喰藤雪音5

「春介、春介!」

 私の呼びかけに春介は答えない。突如として飛来した弾丸に胸を抉られた彼の意識は今にも消えそうで、呼吸もこのままでは止まってしまう。助けなきゃ。でも、どうやって?

 今まで悪意を喰らう事しかしてこなかった異常者が、一体どうやって人を助けるというのだろう。

 私にできるのは悪意を、人を喰らう事だけ。そうすることでしか私は自分を図れず、そうしなければ私は自分の事すらも認識できなかったというのに。

 ……そうか。

 割り切れば、自然と納得できてしまった。

 無理やり思い出させられた過去が私に方法を教えてくれた。

「ごめん、春介」

 私に春介は救えない。だって、私は人殺しだから。自分を守るために嗤いながら人を殺せる異常者だから。

 ——だから、せめてこいつだけは春介の為に殺そう。それが私にできる、唯一の方法だから。

 私の中で悪意が、殺意に変わる音がした。


 ****


 世界を白く染め上げていた光は消え、再び灰色の世界が戻ってきた。

「気分はどうでしょう?」

 頬に付いた血を拭いながら、医者は私そう問うた。

 どんな気分、か。

 改めて自分見つめ直してみる。薬が抜けきっていないのか頭は起き抜けみたいに痛むし、脇腹の怪我もズキズキする。体は自分のものとは思えない程に怠くて重い。なのに心は空っぽになってしまったかのように軽い。

「うん、最高の気分だよ」

「それは良かった。薬は無事に効いたようですね。試験に試験を重ねた甲斐があるというものです。まぁ、思っていたよりも鼠が多かったですが、その辺は大目に見るとしましょう。計画にイレギュラーは付き物ですからね」

 自分に言い聞かせるような言葉とは裏腹に、床に倒れている春介を見下す蓮二の目には私しか映っていない。

 そういえば、椿もここに来てるって言ってたっけ。

「椿はどうしたの?」

「殺しました」

 答えは酷くあっさりしたものだった。苗字が同じという事は椿とは家族のはずなのに、蓮二の顔には涙一つ無い。むしろ肩の荷が下りてスッキリとした表情をしている。

 こいつにとって、椿も春介もその辺の石ころと大差ないのだろう。人を殺したとも思っていないかもしれない。ただ、目の間に気になるゴミがあったからそれを掃除しただけに過ぎない。

 よかった。これなら、殺せる。

「では行きましょうか。貴女も自分の過去を見直して自分がどのような人間なのか分かったでしょう? 貴女は人殺しだ。それも、ただの人殺しとは訳が違う。言うなれば殺人鬼でしょうか。この先、貴女は多くの人を殺すでしょう。殺して、殺して、殺して、殺して。最後は自分を殺すでしょう。それでは誰も救われない。だから、私が貴女を使います。貴女を使って多くの人を救ってあげましょう。どうです、素敵でしょう?」

 さ、と言いつつ蓮二は私に手を差し出す。

 しまった、認識が甘かった。こいつの目には私すらも映ってない。あるのはただ、自分の理想とする自分の姿だけだ。

 でも、私も人のことは言えない。私だって、蓮二を真正面から見ようとはしてない。私が見ているのはいつだってこいつの死に様だ。

「■■■……」

 怪物が鳴いた。

 蓮二はとっさに腕を引いたけど、それではあまりにも遅すぎる。

 怪物が、蓮二の右腕を喰らった。

「……何故だ。君はずっと異常者である自分を嫌っていた筈だ」

 初めてみせた人間らしい驚愕の表情。腕が喰われたことよりも、私の反撃の方が蓮二にとっては驚きだったらしい。口調もさっきまでの紳士的なモノとは程遠い。

「それとこれは話が別。確かに、私は私が嫌い。平気な顔して人を殺せる私を私は何よりも憎むし嫌う。でも、今はそれ以上にあんたの理想論が気に食わない。そう、春介の為なんて言い聞かせたけど本音なんてこんなもの。殺さずに済むならそれが一番なんだろうけど、この先あんたなんかと関わりたくなんて無いから、ここで殺す」

 一度口に出してしまえば、心はあっさりと受け入れた。

 力が入らない体に無理やり力を入れて立ち上がる。

「そうか、ならばもう語ることはない。ここで君を殺し、その体を貰い受ける」

 蓮二も懐から拳銃を取り出して私に向ける。

 それは静かな、とても静かな時間だった。私が殺そうとする人間。私を殺そうとする人間。世界にはこの二つしかない。

「——死ね」

 それは、どっちの口から出た言葉だっただろう。

 私か、蓮二か、もしかしたら怪物が言ったのかもしれない。

 弾丸と怪物が互いに空を切り、交差する。

 放たれた弾丸は私の胸を貫き、怪物は蓮二を丸呑みにした。

 こうして私こと喰藤雪音は、めでたく殺人鬼としての人生を開いたのだった。

 ハッピーバースデー私。


 ****


 何度目かの揺れで、私は目を覚ました。

 知らない間に寝ていたのか、気づけば私を閉じ込めていた灰色の世界はやけに現代的なエンジン音を響かせながら街を彷徨っていた。

 街は既に夕焼け色に染められていて、窓から差し込む西日が網膜を焼くほどに眩しい。

「気が付いたか」

 聞き慣れた声が聞こえて、視線をそちらに向けると車を運転中の椿がそこに居た。成程、此処は椿の車の中らしい。

 春介は、と探してみれば私の隣で私にもたれ掛りながら眠っていた。その寝息には確かな温度があって、そこでやっと私は自分が生きていることを自覚した。

「あまり動かないほうがいい。君達二人共弾丸が心臓を掠めているんだ。止血はしたが下手に動かせば大動脈が切れて失血死するぞ」

 背中越しに聞こえる椿の声は、なんとなく怒っているように聞こえる。

「生きてたんだね、椿」

「ん、あぁ、あばらに罅が入っているが君達に比べれば軽傷だ。まさか蓮二も拳銃を持っていたとは思わなかったよ。おかげでスマホがお釈迦だ」

 酷い有様だろ、と椿は弾丸が埋め込まれたスマホを見せびらかせてくる。けれど、それをすぐに助手席に投げ捨てるあたりまったく気にしてなさそうだ。

「雪音。現場に蓮二の姿が無かったが、どうした?」

「殺した」

 街並みを眺めながら即答すると、椿はそうか、とだけ言った。

「意外。怒られるくらいは覚悟してたのに」

「怒りも怨みもしないよ。既に赤の他人のような関係だったからね。それに、あいつが君にしたことを鑑みれば殺されても文句は言えないよ」

「冷酷だね」

「かもしれないね」

 会話はそこで一度途切れた。

 私は相変わらずぼうっと街並みを眺める。椿も何も言わずに運転を続ける。

「ねぇ椿」

「なんだい?」

「私、怪我が治ったら診療所を辞めるから」

 突然の告白に、流石の椿も直ぐには返答できない。その時の彼女がどんな顔をしていたのかは分からない。

 たっぷり十秒経った後。やっと口を開いた椿は、

「……分かった。縁があれば、また逢おう」

 そう、悲し気に呟いた。

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