第11話 魔法の街

 淡いオレンジ色を基調とした建物が多いその町は、大勢の人でにぎわっていた。食べ物を売っている店から、何に使うのか分からない不思議なものを売っている店までそろっていて、どこかで見たことがあるような、それでいて、どこでも見たことのないような世界が広がっていた。

 胡桃は馬車を留めてくると言って、町の入り口でいったん別れた。

「夢を見ているみたいだわ」

 紐でつるされているわけでもなく、浮遊するランタンがぽわぽわと揺れる大通り。音羽はうきうきとした足取りで歩く。

「アネッサさんのお店はどこにあるの?」

「こっちだよ。分かりづらいところにあるから、はぐれないようについておいで」

 人の間を縫うように進み、大通りから一本道を逸れれば、嘘のような静寂が広がっていた。

 折り重なるように階段や建物が上へ上へと連なり、見上げても空がうっすらとしか見えないほどだ。この空間は、大通りからは完璧に見えないようになっているらしい。

「こんな場所にあって、商売は大丈夫なんです?」

 風観がはっきりとした口調で聞けば、アネッサは面白そうに笑った。

「まあ、うちはどちらかといえば君たちの世界に住む魔法使い相手の商売が中心だからねえ。そこまで支障はないかな。まあ、こちらの世界に住む人たちからしてみれば、不便極まりないようだけれど」

 そこは商売を立ち行かせるためにも色々と工夫をしているらしいが、それは企業秘密だとアネッサははぐらかした。

「さあ、ここだよ」

 ずいぶん上ったところでアネッサが示したのは、焦げ茶色の重厚な扉だった。美しくきらめくステンドグラス、ドアノブは年季の入った金色だ。扉にはこちらの世界の文字で『魔法道具専門店 ポラリス』と書いてある洒落た看板が掲げられている。

「いかにも魔法の店って感じ」

 天が言うと、アネッサは嬉しそうに笑った。

「それでは三名様、ご案内」

 と、アネッサが扉を開けた瞬間だった。

 三人が店内を見回す前に、奥から声が飛んできた。

「アネッサ! やっと帰ってきたのか!」

 鋭いその声の主は、胡桃の雰囲気とよく似ていた。

 細い目を覆う、切りそろえられた髪は濃い緑色に群青色のメッシュが入っている。狩衣風の服装で、ズボンのすそはキュッと閉まっていた。上着にはこちらの世界の伝統意匠があしらわれていておしゃれだ。

「連絡樹を利用するなら前もって相談してくれ。君だっていくらかかるかぐらい、分かっているだろう」

「ああ、クーウォン。それについては悪かったと思っているよ。あとでお叱りは受けるから、今は抑えてくれ」

 クーウォンに詰め寄られたアネッサは困ったように笑う。クーウォンは視線をアネッサの後ろに移した。

「今日はお客人がいるんだよ」

「ああ、君たちか」

 クーウォンは咳ばらいをすると、打って変わって愛想のいい笑みを浮かべて、穏やかな声音で言った。

「初めまして。僕はクーウォン。この店で職人をしている。行きがけに胡桃とは会ったかな?」

「あ、はあ、はい」

「あの子は僕の双子のきょうだいなんだ」

 だからか、と三人は無言のうちに納得した。どことなく似ているのはそのせいか、と。

 落ち着いたところで店内を見回す。ふわふわと漂う光は程よい明るさで、温かく穏やかな内装だ。所狭しと並べられた魔法道具、奥の方には作業部屋があるらしい。螺旋らせん階段は掃除が行き届いていて、それはアネッサたちの居住空間まで続いていた。

「もう世界樹へ?」

 クーウォンはアネッサに尋ねる。アネッサは緩く首を横に振った。

「いや。今日は移動もあって疲れていると思うから、明日向かうよ」

「ああ、それがいいだろう」

 しばらくして、胡桃が戻ってきた。

「ただいま」

「おかえり、胡桃」

 クーウォンは胡桃を見ると、何か思いついたらしく手を叩いて三人に視線を向けた。

「そうだ。君たち、せっかくだから町を見てきてはどうかな?」

 その提案に、三人はそわっと反応する。

 世界樹へ向かうのが目的とはいえ、これだけの町の姿を見せつけられて、見て回りたいと思わないわけがなかった。

「胡桃、一緒に着いて行ってくれるか」

「任せろ」

 胡桃は喜んで首を縦に振った。

「クーウォンは、どうする」

 胡桃の問いに、クーウォンはにっこりと笑う。いや、目は笑っていない。それを見てアネッサがそろりと逃げ出そうとするが、クーウォンはアネッサのローブのフードをつかんで言った。

