願望衝動
喰藤雪音1
三月十日。
とある少女が起こした殺傷事件が世間を賑わせている頃。私と春介は約束通り、彼の奢りで都内の駅前のクレープ屋に来ていた。
普段通りに賑わっている街は一週間前の事件のことなど忘れ去ったようで、危機感という言葉が浮いているようだった。
まだ午前の十時前だというのに、クレープ店の前には話題を求めた多くの若者が行列を作って、人の流れを妨げる壁になっていた。
春休み真っ只中での開店なのだから当然のことではあるけれど、今からあれに並ぶのかと思うと諦めたくなってくる。しかしながら、私の隣に立っている彼にはその行列が見えていないようで視線をクレープに釘付けにしたまま目を輝かせていた。……やっぱり、自分が食べたかっただけか。
「ねぇ、私そこのベンチで待ってていい?」
「うん。寧ろそうしててくれた方が僕としても安心かな」
「保護者面やめて」
「怪我してるんだから当然だろ。取り敢えず二人分まで買ってくるけど、何味がいい?」
「春介に任せる」
雑に返答しながら木陰のベンチに向かうと、後ろから小さな笑いが聞こえてくる。
怪我人を連れまわしておいて、と言いたいところだけど最終的に行くと言ったのは私だし黙っておこう。
殺傷事件から一週間。その間、春介は私の身の回りの世話を積極的にやきまくった。椿から頼まれたこともあるのだろうが、彼自身世話好きなのもあってこの一週間はずっと一緒だった。
何もしなくてもご飯は出てくるし、椿が散らかしたゴミも片付けてくれたし、右腕の怪我のせいで不自由な着替えも手伝ってくれた。私が自分でしたことといえば精々が入浴くらいのもで、ここまでくるともはや介護だ。
そのお礼も兼ねて今日は付き合っている。
不意にカーキー色の上着に入っているスマホから短い通知音が鳴った。連絡してくる相手に心当たりはあるけれど、一応確認する。
画面にはやっぱり既原春介の文字と一枚の画像だけ。LINEを開くとクレープ店のメニューが載っていた。
『どれがいい?』
『おすすめはイチゴ!』
追加で送られてくる二つのメッセージ。私の返答は当然『任せる』の一言。
送ってから行列の方へ視線をやると、こちらに振り返った春介と目があう。その顔には相変わらず屈託のない笑みが浮かべられていて、私はなんとなしに顔を背けた。
なんだか心の内を見透かされた気がして、ムカついたからだろう。
能天気なくせに、こういう所は鋭い。
わざわざ気を使うのが馬鹿馬鹿しく思えてくる。
****
「はい、雪音」
「ん、ありがと」
行列に並ぶ人並みが変わり続けて十五分。約束のクレープを両手に携えた春介が帰ってきた。おすすめらしいイチゴのクレープを私に渡しながら隣に座る彼の顔は普段よりも幼く、無邪気だった。
木陰のベンチは十八歳の子供が二人座るには少しだけ狭い。そのせいで、お互いの体温が上着越しに伝わってくる。
私も春介も直ぐにはクレープに口を付けない。
私はただの気まぐれで、春介はスマホでクレープを写真に収めていた。
一緒に外食するときにいつもやっているけど、何か特別な意味でもあるんだろうか。
「ねぇ。それ、何か意味あるの?」
気になって聞いてみると、春介はスマホの画面を見つめながらうーん、と唸った。
「偶に見返して懐かしくなりたいから、かな。ここのスイーツ美味しかったなとか、あそこの定食美味しかったなとか」
「味の感想ばっかじゃん」
「あはは……。うーん、本当は誰かとの思い出を忘れたくないからかな。その誰かにとっては大したことじゃないかもしれないけど、僕にとっては大事な思い出だからさ。共有したいんだと思う」
「曖昧だね」
「だね。でも、そういう曖昧なものこそ大事だと思うよ」
言って、春介はスマホをしまってクレープに口を付けた。溢れんばかりに盛られた生クリームが押し上げられて、彼の顔に白い髭を作る。
サンタクロースと呼ぶには季節外れで的外れではあるけれど、少し可愛く見える。
だからだろう、ついスマホで写真に収めてしまった。カシャッというインスタントなシャッター音が私達の間にだけ響いて、画面の中に春介の驚いた顔が映りこんだ。
「んぐっ雪音、何で撮ったの!?」
「ごめん、つい。大丈夫、消さずに大事に保存しとくから」
「そこは、消してほしいんだけど!」
「ダメ、大人しく雪音さんの思い出の一ページになりなさい」
「んな理不尽な!」
