第12話 静寂
「おかえり。町はどうだった?」
クーウォンがにこやかに出迎える。お茶を用意していたらしく、店内には華やかな香りが漂っていた。店の奥にある来客用のソファとテーブルには、お茶とともにお菓子が用意されていた。小さく丸いクッキーにたっぷりとチョコレートがかかっているもので、花の形をした可憐な砂糖菓子がちょこんとのっている。ティーカップも皿もシンプルな柄でありながら、おしゃれだ。
三人は横長のソファに並んで座り、胡桃とクーウォンは一人掛けのソファにそれぞれ座った。
「すごかったです」
音羽が興奮気味に言えば、クーウォンは頷いた。
「はは、そうだろう。僕も一緒に行けたのなら、おすすめの店を紹介したのだけれどね」
「私も一緒に行けたらよかったんだがなあ」
凝りていない様子のアネッサが、自身の作業机に座り、少々不本意そうな表情でティーカップを持ち上げる。
紅茶は、透き通った鮮やかなオレンジ色をしていた。甘い香りは、きんもくせいにも似ている。
「まあいい。また今度、一緒に行くとしよう」
アネッサは一つ息をついて、表情を引き締めると言った。
「さて、明日のことなんだが。さっそく世界樹に行ってみようと思う」
その言葉に音羽は背筋を伸ばし、風観は持っていたカップを置いた。天もいつになく真剣な表情をしていたが、アネッサは表情を緩めて続けた。
「なに、取って食われるわけでもないんだから、気楽にいればいい」
「アネッサが緊張感無さ過ぎるんだよ」
と、クーウォンは空になった胡桃のカップにお茶を継ぎ足す。胡桃はカップを受け取ると、三人に向かって言った。
「でも、アネッサ、あんまり間違ってない。神様、結構身近な存在。子どもたち、よく一緒に遊んでる」
アネッサは頷くと、時計を見て言った。
「明日は早くに出発するからね、早く休めるようにしよう」
閉店作業を終え、三人はアネッサについて螺旋階段を上っていく。やがて現れた素朴な木の扉を開けると、店のきらびやかな内装から一転、落ち着いた雰囲気の空間が広がっていた。
シャンデリアの明かりは穏やかな橙色、部屋全体も、暖色系の家具で整えられていた。他にも部屋があるらしく、扉もたくさんある。ここはリビングでもありダイニングでもある部屋の様だった。
「少し待っていてくれるかい? 準備をしてくるから」
アネッサはキッチンがあるらしい部屋へ向かった。胡桃は「風呂とか、布団とか、準備しとく」と言って、またアネッサとは別の部屋へ行ってしまった。
残されたクーウォンは魔法でテーブルセッティングをしながら、三人に言う。清潔に洗濯されたテーブルクロスに、銀色に輝くフォークやナイフが意思を持ったように踊り、定位置に着く。
「泊まる部屋なんだけどね。音羽は胡桃の部屋、風観と天は僕の部屋でいいかな? あいにく狭い家だから、客室というものがなくて」
「はい。それはもちろん」
ダークウッドのテーブルには椅子が六席設けられていた。音羽たちは並んで座ることにした。
アネッサより一足先に戻ってきた胡桃が音羽の前に座った。
食事のために髪をまとめた音羽を見て、胡桃が「あっ」と嬉しそうに声を上げる。
「音羽、似合ってる。赤いシュシュ、音羽の髪、よく映える」
「ふふ、ありがとう。明日もつけて行こうと思ってるの」
音羽は髪を結ったシュシュに手を触れてはにかむ。胡桃は真剣な顔で頷いた。
「それがいい」
「あ、胡桃。音羽の前に座ってる」
料理を持って来たアネッサが、少し不本意そうに言う。胡桃は当然というように頷いて言い返す。
「こういうの、早いもの順」
「そんなの、準備をしている私が不利に決まってるじゃないか」
アネッサが持ってきたのは、大きな肉が入った濃いブラウンのシチューに、切り分けたパンだった。
「ビーフシチューみたいだ」
風観が呟くと、向かいに座ったクーウォンが笑って言った。
「まあ、似たようなものだね。パンをつけて食べるとうまい」
「食べ方も似てますね。俺はご飯入れるのも好きです」
「ご飯かあ。それもいいね」
材料に少しの相違はあれど、食文化にも共通する部分は大いにあるらしい。
アネッサは胡桃とクーウォンの間に座る。
「では、いただこうか」
「いただきます」
大きな肉は固そうにも思えたが、スプーンを入れるとほろりとほどけた。デミグラスソースに似た香りのコク深いソースに、噛みしめるほどうま味が増す肉、そして、ほろほろに煮込まれた野菜。三人はすっかり気に入ったようだった。
