喰藤雪音3
春介と椿が診療所を出て行って暫くした後、昼寝から目を覚ました茜の要望で私達はお昼を食べるために駅近くのショッピングモールに来ていた。
未だに降り続いてる雨のせいで灰色に染まった街と違って、此処は華やかで賑やかだ。お昼時という事もあってモール内は大勢の人で溢れかえっている。濁流のように流れが絶えない人混みの中で、私と茜は逸れないように手を繋ぐことにした。
雨の中、態々人通りが多い場所に行くのも億劫ではあったけど椿の診療所に食糧がない以上、あのまま居ても仕方がない。それになにより、この子の為だ。
「何食べたい?」
「うーんとね、ハンバーグがいい!」
「良いよ、それにしよっか」
「うん!」
元気な返事と共に私の手を引く力が一層強くなる。そこまで楽しみにしてくれると、なんだか私も嬉しくなる。
少し歩いて、フードコートにある洋食屋で二人分のハンバーグを注文した。座るのが難しいくらい混んでいる中、どうにか二人分の席を見つけて向かい合うように座る。
着ていた上着を背もたれに掛けている途中、向かいの席から腹の虫が鳴く音が聞こえた。それに誘われて視線を戻せば、熱された鉄板に乗っているハンバーグをじっと見つめている茜が目に映った。
どうやら、待っていてくれたらしい。
「先に食べてても良かったのに……」
「やだ! お姉ちゃんと一緒に食べたいの!」
なんとも可愛らしい反論だ。
「そ、じゃあ食べよう」
いただきます、と言い終わらないうちに茜は子供用のナイフとフォークを両手に持ってハンバーグを頬張り始めた。余程お腹が空いていたのか、詰め込み過ぎてリスみたいな口になっている。
「ほいひい~」
「口に入れたまま喋らない」
「んくっ、おいしい~!」
口に一杯のソースを付けながら満面の笑みを浮かべる茜に私も笑う事で返答する。
態々飲み込んでから言い直すあたり、中々律義な性格だなと思う。
律義で思い出したけど、そういえば最近似たような事があったっけ。そう、二日前春介と一緒にクレープを食べた時と似ている。
——誰かと思い出を共有したい。
今ならその気持ちも理解できる。だって、こんなにも笑顔を振りまいてくれる茜を私一人で独占するのはもったいない。
「茜、ちょっとこっち向いて」
「ん~?」
突然の要望に疑問符を浮かべる茜。構わずスマホのカメラのシャッターを切ると、ハンバーグに齧り付く直前の茜が画面に映った。
また一つ増えた思い出をしまいながら、私は自分のハンバーグを口に含んだ。
****
お昼を食べた後、私達はショッピングモール内をうろつくことにした。茜から要望があったわけでも、私が提案したわけでも無いけど自然とそうなった。まぁ、診療所で春介達の帰りを待つだけなのも退屈だし、時間を潰すには丁度いい。
茜の手を引いたり、手を引かれたりしながら色々と廻った。大量のファンシーグッズが売られている子供向けの雑貨屋だったり、人気のアイス店だったり、ペットショップだったり茜の気の向くままに散策して、少しだけ買い物もした。
今はフードコートに戻って、少しばかり休憩をしている。
「えへへ~」
向かいに座る茜が上機嫌に笑う。脚をプラプラさせながらジュースに口を付ける彼女の髪には薄紫のリボンが付けられていて、時折それを嬉しそうに触っている。
雑貨屋で物欲しそうに見つめていたので買ってあげたら、早速付けたいとせがまれてしまった。たった数百円のもので喜んでくれるなら安いものだ。
照れくさそうに笑う茜に手を伸ばしてそのまま頭を撫でる。色々と甘やかしすぎかなと思うけど、多分春介が面倒を見ていたとしても似たような事になっていただろうしあまり関係ないかもしれない。
「帰ろうか、茜」
「うん!」
空になった紙コップをゴミ箱に捨てて、私達はショッピングモールを後にした。