拭いきれていない生クリームを頬に付けたまま可愛らしい抗議をする春介を横目に、私も自分のクレープに口をつける。
確かに、こういう曖昧な思い出の積み重ねも必要なのかもしれない。
過去を失ってしまった私には、その曖昧すらないのだから。
何処で産まれて、どう育ったのか、人生の土台となる部分の記憶を失っている私は、これからの思い出だけで自分を作っていくしかない。
だから——いつかきっと、私はこのしつこい甘さと一緒に彼との会話を思い出す。
それが、喰藤雪音という存在を作り上げる手段だと信じて。
****
クレープの甘さが無くならない内に私達は人混みを避けるように駅前を後にした。目的は果たしたのだから、人が多いだけの場所に長居をする意味はない。
隣を歩く春介は話題のクレープが食べられて嬉しいのか満足気な表情のまま、ご機嫌な足取りで辺りを観察していた。
「平日でもこの辺は人が多いね」
「都会の真ん中だから当たり前と言えばそれまでだけどね。まぁ、最近は神隠しの事もあるし一人で出歩く人は少ないんじゃないかな」
神隠し、また椿が好きそうなワードだ。
「それが最近の流行り?」
「流行りと言えばそうなのかな。SNSじゃあ三日前からトレンド入りしてるよ。なんでも神隠しにあった人は三日間行方を眩ませた後、何事もなかったかのように自宅に帰ってきた。その人曰く、知り合いの人に誘われた居酒屋に行った後は直接家に帰って寝たらしいけど、実際は三日もの間、家にも帰らず電話も繋がらないような場所に居たって話」
「それ、誰か確認でもしたの?」
「神隠しにあった人の家族と居酒屋に誘った人から証言を取ったってニュースでは言ってたよ」
「へぇー」
我ながら空虚な返事に春介は苦笑いを零す。自分から話を振っておいてなんだけど、その手の話はどうせまた椿から飛んでくるのだから今だけは別の話をしたかった。
「流石の椿さんでも、怪我人を動かすことは無いと思うけど……」
「春介も後一年付き合えば分かるよ。変人はやっぱり変人なんだって」
「分かりたくない……」
それは同感。
変人の頭の中を理解できたところで、良い事なんて一つもない。
噂の神隠しについても同じこと。真相を暴いたところで、得する事なんて何もない。誰も彼もただ非日常的な出来事を少しでも長く楽しみたいから必要以上に声を荒げる。
誇張して脚色して尾ひれを付けて、文字通り夢のような時間を少しでも伸ばしたいだけ。
誰だって、何もない湖に石を投げ入れたいのだ。
その投げている石が悪意に汚れているという自覚も持たずに。
「ほんと、勘弁してほしい」
「んー、本当に嫌だったら椿さんも考えてくれると思うよ?」
「ん、ごめん。そっちの話じゃない」
疑問符を浮かべる春介に言葉だけで謝ると、彼の顔には余計に疑問が満ちていた。
多分その疑問は一生解消されることは無いだろうけど、どうせ明日には忘れているのだからどうでもいい事だ。
そう——街に漂う悪意の匂いに比べれば。
吐瀉物を拭った雑巾を泥で煮詰めたような匂い。
一度嗅いでしまったら二度と忘れられない厭な匂い。それが、私にとっての数少ない日常なのだ。
****
診療所には今日も人が来ない。
時間はそろそろ正午になろうとしているのに、節電という名目で蛍光灯を外された受付は不気味なくらい薄暗い。一度だけ、春介がこの惨状をどうにかしないのかと聞いているところを見たことがある。けれど、その健気な提案は此処の主に一蹴されてしまった。
患者への配慮なんてあのヤブ医者には欠片もないらしい。
それも、三年前から知っていることだ。
見た目だけの診察室が並んだ廊下には、唯一明かりが点いている部屋がある。ノックもせずに開けると、案の定赤髪の変人が——ベッドに倒れこんでいた。
「やぁ、おはよう二人共……」
「もうこんにちはだけどね。風邪でも引いた?」
「あぁ……。ちょっと面白そうなものを見つけてね、その調査に少しばかり根を詰め過ぎた」
「先生、それってもしかして神隠しですか?」
「何だ、知っていたのか」
春介の疑問に椿はつまらん、と言いながら体を起こす。どうやら風邪の度合いは心配には及ばないらしい。
「神隠しが初めて起きたのは三日前。とあるサラリーマンが——」
「それも知ってる。三日間行方不明になっていたけど、本人にその自覚は無いんでしょ」
「なんだ、雪音が興味を持つとは珍しい」