「そういえば、いろいろなところにつながる扉はどこにあるの?」
音羽が聞くと、アネッサはパンを取りながら答えた。
「私の部屋だよ。見せてあげたいのは山々だが……今はちょっとね」
含みのある様子でいうものだから三人は思わず視線を交わす。しかしそこに、クーウォンが冷静に言葉を発した。
「本が散らかり過ぎて足の踏み場がないんだ」
「あ、なるほど」
「だから連絡樹を使ったんだよ。決して、無意味ではない。それに、三人を楽しませたいと思ってだな」
アネッサが堂々と悪びれることなく言うと、クーウォンはパンをちぎりながらずばりと返す。
「後者の理由は肯定してやらんこともないが、前者はアネッサが片づけをすれば解決することだろう」
クーウォンの言葉に何も言い返せないアネッサを胡桃は面白そうに見ていた。
「これおいしいなあ」
天はスープにパンを浸し、それをすくって食べる。
「ビーフシチューみたいだけど、また違った感じ。おいしい。うちで作れないかな」
「あとでレシピをあげようか」
アネッサの嬉しそうな言葉に、天は頷いた。
「はい。ぜひ」
こうして楽しい夕餉を終え、就寝の時間となった。
胡桃の部屋は白と淡い黄色、薄桃色で統一されていた。本棚にはたくさんの本が並んでいて、机には地図が広げられている。
胡桃のベッドの横に、音羽のベッドがならんでいる。簡易的なものらしいが、布団はふかふかで寝心地は良さそうだ。
布団に横になり、明かりを消す。
しかし思った以上に頭が興奮しているらしく、なかなか音羽は寝付けないでいた。何度目かの寝返りを打った時、胡桃が声を発した。
「眠れないのか?」
「ごめんなさい。起こしちゃった?」
「もとから、眠りは浅い方。平気だ」
「そう」
音羽は苦笑した。
「思ったより舞い上がっちゃってるみたい。楽しみというか、緊張というか……逃げ出したいような、この時間がずっと続いてほしいような……そんな感じ」
「その気持ち、少し、分かるかもしれない」
胡桃は天井を見上げたまま続ける。天井には、豪華ではないが美しいシャンデリアが、今は暗く佇んでいる。
「私、生まれは、この町じゃない。もっと、ずっと、遠いところ。冬になると、雪で閉ざされるような、そんな村」
「へえ、そうなの?」
「この町、初めて来たとき、眩しくて目がつぶれそうだった」
と、胡桃はおどけたように両眼をこすった。その様子に音羽はくすっと笑った。その声を聞いて、胡桃も少し安心したように笑った。
「あまりの明るさに、逃げたくなった。でも、その明かりに、触れてみたいと思った。それで、今、ここにいる」
「アネッサとは古い知り合いなの?」
音羽のその問いに、胡桃は複雑な表情を浮かべた。それは困惑とも、呆れともとれる表情だった。
「うちの村、織物が特産品。どんな吹雪も、ものともしない、暖かい織物、ある。アネッサ、それ欲しくて、うちの村までわざわざ来た」
そこまで言うと、胡桃は実に遠い目をした。何だろう、と音羽は黙って話を促す。胡桃はため息一つすらつかず、淡々と言った。
「その頃、織物は、町にも出荷してた。今もそう。簡単に手に入る。でも、アネッサ、製作者の人たちのことも見たいって、来た。しかも、歩いて」
「歩いて?」
「公共交通機関、うちの村まで、続いてない。途中まで、電車、バス、ほうき、乗り継いで、村までは歩いて来た」
そこでやっと胡桃は長い息をつく。
「しかも、村に着いた時、アネッサの所持金、ほぼ、ゼロ。あの時期、村に来るの、野生動物くらい。村の人、驚いて猟銃構えたくらい」
「命拾いしたわね、あの人……」
冗談でもなく音羽が言うと、胡桃もしみじみと頷いた。
「そう。アネッサ、夢中になると、後先考えない。最初、変なやつと思った。でも、面白い人だった。この人、着いて行けば、退屈しない。そう思って、この町、一緒に来た」
胡桃は音羽の方を向いた。暗闇に慣れた音羽の視界に、胡桃の姿が映る。
「長いこと、この町で、アネッサの手伝いをした。楽しいこと、たくさん。でも、今日はなんだか、いつもよりもっと楽しい。音羽は、楽しい?」
胡桃の問いに、音羽ははじける笑みを浮かべてすぐに答えた。
「もちろん! 見たことないもの見たり、おいしいもの食べたり……時間が足りないくらいよ!」