外に出ると、昨夜から降り続いている雨は止んで雲間からは細い日差しが差し込んでいた。
スマホには午後四時四十九分の表記。ついでに春介からの不在着信とLINEが一件入っていた。開いてみれば、用件は『いつ帰ってくる?』の一言だけ。小学生の母親か、と内心でツッコミつつ『今から』とだけ返しておく。
春介はともかくとして、早く帰ってあげないと椿が退屈で死んでしまうかもしれない。
茜に聞こえないように小さく溜息をついて彼女の手を引く。
夕暮れ色に染まり始めた街の中、帰るべき場所を目指して進んでいく。街灯が疎らに点き始めた大通りには普段通りの光景が広がっていた。
仕事を終えたサラリーマン、これから夜まで仲間と豪遊するであろう学生集団、仲睦まじく手を繋いでいる親子。
何故か、私達の少し遠くを歩いている親子に目を奪われた。母親に手を引かれながら楽しそうに何かを語っている子供と嬉しそうな母親。少し見て、目を奪われた理由に合点がいった。
今の私と茜があの親子に似ているからだ。何も知らない人の中には、私達を姉妹と勘違いする人も居るだろう。でも、どれだけ外見でそう見えていたとしても私とこの子では家族になれない。
茜には、本当に帰るべき場所があるのだから。
本当なら、この子の隣に居るのは私ではなくこの子の両親だ。今こうして私が隣に立っているのは椿の気紛れ故でしかない。
——あぁ、考えるんじゃなかった。
自分の思考に胸を衝かれるなんて、我ながら間抜けな話だ。
どうやったって家族の役がまわってこないなんて初めから分かりきっていたのに……。
「そっか、浮かれてたんだ私……」
茜が笑顔を振りまいてくれるから、勝手にそれを理由にして浮かれていた。だからこんなにもこの子が何処かに行ってしまうのが寂しくて堪らない。
そうじゃないなら私は今頃、椿と一緒に件のビルに足を運んで神隠しの真相を知ろうとしたはずだ。茜の面倒なら春介に任せれば良かった。
見ない振りをして、気づかない振りをして、知らないうちにこの光景を日常だと錯覚していた。
なんて——幸せ。
「お姉ちゃん……?」
「ううん、何でもない」
心配そうに見え気てくる茜の視線を私は笑って誤魔化す。けれど、上手く笑えていなかったのか茜の顔は余計に歪んだ。
「お姉ちゃんしゃがんで」
「……なんで?」
「いいからしゃがんで!」
なんだか、今日の茜は強情だ。
梃子でも動かないと言いたげな彼女の表情に苦笑いを零しながらその場にしゃがむ。
一体何をされるんだろう……。そう思った瞬間、頭に温かいものが乗る感触がした。見れば、茜が小さな手を一生懸命に伸ばして私を撫でていた。身長差のせいで撫でるというには少し強い感じになっているけど、不思議と胸が暖かくなる。
「いい子いい子」
拗ねた子供をあやすような手つきに、つい笑ってしまった。でも、確かにそう思われても仕方がないかもしれない。だって、そう思われてしまうくらいに私はいつか来るであろう茜との別れに嫉妬しているから。
「ありがとう、茜」
「えへへ、元気出た?」
「うん、出た」
はにかむ茜の頭を撫でながら立ち上がると、『夕焼け小焼け』が聞こえ始めた。
さっさと帰るつもりが、気づけば十分以上も此処に居てしまった。いい加減帰ってあげないと、暇を持て余した椿から鬼電がかかってくるかもしれない。それはごめんだ。
さて、と夕焼け色に染まった街を茜の手を引いて歩きだす——いや、歩き出そうとして止まった。
振り返ると、私の手を握っている茜と目が合った。でも、その眼にはさっきまでの明るさは無く虚ろな表情のままぼおっと何かを見つめている。
「帰らなきゃ……」
「茜……?」
何かに導かれる様に診療所とは反対の方向に歩きだす茜。思わず手を引く。
「待って茜、何処に行くの?」
