第14話 至上の甘味

「思い当たるものはあるわ」

 そう言う音羽の表情は複雑そうだった。

 あれから、六人はアネッサの店に戻っていた。帰りに買った、世界樹の近隣にある町の名物のお菓子とクーウォンが入れた紅茶を囲んで座る。

 胡桃は、餅にも似たお菓子を手に取って音羽に聞く。

「難しい顔。何か、問題がある?」

「問題というか、何というか……」

 音羽は紅茶を一口飲む。今日の紅茶は甘さ控えめの、緑茶に似た味わいの紅茶だった。揺れる薄緑色の紅茶の液面を見ながら、胡桃は言った。

「それを手に入れるには、ひどく手間がかかるし、何より、手間がかかったところで手に入れられるかも確実じゃないの」

「そんなに大変なのか」

 風観が緊張の面持ちで聞く。

「それこそ、壱護さんの庭にないの? あそこなら大抵のものあるでしょ」

 天も言えば、音羽は首を横に振った。

「あの庭にあるのはあくまで、一般的に栽培が可能なものだけ。甘露草も手に入りづらいとはいえ、神様へのお供え物のために栽培されている。運が良ければ一般人の口に入ることもあるくらいだから」

 音羽はいったん言葉を区切り、ティーカップを置く。クーウォンは「つまり」とその言葉を次いだ。

「自生しているものを手に入れる以外に方法がないものは、栽培できない、ということか」

 クーウォンの言葉に、音羽は頷いた。

「そういうことです。高級品ではあるけど、禁制品ではない。希少なものだけど、頑張れば一般人でも手に入れることができる……そういうものしか、祖父の庭にはないんです。そもそもこちらの世界から私たちの世界に持ち込むだけでも厳しい審査があるから」

 音羽は屋敷の庭を思い出す。

 あの庭は、永い永い時をかけて、歴代の主たちが繁栄させたものなのだ。その庭を守るためにも、自分が主になる必要がある。

 それには、世界樹の回復が必要不可欠なのだ。

 音羽はぐっと顔を上げる。その表情にはもう、迷いはなかった。

「なんとしても探すわよ。今から言うものが、一番の有力候補。それがだめなら別のものを探すわ」

「よしきた」

 天は笑って頷き、風観も黙って頷く。アネッサも、胡桃も、クーウォンも、頼もしく音羽を見つめていた。

 音羽はアネッサに頼んで、ずいぶん古い魔法図鑑を持ってきてもらった。

「これなら、たいていのことは載っているはずだ。新しいことは随時更新されているからね」

「え、わざわざ自分で書き換えてるんですか」

 天が聞くと、アネッサは首を横に振った。

「この本には魔法がかけられていてね。変化があると、自動的に書き換えられるのさ。もちろん、以前に書いてあったことも見られるから比較もできる。耐火魔法や防水魔法なんかもかかっていて、そう簡単に傷つかない」

「へえ……」

「その分、値は張るのだけれどね。発行部数も少ない」

 音羽が目次を見て開いたページには、バラの花に似たものの絵がのっていた。茶色い花びらの周りには、小さな人型が舞っている。それはどうやら、妖精のようであった。

「まずは甘い花。これはショコラローズといって、花そのものがお菓子なの。ものすごく甘いチョコレートの味がするらしいわ」

「へー、花そのものがお菓子になってるんだ。そんなのがあるんだね」

 天は興味深そうに図鑑のページを見る。

「妖精が栽培してる……なるほど、人間の魔力では栽培できないってことなんだね」

「散りもしなければ砕けもしないから、昔は結婚式に使われていたの。昔、妖精と人間が近しい存在だった時はそれなりに手に入って、祝福の花ともよばれていたわ。妖精たちと離れた今では、まずお目にかからないわね」

「散りも砕けもしないなら、どうやって食べるんだ」

 風観が聞くと、音羽は図鑑の説明文をなぞりながら答えた。

「衝撃に強いけれど、熱には弱いのよ。だから、加熱するとすぐに溶ける。神様がどう食べるかは分からないけれど」

 音羽はそこまで説明すると図鑑のページをめくった。

 次に現れたのは、山の絵だった。これはずいぶん新しい絵のようである。たびたび確認されなくなる植物があるから、と音羽は前置きしたうえで言った。

「甘い霧は、この山の噴火よ」

「噴火?」

 風観と天は不思議そうに復唱するが、アネッサは何かピンと来たようである。胡桃とクーウォンは難しい顔をしている。

 音羽は面々の表情を見て、話を続けた。

「この山がある土地はお菓子の材料になる植物の群生地なの。そしてこの山そのものもお菓子のようなもので、噴火したときに生まれる霧が、そりゃもう甘いのよ。甘霧あまぎり、って名前がつけられるくらいにね」