「そうか」
胡桃は穏やかに笑った。音羽も、屈託なく笑う。
「明日、実は結構楽しみなの」
「私もだ。世界樹には、久しぶりに行く」
二人とも、少しずつ声に眠気が含み始めていた。
「あそこ、観光地みたいになって、人、増えた。神様、楽しそう。でも、たぶん、それで、疲れてる……」
「疲れた時って、甘いものが染みるわよねえ……」
やがて二人、深い眠りに落ちたのであった。
その頃、クーウォンの部屋では風観と天が盛り上がっていた。
「うわー! これ、すっごいですね! 何ですこの細かい装飾!」
天が手に持っているのは水晶のような石だった。一見すると何もないように見えるが、光に透かすと、実に緻密で華やかな模様が浮かび上がる。クーウォンは楽しげに笑い、ベッドに腰掛けた。紺色を基調としたその部屋は、几帳面な彼の性格を表すように、きっちりと整えられていた。壁には細かい柄のタペストリーが飾られている。それも、クーウォンの手作りらしい。
「手先は器用な方なんだ」
「いやこれはもう器用で片付くようなものじゃないでしょう……」
風観は風観で、繊細なレース編みの布を持っている。手触りは絹のようで、触れた肌は暖かくなる。クーウォンははしゃぐ二人を見て言った。
「うちの村にはもっと器用な人がいたよ。僕は基本ができるだけ」
「え、これが基本?」
「うちの特産品を織るにはもっと繊細な技術が必要なんだ。僕は力もないし、村での働き口がなくてね。胡桃はその点、驚くほど力持ちで、村でも重宝されていたよ」
天は石を机にそっと置く。風観も慎重に布をたたみながら、クーウォンに聞いた。
「お二人、そろって村を出られたんですよね」
クーウォンは頷いて言った。
「そうだよ。胡桃はアネッサに着いて行った方が楽しいと思ったらしい。僕は働き口もなかったし、胡桃の世話係として着いて行くことにしたんだ」
「村の人には、引き留められなかったんですか?」
そう聞くのは天だ。クーウォンは面白そうに笑うと、首を横に振った。
「むしろ喜んで送り出されたさ。外に出て、うちの村のことを宣伝してきてくれ! ってね。雪で閉ざされる村ではあるが、人はそれなりにいるから、人手には困らないのさ」
いやあ、大変だったよ、とクーウォンはその時のことを思い出すように、遠い目をした。
「アネッサに着いて行ってみれば、店の経営は傾きかけていたし、貯金どころか借金ばかりが積もっていてね。毎年、増えるのは売上じゃなくて利息ばかり。やっちまった、って一瞬、胡桃と二人で思ったよ」
「それは……」
困惑する二人を横目に、しかしクーウォンは明るく笑って言ったものだ。
「もう、そこからは必死でね。二人で頑張って店を立て直したんだ。アネッサの生活環境の改善もね。借金は全額返済、売り上げから、貯蓄に回す余裕もできた。まあ、今でもアネッサの奔放さは変わってないわけだけど……昔に比べたら、考えるようになった方かな」
その声音は厳しいわけでも呆れた様子でもなく、ただ穏やかだった。その様子から、厳しい態度を取ってはいるが、クーウォンはアネッサを大事に思っていることがよく分かった。
クーウォンは時計に視線をやると言った。
「さあ、もう休もう。明日は早い」
「分かりました」
五人が寝静まるころ、アネッサは一人、自分の部屋で本を開いていた。
壁はすべて本棚になっていて、隙間なくぎっちり本が詰まっている。それでも足りず、あふれ出す本は床に寝そべり、いくつかは浮遊し、いくつかは開かれたままテーブルに置きっぱなしになっている。部屋の中央に重厚なテーブルと椅子があり、隅の方にささやかなベッドが置かれていた。
わずかな月明かりが差し込む書斎でアネッサは古い本のページをめくる。
「……まともに移動したことなんてないから、どうすればいいのか皆目見当がつかないな」
どうやら、世界樹に行くための経路を考えているようだったが、いかんせん、思い付きと勢いで乗り切ってきた彼女である。まともな移動方法など思いつきもしない。
「いざとなれば、胡桃の馬車で行くとしよう。荷台に乗れば、何とかなるだろう」
そうアネッサがあっけらかんと呟いた時、胡桃の愛馬がそろってくしゃみをしたとか、しなかったとか……
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