「帰らなきゃいけないの。帰らなきゃ、帰らなきゃ……っ!」
私の声が届いていないのか茜は焦燥にかられたまま帰らなきゃ、と連呼する。握っていた手を振りほどいて走りだす茜をそのままにする訳にもいかず、私は直ぐに追いかける。
『夕焼け小焼け』が鳴り終わった街には帰宅する人で溢れかえっていて、茜はその中を獣のように走り抜けていく。
迫りくる人をかき分けながら走り続けると、茜が急に脇道に逸れた。訳も理由も考える暇は無く、私はただ茜を追う。
彼女を追って入った先は朱色の闇が広がる裏路地だった。路地を挟むように佇む建物が何かの店なのか、所々に瓶の入ったコンテナや破れているゴミ袋が転がっている。
それらを避けて進んだ先。一層深い闇が広がる分かれ道に茜は居た。
「茜ッ!」
追いついた勢いのまま後ろから思いきり抱き締める。茜の体温を感じた瞬間、安堵と同時に色んな感情が押し寄せてきた。心配、怒り、疑問。
言いたいこともたくさんあるけど、切れた息のままでは言葉にならない。だから、痛いほど抱きしめることにした。
「茜、茜……っ!」
「——お姉ちゃん?」
聞こえたのは酷く純粋な声だった。
「茜、聞こえてるの?」
「うん……。ねぇ、何でこんなところに居るの? お姉ちゃん、帰るって言ってたのに」
「それは——」
言葉にしようとして言い淀む。さっきまでの茜は間違いなく普通じゃなかった。何かに突き動かされる様に動いていたと思えば、今はこうしていつもの調子に戻っている。その異常性をどうやって説明すればいいのか分からなくて、口が上手く動かない。
何か喋らないと、と口を動かそうとした瞬間、手を叩く音が闇に響いた。横合いから聞こえる拍手は軽快なくせに厭に私の神経を震わせる。
茜を後ろに隠して拍手の主に向き合うと、夕闇の中から男が出てきた。
ベージュのトレンチコートに同色のハット。駅前で茜と居たあの男だ。
「いやぁ素晴らしい、思いのほか楽しめましたよ。偽物の姉妹らしく実に健気なメロドラマでした」
暗い路地の脇道で私達を待っていたのか、男の口ぶりは事のあらましを知っている様だった。紳士ぶった口調なのは相変わらず。
男と私の間に広がる距離は六メートルほど。大人が本気で距離を詰めれば三歩もあれば潰せてしまう程度の距離だ。そんな距離まで近づかれて漸く私はこの男に気が付いた。目の前にいるはずなのに、気配があまりに微弱過ぎる。でも、そんな分かりやすい異常を気にする余裕は直ぐに奪われた。
少しでも気を許せば嗅いでしまっていた悪意の匂いがこの男からは全くしない。今までも例外的な例は居た。無自覚に悪意を隠している人、呆れるほどの善意に満ちた人を私は知っている。
ただ、この男に関してはどの例外も当てはまらない。
初対面の時は何かの偶然かと思った。けど、それは間違いだったのだと今実感させられた。
春介みたいに潔白な訳でも無く、茜みたいに純粋な訳でも無い。
この男には好奇心しかない。椿みたく自分の興味が向くままに好奇心を満たそうとしているだけだ。
大通りに続く道を横目で一瞥しつつ、私は一歩前に出る。それに合わせて男はかぶっていたハットを取った。口元しか見えていなかった男の顔が露わになる。
短く切り揃えられた黒髪に琥珀色の瞳と紳士口調が似合う温和な顔立ち。その顔立ちは椿とよく似ていた。
「計画を練り、椿を焚き付け、此処まで待った甲斐がありました。一つ誤算があったとすればその人形にそこまでご執心頂けたことでしょうかね」
うんうん、と実験の成功を祝う研究者のように男は頷く。
男は口元だけで笑みを浮かべながら無造作に手を前に出す。子供に差し伸べるように突き出された手には何もない。銃を持っている訳でも刃物を持っている訳でも無いのに、身構えてしまう。
「おいで、茜」
