第4話 魔法使い
「急に手紙なんてどうしたの?」
制服ではなく私服に身を包んだ音羽は、いつも通りふかふかのソファに沈み込むようにして座った。ティーセットを持ってやってきた壱護はその向かいに座る。
「すまないねえ、驚かせてしまったかい?」
「それはもう。何があるんだろうってずっと気になっちゃった」
音羽はティーカップを手に取り、注がれた紅茶を一口含んだ。濃い茶色をした紅茶は、ほのかに甘く、それでいてコク深い。
「実はね、音羽に頼みたいことがあるんだ」
かしこまった様子でそう言う壱護。音羽はカップを置くと「なあに?」と聞き返した。
壱護はまっすぐ音羽を見つめると、少しの間をおいて、真剣な声音で告げた。
「この屋敷の、主になってほしい」
壱護が発した言葉を音羽はしばらく理解できなかった。
「……屋敷の主?」
思わず聞き返せば、壱護はゆっくりと首を縦に振った。
徐々に言葉を理解するにつれ、音羽は混乱した。屋敷の主? どうして? それじゃあ祖父はどうするのだ? 次々と疑問が湧いて出てきたが、それを遮るように壱護は言葉を次いだ。
「実物を見てもらうのが早いだろうね。おいで」
壱護が立ち上がったのを見て音羽もおもむろに立ち上がり、彼に着いて行く。
着いて行った先は二階。あの扉の前だった。
腰に下げていた鍵の束から、壱護は一本の鍵を選び取った。それは深い金色に輝き、太陽の光を反射していた。
鍵穴にそれを差し込み回し、ゆったりと扉を開く。
「う、わ」
思わず声をこぼした音羽だった。
目の前に広がるのは広大な庭。見たことのあるようなないような植物たちが生い茂り、ふわふわと光の粒が舞っている。
いつも見ている、外から見えるきちんと整備された庭とは違う。それはそうだ。いつもの庭に行くには、一階の裏口を使うのだから。
足を踏み入れれば、ぶわっと小さな光が舞い、周囲からは小さく鈴のような音色が聞こえてくる。それにまぎれて、言葉の分からないささやき声も聞こえてくるようだ。
「ここ、なんなの? きらきらしてて、しゃらしゃらいってる。ここは何なの?」
音羽の問いに、自身も庭に足を踏み入れながら壱護は答えた。
「ここは、魔法の庭」
「魔法の……?」
「ああ。先ほど、屋敷の主になってほしいと言ったけれど、音羽にはこの庭を守ってほしいんだ」
「ちょ、ちょっと待って」
音羽は必死に自分をなだめた。
「魔法? 魔法って、どういうこと?」
「ふむ、説明するにはずいぶんと時間がかかってしまうが……」
壱護は少し考えて、音羽の問いに答えた。
「この庭は魔力をもつ者にしか守れないものだ。そして、私は魔力を持っていて、音羽も魔力を持っている」
幾分か落ち着きを取り戻した音羽は、恐怖や困惑とはまた違う何かを感じながらもう一度聞いた。
「つまり、おじいちゃんは……私は、魔法使い?」
「そうなるね」
「だから、この屋敷の主にってこと?」
「ああ。だが、強制ではないよ」
あくまで音羽の意思を尊重するつもりの壱護だったが、庭に飛び込んで来た一つの生き物にその言葉は遮られた。
「何を甘ったれたことを言っているんだ。これは決定事項だ」
その生き物の正体はセラであった。セラは「おい、お前」と音羽を見上げた。音羽はその生き物を見たことがある気がして、記憶をたどった。
「あ、こないだの」
「俺は壱護の使い魔、セラだ」
端的に自分のことを告げると、セラは険しい目をして言った。
「お前が魔法使いである以上、この屋敷を守るのは義務だ。拒否権はない」
「セラ」
壱護の制止も聞かず、セラは続けた。
「主に代わってもう一度言う。この屋敷の主となれ」
よく通るセラの声が響いた後、庭には静寂が広がった。怖気づいたか、しかしそれでも了承してもらわなければならないぞ。セラは厳しい目を向けていたが、音羽の浮かべた表情に面食らったようだった。しかし壱護はすべて見通していたというように、穏やかに笑った。
音羽は、それはもう朗らかに、まるで幼い子供の様な屈託のない笑みを浮かべて言った。
「もちろん! 引き受けるわ。ああ、魔法が使えるだなんて夢みたい!」
紺色のフレアスカートをひるがえし、クルクルと踊るように回る音羽を見て、セラはあきれたように嘆息した。
「生半可な覚悟じゃ務まらんぞ」
「分かってるわよ」
「それにしてはずいぶん楽しそうだな」
「あら、大変なことを楽しんではだめだと誰が言ったのかしら?」
自信満々に胸を張る音羽を見て、壱護は笑った。
「ありがとう、音羽」
二人と一匹は一度室内に戻る。扉を閉め、今度はいっとう古い鍵を鍵穴に差し込んで扉を開く。
すると先ほどの庭とは違う、しんと静かな温室が現れた。ずらりと並ぶのは形も色も、何もかも様々な樹々。
「この扉はね、鍵によってつながる場所が違うんだ」
道を進みながら壱護は音羽に言う。
そして一つ、ぽっかりと空いた区画の前で立ち止まって続ける。
「そしてここは、音羽の場所」
「どういうこと?」
音羽は壱護が示した場所を見つめて聞いた。
「ここは、歴代の主たちが苗を植えた場所なんだ。主としての印、屋敷に受け入れてもらった印として。最終的には樹になるのだけれど、自分の魔力の質によって姿は変わる」
「つまり、私もここに苗を植える、ということね」
「苗の準備には少し時間がかかるから、後日見せてあげよう。――そして、樹が育ってしまったら、代替わり完了というわけだ」
なるほど、と音羽は納得して、壱護を振り返る。壱護の後ろには、彼の樹である、どっしりとした樹が見えていた。葉は緑色で普通の樹にも見えるが、よく見るとその葉は、一枚一枚が宝石のように輝いていた。ところどころに薄黄色く光る、丸い実のようなものもある。
「でも、おじいちゃんはどうするの? もちろん、この屋敷には住み続けるのよね?」
それに答えたのは壱護ではなく、セラだった。
「当たり前だ。樹が育って早々、新しい主にすべて任せるなどありえん」
音羽はセラを見、再び壱護に視線を向けた。壱護は安心させるように音羽の頭を優しくなでた。
「まあ、私は、死ぬまでここにいるつもりだよ」
その言葉を聞いて、音羽は深く頷いて笑った。
屋敷に戻り、再びソファに座る。先ほどと違うのは、壱護の隣にセラがいることだ。壱護は穏やかな笑みを浮かべて言った。
「それじゃあ、また明日、来てくれるかい? 準備をしないといけないから」
「分かったわ。何か必要なものはある?」
「いや、身一つで来てくれれば、それでいいよ」
音羽の心に、不安や心配はこれっぽっちもなかった。
ただただ際限なく湧き上がる期待と喜びに、音羽は胸を高鳴らせたのだった。
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