第13話 かみさま
「やあ、おはよう諸君。よく眠れたかね?」
早朝、身支度を整えて店の方に全員が集まった。胡桃に髪をきれいにセットしてもらったらしい音羽、普段から眠そうな目をしているのですっきりしているのか分からない風観、そして、明らかに眠そうな天。
胡桃とクーウォンも今日はローブを身にまとっていた。
「それじゃあ、行こうか」
結局、行き方はクーウォンがとうに決めていたらしいので、昨晩のアネッサの悩みは杞憂に終わった。今や観光地のようにもなっているらしい世界樹までは、ちゃんと公共交通機関が通っているのだそうだ。
「ちゃんと電車とかあるのね」
ボックスシートでゆられながら音羽が言えば、隣に座る胡桃が頷いた。
「ほうき、君たちの世界でいえば、自転車みたいなもの。遠出できないこともないけど、体力ないと、無理」
「つまり、アネッサは規格外?」
「そういうこと」
久々の電車にテンションが上がっているのはアネッサである。最近ではすっかり店に引きこもっているので、公共交通機関に載るのはずいぶんと久しぶりだったらしい。
「やあ、この駅はこんなにきれいになっていたのかい? 露店もあるじゃないか! あれは何の店だろう」
途中、休憩のために降りた駅には、たくさんの露店が軒を連ねていた。そのどれもが車内で飲食するためのものを売っている店で、中には珍しい土産物を売っている店もあった。
「アネッサ、今日は世界樹に行くんだろう。あとで見ればいい。それに、無駄遣いは禁止だ」
クーウォンがため息交じりに言えば、アネッサは、ふん、と鼻で笑った。
「かたいなあ、お前は。せっかくの旅行だろう。少々財布のひもを緩めてもいいだろうに」
「旅行じゃないし、緩めたら緩みっぱなしだろうが」
相変わらず大変そうなクーウォンである。
それから一時間後、やっと世界樹近くの町に到着する。
「あ、なんか、参道みたい」
音羽の言葉に、風観も天も無言で同意する。
まっすぐに伸びる道の両脇には様々な店が軒を連ねていた。飲食店や土産物の店が多く、その裏が、住民たちの居住空間となっているようだった。
「実際、世界樹は御神木のような扱いで、参拝できるようになっているよ」
その拝殿の整備や、世界樹の管理をしているのが世界樹管理局なのだとアネッサは説明した。
「世界樹はどこに?」
風観が隣にいるクーウォンに聞けば、クーウォンは微笑を浮かべ上を示した。
「もう見えてるよ」
「え?」
見上げてみれば、なんと、大きく広がる枝葉が町を覆うようにしているではないか。
ざわざわという音は群衆の声ではなく木々のざわめきで、ゆったりと揺れる影は雲ではなく木陰だったのだ。
「ほあー、でっか!」
天が思わず素直に歓声を上げれば、近くの店の主が豪快に笑った。
「そうだろうそうだろう! おかげで、俺たちの商売も順調さ!」
しかし三柱が不調だというのに、店にも人々にも陰りはない。とても賑やかで明るく、何か問題が起きているようには見えなかった。
「さあ、こっちだよ。ついておいで」
アネッサが向かった先は参道のような通りの裏。居住区域からも大きく離れた、静かな道だった。石畳で舗装されていて、ずいぶんと開放感のある景色が広がっていた。
先ほどの喧騒がうそのように遠ざかり、聞こえるのは風と木の葉がこすれる音ばかりだ。それもまるで雷鳴のようである。
石畳の道を行けば、やがて世界樹にたどり着く。
連絡樹も確かに大きかった。しかし世界樹はもっと大きい、いや、比にならないほどであった。どうやらここは拝殿の裏側らしく、世界樹を管理する人々だけが立ち入れる場所のようであった。
「え、私たち、ここに来ていいの?」
ふと思いついたように音羽が呟くと、風観は少々不安そうにささやいた。
「いや……アネッサさんが来ていいっていうんだから、いいんじゃないか?」
「ほんとに? ちゃんとアポとってんの?」
天が何気なく言うと、三人はさりげなく視線を合わせた。
音羽たち三人が小声でそうやり取りしているとはつゆ知らず、アネッサは世界樹の近くにいた女性に声をかけた。
「やあ、ミオ」
真っ黒な洋服の上から真っ白なローブを身にまとうその人は、世界樹を管理している者の一人であるようだった。長い黒髪を一つに束ね、目元には朱を入れている。音羽は彼女を見て、巫女のようだと思った。
「アネッサさん。ようこそ、お待ちしておりました。そちらが例の三人ですね」
その人はにっこりと笑い、深々と頭を下げると言った。
「私、世界樹管理責任者のミオと申します」
ミオは皆に視線を巡らせて続けた。
「三人のお話は聞いております。何でも、確かな実力を持つ、将来有望な魔法使いだと」