重く、相手を押し潰す声で男は言った。
なんで茜を……。
「はい、パパ……」
「、茜!」
私の横を通って男の手を取ろうとする茜に手を伸ばす。けれど、彼女に伸ばした手はいとも簡単に振り払われた。
他でもない、茜自身に。
「な、んで……」
辛うじて出た声は自分でも驚くほどか弱い。
男の手を取った茜はそのまま男の裾を掴み、生気のない目で私を見つめている。その様子に男は今度こそ笑みを浮かべた。
「自己紹介が遅れましたね。私は救保蓮二、こちらは娘の茜です。以後お見知りおきを」
****
朱色だった夕闇は濃くなり、裏路地には暗闇が満ちていた。
茜に振り払われた手にはジンッと痛みが残り、それが私の心にも淡い痛みを抱かせる。
「ふふっ、本当にこの子のことを大事に思っていますね」
「大事だったら、何?」
「いえ、親として娘を可愛がってもらえるのは嬉しい事です。計画の根幹にかかわりますからね」
「だから……っ!」
「しかし……飢崎愛穂もこの子も、あまり効果的ではありませんでしたね」
「え……」
思わぬ人物の名前に走り出そうとした足は止まってしまった。
「愛を喰わねば生きていけない飢崎愛穂は貴女とは似て非なる存在でした」
内に渦巻いている疑惑を解く蓮二の言葉につい、聞き入ってしまう。
……愛に飢えて人を喰らった飢崎愛穂。
家族が崩壊し、他者の愛を喰らう事でしか愛を自覚できなかった少女。誰かに愛されなければ自分を愛せなかった異常者。
そして。
両親から悪意に晒され続け、それを知覚し喰らう
悪意に晒され続けて……? 何でそんなことを思い出す? もう、忘れている筈なのに。
「過去を壊され、記憶を失わされた救保茜は貴女とは似て非なる存在です」
……神隠しに遭い、記憶を失った茜。
不幸な事件に巻き込まれた少女。過去を失い、未来を見つめることでしか自分を創り上げていけない異常者。
そして。
不幸な事件を引き起こし、それを忘れてしまった
違う、無かったことになんてしていない……。私はちゃんと過去に向き合おうとしてる。
纏わりつく思考を、頭を振って払い去る。
「どちらも実験サンプルとしては優秀でしたが、貴女を完成させるには不完全だった。お恥ずかしい限りです。本当なら、こちらの準備が後になるべきでした。えぇ、貴女の思っている通りです。私が——元凶なのです!」
頭が痛い、と言いたげな表情で蓮二は自分の額に手を当てるが、残念そうなのは上っ面だけ。きっと内心はこの状況が愉しくて愉しくて仕方が無い筈だ。裂けたように笑っている口元が良い証拠。
でも、おかげではっきりしたことがある。殺傷事件も神隠しも全部——こいつの仕業だ。
「殺す……!」
言葉に出せば、心がどす黒く染まるのは簡単だった。殺傷事件で春介が受けた仕打ち、神隠しで茜が受けた仕打ち。それが同時に渦を巻いて混ざり合って、怒りや殺意を生みだしていく。それが白い怪物を突き動かし——気づけば、私の脇腹を抉っていた。
「……ぇ、?」
何が起こったのか、自分でも理解ができなかった。
確かに、私の思った通りに怪物は現れた。目の前の悪意を喰らうために大口を開けて、獲物を喰らって終わるはずだった。
でも、怪物は私に牙を剝いた。
「殺したいから殺す。皮肉なものですね、悪意を喰らってきた貴女が自らの悪意に喰らわれるとは……。ですが、だからこそ喰藤雪音という人間を完成させることに意味がある」
血だまりに沈む私を見下ろす声に返せる言葉はなく、ただ沈んでいく意識に身を任せることしかできない。
血と体温が抜けきっていく感覚の最中、必死で動かした目が最後に移したのはやはり、生気のない目で私を見下ろす茜だった。
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