喰藤雪音2

 欠伸が止まらない昼下がり。茜の手を引きながら駅前に出向くと、私達を呼び出した張本人がこちらに手を振っていた。

「おはよう、春介」

「もうこんにちはの時間だよ雪音」

「春介お兄ちゃんこんにちは!」

「うん、こんにちは茜ちゃん」

 茜の元気な挨拶に春介は相変わらず律義に返す。遠巻きに見れば正月に集まった親戚に見えなくもない。……いや、流石に見えないか。精々が仲の良い兄妹止まりかもしれない。そんな思考と欠伸を噛み締めながら春介にじゃれついている茜の頭に手を乗せる。そのまま撫でてやると今度は私にじゃれ始めた。

「なんか、手慣れてきたね雪音」

「まぁね。昨日もこんな調子で夜も元気だったから大変だった。おかげで寝不足」

 ご飯を食べさせれば直ぐに寝るだろうと思っていたけど、ご飯を食べた後もお風呂ではしゃぎ、ベッドではしゃぎで大変だった。一応、注意をすれば素直にいう事を聞いてくれるから同年代の子供に比べて茜はまだ可愛げがある。

「それで、茜について話があるって言うから来たんだけど?」

「それなんだけどさ、茜ちゃんの両親とかを探すにしても現状じゃあどうしようもないでしょ? だから茜ちゃんが実際に神隠しにあった場所に行けば何か分かるんじゃないかと思って」

「成程。望み薄だけど何もしないよりマシだね。場所の当ては?」

「これ、椿さんの所から借りてきた」

 私の質問に春介は数枚の資料を手渡して答える。椿の所から持ってきた資料ということは例の神隠しについてのものか。適当にパラパラ捲ってみると、既に起きた二件について詳しく纏められていた。見比べてみると、一件目の現場から二件目の現場まで総距離は開いていない。

「どっちも似たような場所だね。どっちが茜のやつ?」

「二枚目の方だね。場所は両方とも千代田区だからここから徒歩で十分くらいの所の路地」

「直ぐに行こう——茜?」

 春介に資料を返しつつ茜に伸ばした手は、しかし彼女に触れることは無く空を切る。さっきまで私にじゃれていた筈の女の子は、いつの間にか私達の近くから居なくなっていた。

 思わず、春介と顔を見合わせる。

「春介はあっちを探して」

「分かった!」

 短いやり取りをして、私達は二手に分かれた。

 昼間の活気に満ちた駅前は人通りが多く、絶えず光景が変わり続ける。波のように蠢く人をかき分けながら茜を探す中、自然と頬を伝う汗が私に焦りを自覚させた。

 嫌な予感、というやつだろうか。一刻も早く彼女を見つけなければならないという使命感が胸を締め付ける。何だって私がこんなに茜の事を気に掛けなきゃいけないんだろう……。

 得体の知れない心に戸惑いつつ忙しなく辺りを見回すと、噴水の近くで茜を見つけた。

 まだ距離はあるけど、呼べば反応するだろうと口を開く。

「あか——」

 でも、開いた口が彼女の名前を紡ぎきることはなく自然と止まってしまった。よく見ると茜は噴水の近くで誰かと話している。

 黒髪で長身の男。春先で暖かくなりつつある昼間だというのに、男はベージュのトレンチコートに同色のハットという季節に似合わない格好をしていた。目深にかぶっているハットのせいで表情は見えない。そんな周りから浮くような格好にもかかわらず、男は自然なくらい駅前の空気に馴染んでいる。

「、茜」

 小さく深呼吸をして最低限の警戒心を抱きながら声を掛けると、彼女はパッと咲いたような表情でこちらに振り返った。私の心配なんて欠片も知りもしない表情に呆れつつ、小さな頭を優しく叩く。

「勝手に居なくならないで」

「うぅ、ごめんなさい」

 言いながら茜は私のお腹に顔を埋める。分かりやすくしょぼくれている彼女の背中に手を回しながら、私は今度こそ安堵のため息をついた。

「そう叱らないでやってください」

 目の前から聞こえた声に顔を上げると、英国紳士ぶった男がさっきまで目深にかぶっていたハットを脱いで困ったように笑っていた。その顔に何故だか私は見覚えがある気がした。けれど、思い出すより早く男は口を開く。