「アネッサと話すことがあるから」

「分かった」

 胡桃に促され、三人は店の外に出た。うっすらと聞こえるクーウォンの鋭い声と、アネッサの取り繕うような笑い声を聞きながら、胡桃は言った。

「ついてきて。はぐれると、厄介」

 先ほど通った階段を降り、再び大通りに出る。

 行きかう人々は様々な格好をしていて、中には、人のようで人ではない姿の者もいた。例えば、人の姿をしているが狐のような耳としっぽを持っていたり、二足歩行の猫のような姿だったり、背中に透き通る羽をもつ小さな人型だったり。その誰もが様々な言語で話し、思い思いに店を見て回っていた。

「ほんと、ひたひたに魔力が満ちてるーって感じ」

 大通りを行きながら、天は言った。風観も頷く。

「これだけ魔力が満ちていても酔わない」

「確かに。むしろ自分たちの世界にいるより心地いいかも」

 音羽が言うと、前を行く胡桃が三人を振り返って説明した。

「生き物はみんな、多かれ少なかれ、魔力を持ってる。魔法使いほどでなくても、魔力が強い人は、いろんなものが見えたり、聞こえたりする。人は、霊感とかいってる」

「あー、霊感」

 そういえば小学生の頃、霊感があるとかないとかで口論になっていたことがあったなあ、と音羽は思い出す。胡桃は続けた。

「こっちの世界、どんな人でも、魔力の調整ができるように、教育を受ける。魔法を管理する施設も、法律も、病院もある。だから、ここに満ちている魔力、質がいい。でも、君たちの世界、魔力のこと、何も考えない。つまり、ごちゃごちゃしてる」

 胡桃は立ち止まると指を立てて、実に真剣な表情で言った。

「お酒と一緒。質のいい酒、悪酔いしない。混ざりものたくさんの酒、悪酔いする。いい酒でも飲み過ぎたらだめ。管理の必要ある。こっちの世界、質のいい酒。飲む量の管理もできる。だから、酔いづらい」

 飲酒の出来ない三人ではあるが、なんとなく、胡桃の言いたいことは分からないでもなかった。胡桃はくるりと方向転換をし、再び歩みを進めながら続けた。

「質のいい酒、合わない人もいる。混ざりものたくさんでも、飲める人いる。そこは体質の違い。一概にこの世界の魔力、いいとはいえない。でも、君たちの世界よりは、マシ」

「それはまあ、確かに……」

 大通りに並ぶ店はどこまで行ってもにぎやかで、目を引くものも多かった。いい香りが漂う屋台、きらめく宝飾品が展示されている店、見たことのある形だが見たことのない色をした果物を売っている店――

 音羽はきょろきょろとあたりを見回す。

「この辺りはきれいな装飾品を打っている店が多いのね。あれは……髪飾りかしら?」

 ある店に音羽が向かおうとしたとき、風観が音羽のローブを引っ張って止めた。音羽は怪訝そうに風観を振り返る。

「なによ」

 風観は店の方を見つめたまま、眉をひそめて小声で言った。

「あの店は、やめた方がいいと思う」

「え?」

 音羽は驚いたように風観に視線を向け、無言で説明を促すが、風観は風観でどう説明したものかと悩んでいるようであった。

「風観の、言う通り」

 風観の言葉を次いで、胡桃は音羽の前に立って言った。

「あの店、おすすめしない」

「そうなの?」

 胡桃は頷くと、道の隅の方に寄って、三人に近寄るよう、手招きをした。声を潜め、胡桃は言う。

「この辺のお店、ぼったくり、多い。観光客狙い。一度捕まると、何か買うまで、離してくれない。いい店もあるけど、気を付けた方がいい」

「こっちの世界にも、そういう店があるのねえ……あ、でも」

 音羽は風観を見て聞いた。

「風観、どうして分かったの?」

「……視えるんだよ」

 風観は腕を組み、息を一つつく。

「魔力を持つ生き物は、多かれ少なかれ、魔力がにじみだす。その揺らぎとか色とか……まあ、そういうのを視ると、なんとなく分かるんだよ。その人の考えてることとか、気分とか。完璧ではないけど」

