します」

 するとどこからか妖精が二人、美しい装飾の施されたトレーを持って現れる。音羽がそこにシュシュを置くと、妖精二人はまたどこかへ行ってしまった。解かれた音羽の栗色の髪が、魔力を帯びた風に揺られて、美しくきらめく。

 と、入れ替わりに、また違う妖精が二人現れる。ガラスケースを持っていて、その中には深みのある茶色をしたバラの花があった。

 これこそが、ショコラローズである。

「ぜひ、お役立てください」

「ありがとうございます」

 ガラスケースはアネッサが受け取った。ふたがされてはいるが、甘い香りが音羽の元にも漂ってくるようである。

「入り口までお送りしましょう」

 お付きの妖精はふわりと優雅に浮遊した。音羽とアネッサも立ち上がる。

「よかったのかい?」

 妖精の里から離れた後、アネッサは音羽に聞いた。音羽がきょとんとアネッサを見上げると、アネッサは言った。

「髪飾りだ。大切にしていただろう」

「ああ、それのこと」

 音羽は、行きがけに見ることの出来なかった森の様子を眺めながら、あっけらかんと笑って答える。

「実を言うと、ちょっと寂しいわ。でも、女王様があの赤をまとって踊る姿は、きっときれいだろうなあって思ったの。だから、いいの」

 跳ねるような足取りでアネッサの先を行っていた音羽は、アネッサを振り返った。

「あのシュシュは、妖精の女王のドレスになるために生まれたんでしょう。きっとね」

 その様子を見て、アネッサは眉を下げて笑った。

「そうか。それじゃあ、すべてが丸く収まったら、私が君に似合う髪飾りを見繕ってあげよう」

 アネッサはゆったりと音羽に近づくと、音羽の肩に手を添え、流れるように髪に触れた。音羽は一点の曇りもなく、にっこりと笑った。

「あら、それは楽しみだわ」

「期待していておくれ」

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