「恥ずかしながら田舎から上京してきたばかりで道に迷ってしまいましてね、困っていた私をその子が案内してくれたのです」

「そうなの?」

「うん!」

 元気な返事。どうやら本当らしい。

「そ、偉い」

「えへへ~」

 簡素に褒めると、さっきしょぼくれていたのが嘘みたいに甘えてくる。単純と言うか純粋と言うか、けれどそんな茜を見て頬が緩んでしまう私も大概だと思う。

「すいません。本当はちゃんとお礼をしたいのですが、人を待たせてしまっているのでここで失礼させていただきます」

「いいよ、気にしないで」

「では、また何処かで」

 人に警戒心を抱かせない笑顔を浮かべて、男は足早に街の方へ歩いて行った。物腰は柔らかな人だったが、また逢うのはごめんだ。

 あの男の表情は全部張り付けられただけモノだった。警戒されないように、悟られないように常に一定の距離を置こうとしていた。紳士ぶったあの口調も自分の本質を隠す為だろう。

 ——あぁ、そうか。茜の事に気を取られて気づくのが遅れた。

 あの男からは悪意の匂いが一切しなかった。飢崎愛穂とはまた違う、悪意を一切表に出さないように自分を作りこんでいる。つまり、あの男は自分が『普通』からかけ離れていることを誰よりも自覚している。

 そして、それは私も同じ。その事実に背筋が震えた。

「お姉ちゃん?」

「……なんでもない。戻ろうか」

 春介に『見つけた』とだけメッセージを送っておく。その際、スマホに映し出された時計が目についた。驚くことに、春介と別れてからまだ十分も経っていない。

 堪らずため息が出た。


 ****


 春介と合流した後、当初の予定通りに茜が神隠しにあった現場まで来た。大通りを外れてビルとマンションが立ち並ぶ住宅街の狭い路地。椿の資料に遭ったとおりなら茜は此処で神隠しにあったことになる。

「暗い……」

 不安そうな声と共に茜が抱き着いてくる。彼女の言う通り、この路地は高層ビルとマンションに挟まれているせいで陽の光が届かない。空を見上げれば程よく雲が浮かんでいる青空が見えるけど、此処は夜みたいに薄暗い。

「茜、何か思い出せそうなことはある? 誰かに出会ったとか、何か見たとか」

「……分かんない」

 暗がりに震えながら茜は首を振る。その『分からない』は思い出せない事だけじゃなく、原因不明の恐怖もあるのだろう。今にも泣きだしてしまいそうな顔がそれを物語っている。

 必死に私に抱き着いている彼女を少しでも安心させたくて、震えている手を優しく握る。

「……このビル、最近倒産した会社の所有物だったんだ」

「そうなの?」

「うん。結構有名な企業だったから一時期ニュースで騒がれてたよ」

「へぇ、何の会社?」

「製薬会社、薬品以外にも栄養食とかも作ってたよ。今日椿さんに持っていたやつも元々は此処の子会社が作ってる製品だった」

「潰れたのはいつ頃?」

「確か、二月の末頃だったかな。飢崎さんの事件が噂される少し前だったと思う……。うん、資料にもそう書いてあるや」

「一月前か、その割に外見は綺麗だね」

 春介の話を聞き流しながらビル入口に回り込む。企業自体は既に倒産しているのだから当たり前ではあるけど、自動ドアから見える受付に電気は点いていない。

 当たり前な光景。けれど、拭えない違和感がある。

「ねぇ春介、可笑しいと思わない?」

「可笑しいって何が……?」

 不意の疑問に春介は資料とのにらめっこをやめて私同じようにビルを見上げる。茜も私達に釣られて同じように見上げる。

「一件目の神隠しも茜の神隠しもこのビルの近くだった。この神隠しに犯人が居たとして、その人は意図的にここで神隠しを起こしてる。会社を潰したり、一件目だけはわざと分かりやすいように神隠しを起こしたのに、茜だけは隠そうとした。隠そうとすることでこのビルに注目を集めたかったんだよ」