「え?」
思わず三人はアネッサを見やる。アネッサは少しも悪びれることなく「事実だろう?」と笑っている。
ミオは困惑する三人をよそに続けた。
「世界樹の……三柱のことに関しては、皆さまもご承知かと思います。今、三柱は非常に機嫌が悪い、といいますか、すねている、といいますか。まともにお話ができないでいまして……」
ミオという女性は優秀なのであろうが、その彼女にして困惑しているようである。眉を寄せ、すがるような視線を音羽たちに向けた。
「ぜひ、皆さまのお力をお借りしたいのです」
ミオがそう言った時、轟音にまぎれて音羽の耳に小さな音が入ってきた。
すすり泣くような、かんしゃくを起こした子どもの声のような、悔しくうめく声のような。しかし、他の者たちには聴こえていないようで、きょろきょろとあたりを見回す音羽に、胡桃が不思議そうに声をかけた。
「どうした、音羽。何か、気になるか?」
「子どもの鳴き声? なんか、そういうのが聴こえるのだけれど……」
音羽のその言葉に、アネッサとミオは視線を交わした。
ミオは声を潜めて音羽に言った。
「おそらく、三柱の声です。なんとおっしゃっているか、分かりますか?」
音羽は頷き、意識を耳に集中させる。視界がだんだんと狭まり、肌の感覚が鈍くなり、呼吸がゆっくりになる。
雷鳴の中、子どもの様な声が聴こえる。焦らず、ゆっくり、たどっていく。やがて音だけでなく、魔力も聴こえてきた。三柱の魔力を聴いたことがない音羽だが、この圧倒的に澄み切った音は、明らかに三柱のものであると確信した。
『……ねえ、お菓子、お菓子が食べたいよぅ』
『甘露草だけじゃ足りない!』
『こんなに頑張ってるのに、甘いもの、食べられないの?』
はっきり聴こえた声に、音羽は困惑する。
「……えっと」
どう伝えればいいのか分からない音羽は、聞こえたありのままを口にした。
「やはり、甘味でしたか……」
頬に手を当て、実に深刻そうにミオは言った。
「何とか甘露草を調達することはできたのですが、やはり、足りなかったようですね」
「参拝客も増えて、ずいぶん力を使うだろうからね」
クーウォンの言葉に、胡桃と音羽は昨晩の会話を思い出して視線を交わした。と、音羽の耳に、また、声が入ってきた。
『そんなに優秀なら、お菓子持って来てよぅ』
『甘い花! 甘い霧! 甘い星!』
『持って来てくれないの?』
先ほどよりくっきりと聞こえたその声に、音羽はゆっくりと視線だけで上を見る。枝といっていいものか、その部分だけで普通の樹の幹の何倍もありそうな枝の上に、魔力の音を聴いた。
「ねえ、風観。あそこ、何か見える?」
かすれたような声で音羽は風観に聞く。風観は小声で問い返した。
「どこだ」
「あの枝の上」
風観も音羽と同じ場所に視線を向ける。ぼんやりと霧のようなものがたゆたっているのを視て、風観は意識を集中させた。
と、確かにそこには、三人の子どもの姿があった。赤色の服を着た子供は泣き、青色の服を着た子供は憤り、黄色の服を着た子供はすねていた。おそらくそれが三柱なのだろうと、風観は思った。
「……コロポックル?」
風観のつぶやきに、ミオと話していた天が振り返る。
「世界樹の三柱はコロポックルの姿だよ」
視えたのか、という天の問いに風観は頷いた。
「じゃあ、あれが神様か……ものすごく機嫌を損ねている」
「視えたのか。それはすごい」
クーウォンは少し驚いたように言った。
「それで、三柱はなんと?」
急かすようにミオが風観に詰め寄る。風観は「俺は声を聴いていません」と言って、音羽の方を向いた。
「どうなんだ、音羽」
音羽は三柱の声に頭を揺さぶられるような感覚に陥りながら、ゆっくりと答える。
「甘い花、甘い霧、甘い星……と。とにかく、お菓子を持って来てくれって言ってます」
「他には?」
「いえ、何も」
首を横に振る音羽を見て、ミオは難しい顔をしてうなだれた。
「花や星を模したお菓子も、霧に似たお菓子も供えてみたのですが……あれではだめなのでしょうか」
一方の音羽は何か心当たりがあるようで、すっかり考え込んでしまっている。その様子を見たアネッサが口を開いた。
「だめなんだろうねぇ。おそらく三柱は、そのものが食べたいのだろう」
「そのものって?」
ミオの問いにアネッサは、当然というように答えた。
「甘い花、甘い霧、甘い星そのものだよ」
「……そんなもの、存在しますか?」
ミオは驚いたように聞き、アネッサの答えを待った。アネッサはにっこりと笑って言った。
「まあ、任せてくれたまえ」
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