喰藤雪音7

 何度目かの呼び鈴が鳴って、私は目を覚ました。

 時計を見れば、時刻はまだ午前七時半。昨日、春介に捕まった私が椿の診療所まで帰ってきたのが午後六時。そこから春介を手当てして、此処に帰ってきたのが午後八時。そこから椿の酒盛りに巻き込まれ、終わったのが午前三時半。あまり十分な睡眠をとったとは言い難い。

 呼び鈴はまだ鳴っている。

 私が居ることを確信しているような頑固さは、間違いなく春介のものだ。

 二度寝をするか、素直に出てあげるか。

 私は二度寝を取った。

 それと同時に止んだ呼び鈴。

「……勝った」

 呟いて、布団をかぶりなおす。後はもう、快眠を貪るだけだ。

 けれど、ガチャリという音に私の眠気は消し飛ばされた。

 まさかと思って体を起こすと、案の定呼び鈴を鳴らしまくっていた犯人がコンビニの袋を片手に勝手に部屋に上がり込んできていた。

 昨日から頬に絆創膏を張ったままになっている春介はやけに落ち着きはらった態度で、私は知らず彼を睨みつけていた。

「お邪魔するけど……。起きてるなら出てくれても良いんじゃないかな?」

「女の子の家に無断で上がるとか、普通じゃ信じられないんだけど? ていうか何で鍵持ってるの?」

「椿さんから借りてきた。なんでも今日は直ぐに来てほしいってさ」

 言いながら、春介コンビニの袋を机の上に置いて中から色々と取り出しては並べていく。

「色々買ってきたんだけど、何が良い?」

 知らないうちに厚顔無恥になった友人に私は本当にキレそうになった。

 屈託のない笑みを浮かべる春介から逃げるように、私はベッドに横になる。

「要らないし、行かない。眠いから寝る。食べるなら片付けてよね」

 春介に背負向けて布団をかぶりなおす。けれど、そんな私にすっかり慣れてしまったのか後ろからは小さな笑い声が聞こえる。

「……あれからどう? 昨日も深夜に散歩に出かけたんだろ?」

 どう、というのは怪物についての事だろう。

 何で私が散歩に出たことを知っているのかはさておいて——どうせ椿から聞いたんだろうけど——夜の街を徘徊した結果、私にはもう悪意の匂いを感じられなかった。

「おかげさまで、もう私には悪意の匂いは分からない。怪物も出てこない。春介風に言うなら、普通の女の子になっちゃった」

「なっちゃったって……。昨日はなりたかった~って泣いてなかったっけ?」

「うっさい」

 生意気な反論に思わず向き直って枕を投げつける。

「いてッ。でも、これで雪音を取り巻く問題は全部終わったんだ。異常者としての生活もこれで終わりだよ」

 枕を近くに置きながら、春介は心底嬉しそうに微笑む。

 まるで自分の事のように笑う彼の顔がやけに眩しく見えて、私は落ちている枕を拾い上げて顔を隠した。

 そうしないと、にやけている顔を見られてしまうから。

「あ、コラ、また寝る気だろ。させないよ、君を連れて行かないと怒られるのは僕なんだから」

「私が怒られないから良い」

「良くない!」

 枕を巡ったちっぽけな争いは、思いのほか白熱してしまった。体全体で枕を抱え込む私と私から枕を引き剥がそうとする春介。

 椿が見れば、「茜が真似をするからやめてくれ」とでも言われるかもしれない。

 途端、枕元に置いていたスマホが鳴り始めた。

 二度、三度と繰り返されるバイブレーションを無視していると、あろうことか春介が勝手にスマホを取ってしまった。

「もしもし。あ、先生ですか。雪音なら今から寝るそうですけど……。はい……。はい」

 電話の主は案の定椿だった。

 用件は聞かなくても分かる。どうせ、早く来いとか言うに決まってる。

 それを知っているから、春介から手渡されるスマホを取ることもせずジッと睨みつける。

 春介も私が受け取らないと分かると、スマホを操作してスピーカーにする。

『雪音お姉ちゃん、早く来てーーーー!!!』

 スピーカーから茜のラブコールが大音量で流れる。

 当然、それを至近距離で受ければ耳はおかしくなるし、頭だって痛くなる。

 返答することもせずに私は通話を切った。

「……行くから、外で待ってて」

「うん、わかった」

「……ねぇ、春介」

「ん、なに?」

「——ありがとう」

「うん、どういたしまして」

 出ていく春介の顔は、やはり笑顔だった。

 私は溜息をつきながら体を起こして、窓からぼおっと外を眺める。

 数え切れないほど見た、ありふれた景色。

 私史上、ぶっちぎりで最低で——最高な朝だった。

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マッドイーター 影桜 @kagerousakura

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