「集めたかったって、なんで?」

「さぁ、そこまでは分からない。誰かにこのビルを調べてほしかったんじゃない?」

「誰かって……誰?」

「この神隠しを調べてる誰か」

 言いながら私はビルの玄関に近づく。勿論、電源が切れている自動ドアは私が近づいても反応しない。

「雪音お姉ちゃん……?」

「大丈夫」

 未だに私から離れない茜を諭して、自動ドアに手を掛ける。ガラスのドアはそれだけで簡単に道を開けた。

「開いた!?」

「行こっか」

「え、もしかして入るの……?」

「調べてほしいなら調べようかなって。それに、ここまで来て手ぶらで帰るのも嫌だし」

「いや、それ不法侵入じゃ……」

「嫌ならここで茜と待ってる? 適当に中を一周してくるだけだからそれでも良いけど」

「……わかった、雪音一人じゃ心配だから一緒に行くよ」

 渋々といった具合について来る春介を尻目に私は薄暗いビルに足を踏み入れた。灯りのない受付は吹き抜けになっている遥か上まで薄暗く、辺りを漂う空気も冷え切っている。生き物の気配のない空間を押しのけるように歩き出す。——途端、抱き着いていた茜の顔色が一気に青くなった。息は浅くなって、脚が震えてその場にへたり込む。

「茜!」

「茜ちゃん!」

 今にも吐いて倒れてしまいそうな茜を咄嗟に支える。彼女の顔はみるみるうちに青くなり、意識が朦朧としている様だった。体を揺らしても声を掛けても聞こえていないのか震えたまま動かない。

 只事ではない——直ぐに彼女を抱えてビルの外に出る。

「茜、大丈夫?」

「うぅ……」

 日影の路地に座らせると、青白い顔が少しマシになる。俯いたままで話す余裕すらない様だけど、取り敢えずは落ち着いたらしい。

「茜ちゃんはどう?」

 少し遅れて心配そうな顔をした春介がやってくる。茜の背中を擦りながら彼女の代わりに大丈夫と答えると、ホッとした表情になる。けれど、それも一瞬の事で直ぐにまた心配そうに顔が歪んでしまった。

「雪音、今日はもうやめた方が良いんじゃないかな」

「だね。出直そうか」

 立てない茜をおぶって帰路に就く。もし背中で吐かれたらどうしようかと思ってしまったけど、間近に感じる息遣いから察するにその心配はなさそうだ。首筋に掛かる息のせいでくすぐったくなってしまうのは困るけど。


 ****


 その日の夜。すっかり元気になった茜が一緒にお風呂に入りたいというので入ってあげた。髪を洗ってあげて、体を洗ってあげて、一緒に湯船に浸かる。その頃には気分まで良くなったようで嬉しそうに遊び始めた。本当はビルでのことを聞いてみたいけど、あの時の様子を思い返すと直接聞く気にはなれない。まぁ、明日にでも椿に聞いてみよう。

「楽しい?」

「うん!」

 無邪気な返事と共に茜が水面を叩く。

 当然、彼女の真正面に居る私は勢いよく跳ね上がったお湯が顔面に襲い掛かる。それがちょっと鬱陶しいので落ち着かせるために後ろから抱きしめると、腕の中で小さな体が気持ちよさげに揺れ始める。彼女に合わせて私も揺れる。

 なんとなく、妹ってこんな感じなのかなと思う。

 不意に、一度だけ椿から私の家族について聞かされたことを思い出した。顔も名前も覚えていないような人達の事を聞かされただけだから話の内容は殆ど忘れてしまったけれど、どうやら私には兄妹が居ないらしい。

 もし——もしも、私に家族や兄妹が居たらこんな体質にはなっていなかったのかな。

「んー、お姉ちゃん」

 私の腕から逃れるように茜が身を捩る。知らないうちに力を入れ過ぎていたらしい。

「ごめん、痛かった?」

「ううん、大丈夫。お姉ちゃんは痛くないの?」

 私の右手を不思議そうに見つめる茜。そこには既に懐かしさを覚えてしまいそうな傷跡がある。ナイフが深く刺さってできた傷は殆ど治っているけれど、触れば微弱な痛みが走る。それを分かっているのか茜は傷跡を優しく撫でて、

「痛いの痛いの飛んでけー♪」

 そんな懐かしい呪文を唱えた。

「どう?」

「——ん、もう痛くない」

 爛々と目を輝かせる茜を痛くない様に抱きしめる。

 本当は痛みなんて少しも無くなっていない。でも、この子なりの優しさを無下にはできなかった。

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