「へえ……そうなの」

 音羽は感心したように呟き、天はうんうんと頷いている。胡桃は風観を見上げた。

「お前、目がいい。あの店の主、魔力少ないから、揺らぎがあまり視えない。だからみんな、だまされる」

「すごいねえ、風観」

「あんた意外とやるじゃないの。口先だけじゃないのね」

 口々に言われ、風観は決まり悪そうに視線をそらす。しかし嫌な気はしないようで、頬が少し緩んでいた。胡桃は「よしっ」と仕切りなおすように頼もしく笑って手を叩いた。

「いい店、教えてやる。ついて来い」

「おー」

 しばらく歩いてたどり着いた場所は、きらびやかではないがそれなりに人が多い通りだった。

「この辺は、町の人間、よく使う。変な店、ない」

 開放感のあるカフェに昔からあるらしい雑貨屋、様々な総菜を売っている店もあった。飲み屋らしい店もあって、早々に酔っ払ったらしい客が暖簾をくぐっている。見たことのないような商品を売っている店も並んでいるが、確かに生活感のある空気だった。

「なんか、気になるもの、あるなら言え。アネッサから、軍資金、もらってる」

 胡桃はあるところを指さした。

「この、オレンジ色の通り、この中だったら、自由に動いていい」

 よく見れば、通りには様々な色のレンガが敷き詰められている。普段使いの店が並ぶ通りは濃いオレンジ色のレンガ、胡桃が観光客向けの店が多いと言っていた通りは薄青いレンガだ。

 音羽はまず、雑貨屋に寄った。

 光の当たり具合で色が変わって見える宝石があしらわれたバレッタ、ゆらゆらと蝶の羽が羽ばたくかんざし、鈴のような音色を奏でる耳飾り。どれも夢の中で見たことがあるようなものばかりであった。

「どれもきれいねぇ」

「音羽、こういうの、好き?」

 胡桃は、散っては開き、散っては開きを繰り返す宝石の花が揺れる簪を手に取って聞く。

「ええ、見ているだけでもワクワクするわ」

 音羽は、まるで宇宙を閉じ込めたような色の石を鳥の羽の形に削り出した髪飾りに触れる。音羽の指先に触れたところが、オーロラがきらめくように色が変わる。それを映した音羽の瞳も、神秘的に輝いた。

「わ、すごい」

「感動してるところ、悪いけど、この辺、値段、すごい」

 胡桃の柔らかな忠告に、音羽はすぐさま手をどけ、名残惜しそうに笑った。

「ふふ、そうよねえ。これだけきれいなんだもの……ちなみに、おいくらくらい?」

「さっきの髪飾り、例えば、その金額、うちの店に入ったら、アネッサ、無茶しても、ふた月はクーウォンが上機嫌」

 その例えはなんともいえないが、胡桃の言わんとするところはなんとなく察した音羽だった。音羽の苦笑を見て、胡桃はくすくすと笑っていた。

 その後、比較的手ごろな値段の髪飾りを胡桃に教えてもらい、音羽は一つだけ、買うことにした。真っ赤なバラのような生地に細かい星の飾りが散りばめられたシュシュだ。

「音羽、よく似合う」

「そう? ありがとう」

 音羽は大事そうに、シュシュをローブの内ポケットにしまった。

 一方その頃、天は衣料品店を覗いていた。

「ほあー……やっぱいいものは、高いんだなあ」

「生地とかも売ってるんですね。これはえらく薄っぺらい……うっわ、なにこの値段」

 風観の手には、花嫁のヴェールのように純白で、春の夜明けの空にたゆたう雲のように薄い布があった。

 天はその布を見ると説明した。

「あー、それは雪山にしか生息してない花から紡いだ糸で織ったやつだね。寒さに耐えるために魔力がこもった花で、その薄さだけど、かなり温かいよ」

「へえ……」

 試してみたい気はあったが、値段を見た今、身にまとう勇気など風観にはなかった。

「あ、こっちなら手が出せるんじゃない? わー、これいいねー」

 天は何やら古代文字らしきものが描かれたTシャツを掲げた。彼らも魔法使いの端くれなので、その文字は読めた。

「……俺たちの世界でいえば、あちこちの地名が書かれてる、って感じですかね」

「だね。やっぱ全部が全部、違う文化ってことじゃないんだあ」

「俺は遠慮しときます……」

 胡桃から軍資金を受け取っていた天は、うきうきとレジへ向かった。

 風観は衣料品店の向かいにある書店へ赴いた。古い本が多い。どうやら古本屋のようであった。古びた紙の香り、擦り切れた文字、触れただけで朽ちてしまいそうな表紙。

 たまにしゃべりだす本もあったが、店主が「おしゃべりで悪いねえ」と表紙をなでると落ち着いた。

 本から飛び出したらしい文字たちが踊る本棚を横目に、風観は店内をくまなく見て回った。

 一冊、気に入った本があったらしく、風観はそれを買った。おまけについてきたしおりは、今の空と同じ、夕暮れの色をした鳥の羽だった。

「そろそろ帰ろう。クーウォン、落ち着いてるはず」

 各々満足のいく戦利品を手に入れ、アネッサの店へ戻ったのだった。

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