「じゃあ、その霧を集めるのか?」

「いや、それは難しいだろうね」

 風観の問いに、音羽の代わりにアネッサが答える。

「その霧は、どんなに密閉された容器に入れても、気づいた時にはなくなっているんだ」

「じゃあどうやって持って帰るんです?」

 天の問いには、クーウォンが糸を巻くようなしぐさをしながら答えた。

「巻くのさ、糸のようにね」

「そんなことができるんですか」

「ああ。その霧は普通じゃなくてね、細い糸の集まりなんだ。端の方から巻いていけば、確か綿あめのようになるんじゃなかったかな。そうすれば、持ち運びができる」

「でも、それ、すごく、難しい。すごく」

 胡桃は腕を組み、うなった。

「糸の端、見つけるの、至難の業。探しているうちに、霧、消えてしまう。昔、職人いた。でも、今、いない。おかげで、植物、育ちにくい」

 だから生息する植物が減っているのだ、とそこでやっと風観と天は合点がいった。

「そして最後。甘い星なんだけど」

 次に音羽が開いたページは、これまた古いものだった。絵どころか、書いてある文章も少ししかない。

「どこかの泉に映った星をすくい上げる。――星空の金平糖」

「これまた不確かな情報だね」

 天の言葉に、音羽はうなずいた。

「この泉に関しては情報が少ないんです。分かっていることといえば……」

 音羽はページの文字を指さしながら言う。かすれかけてはいるが、何とか読めるくらいである。

「その泉は寒い地域にあるということ、光の魔力をもつ者のみがすくい上げられるということ、すくう者は魔力が安定していること……かしら。あとは、かなりの魔力量がないと、甘くならないってことね」

 そこで、店内には沈黙が広がった。

 手に入れることが難しいだけでなく、どこで手に入れることができるのかすらも分からないような、そんなもの。

 手に入れられるのか?

 誰も口にはしないが、誰の頭にもその言葉がよぎった。しかし、その重苦しい空気からすぐに立ち直ったのは、音羽だった。

「やるしかないわ」

 沈黙を破ったその言葉に、胡桃が頼もしく頷いた。

「音羽の言う通り。やらなければ、解決しない。でも、やってみれば、どうにかなる」

「そうだなあ」

 アネッサもゆったりと笑み、それに同意した。

「やってみるほかないな」

 それぞれ、覚悟を決めた表情を浮かべ、再び本に視線を戻した。

「となると……優先事項は、甘い星がある場所だな」

 クーウォンが言うと、天がふと思い出したように言った。

「そういえば、クーウォンさんたちの故郷って、かなり寒いところですよね。泉も寒いところにある。何か、聞いたことないですか?」

 胡桃とクーウォンは顔を見合わせる。

「何かあったか? 胡桃」

「ちょっと待って、思い出す」

 考え込む姿がそっくりだなあ、と音羽が思っていると、二人同時に顔を上げたものだから少し驚いた。

「山、一番上、泉がある。そういう、言い伝え、ある。でも、口伝。文献とか、ない。代々、年長の村の人から、みんな、教えてもらってる」

「ああ。あれほど寒いのに凍ることなく、枯れることなく、こんこんとわき続ける泉があるらしい……とは聞いたことがあるな。到底、人間が近寄るようなところじゃないから、誰も確認に行ったことはないけど」

「きっとそれですよ」

 音羽は言った。風観もハッと気づく。

「採取の条件に、やけに魔力に関することが多いのは、そもそも実力のある者じゃないと、その泉に近づけないから?」

「ええ、それもあると思うわ。とにかく、行ってみる価値はあると思う」

 不確かなことも多いが、行くほかない。

 必要なものは三つ。ひとつひとつに全員で向かっていてはきりがないので、手分けすることにした。

 ショコラローズを育てている妖精は人見知りが激しく、怖がりということで、一番警戒されなさそうな音羽とアネッサが向かうことになった。甘霧は目のいい風観とその山に行ったことのあるクーウォンが、泉には魔力の条件を満たした天と土地勘のある胡桃が向かう。

「それじゃあ、出立は……できるだけ早い方がいいかな」

 アネッサは時計を見る。ちょうど正午を回ったころで、今から活動してもいいくらいであった。

「君たちがこちらの世界にいられるのにも限りがあるし……うん、それじゃあ、準備をしたらすぐに向かうとしよう」

 アネッサの言葉に、みんな頷いた。

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