「私が好き好んで怪事件を調べる訳ないでしょ。春介から聞いたの」
言いながら、私は普段椿が座っている安っぽい椅子に腰かける。ついでに春介へと視線を流すと、私に情報を流した張本人は居心地が悪そうな笑みを浮かべて頬を掻いていた。
「なんにせよそこまで知っているのなら話速い。実はね、あの神隠しは二件同時に起こっていたんだ」
「二件同時?」
椿の言葉に、春介が疑問を口にする。
私も口には出さないだけで同じことを思う。神隠しが二件同時に起きていたのだとすると、春介が知らない時点でもう片方はネットでもニュースでも騒がれていないということだ。
それはつまり、もう一つの神隠しが誰にも見つけられていなかったか、誰かが隠していることになる。
「君たちの想像通りだ。もう一つの神隠しは誰かが意図的に隠しながら起こしたものと私も思っている」
「思っているって、実際に証拠を掴んだわけじゃないんだ」
「私をシャーロック・ホームズと勘違いしていないかい? 私の本業は医者であって私立探偵じゃないよ。ただ証拠とまではいかないが、証拠に近いものなら見つけてある」
回りくどい言い回しをしながら、椿は診察室のドアに目を向けた。
私も春介も釣られて目を向けると、トントントンと軽いノック音が三回鳴った。招いていたのか、連れてきたのか、どちらにせよこの廃墟同然の診療所に私たち以外の人間がいるなんて珍しい。
「お邪魔します……」
不安が混じった鈴の様な声と共に引き戸が開く。けれど、そこには誰も居ない——いや、よく見ると春介の腰と同じ高さに小さな頭があった。
赤髪のセミロングが綺麗な女の子だった。背丈に見合った幼い顔立ちに華奢な体。見た感じ年はギリギリ十歳に届いていないくらいで少女と呼ぶには少し背伸びが必要かもしれない。不安そうに歪んだ緑の瞳は、忙しなく私と春介を交互に見つめている。
あぁ、成程。つまりそういう事か。
「椿。いつかすると思ってたけど、子供を誘拐するのはちょっと見過ごせないかも」
「ふむ、君が冗談を言うとは珍しいね」
割と本気の暴言に、椿はいつもの調子で皮肉を零した。
まったく、それこそ冗談だ。
****
「それで、この子どうしたの?」
「拾ったのさ、行く宛ても無さそうだったのでね。流石の私も幼気な女の子を都会のど真ん中に放置するのは気が引ける」
私の疑問に椿は寝転がりながら答えた。冷えピタを張って寝ているあたり、今日は何もする気がないらしい。
肝心の女の子は私や春介から距離を取るように診察用のベッドの傍で固まっている。風邪を引いているにもかかわらず椿の近くに居ようとするのは、少なからず彼女を信用しているからだろうか。
どうする、と目だけで春介に伝えると首を傾げられた。春介でどうにもならないのなら私にも無理な気がする。
少し考えて、話しかけてみることにした。
「ねぇ」
「っ……」
椅子に座ったまま話しかけると距離を取られてしまった。自覚はあったけど、やはり私は子供には好かれないらしい。
春介みたいに誰にでも笑顔を振りまけるような性格ではないのだから、仕方がない。いや、私の場合はそれだけじゃないのかも。
どちらにせよ、怖がっている子供に無理強いはできない。
「……ごめん春介、あとお願い。私じゃあ怖いみたい」
「え、あぁ、うん……」
診察室を出るついでに風邪薬でも買ってきてあげようかと立ち上がると、寝転がっている椿からお腹が空いた、と欲望丸出しの要求が飛んできた。
ついでのついでだ、ゼリーくらいなら買ってきてあげよう。どうせ隣の部屋にある冷蔵庫には何も入っていないだろうし。けれど、上着の裾を引っ張る感触が私の動きを止めた。振り返ると私を怖がっていた筈の女の子が私の服の裾を握っていた。
意外なことに、つい足を止めてしまう。
女の子自身もまさか自分がこんなことをするとは思ってもいなかったようで、裾を握ったままあたふたしていた。
「どうかした?」
「ひぇ、あ、うぅ……。ごめんなさい」
萎むような声と共に女の子は俯いてしまった。
怒っている訳でも無いし、謝って欲しかった訳でも無いけど、やっぱり私は怖いらしい。なんだか申し訳なくなってくる。
「春介、どうすれば良いと思う?」
「うーん……。先生、この子の名前って何ですか?」
「んー……? しまった、私としたことがまだ名前を聞いていなかったな。ついでに聞いておいてくれ」
「えぇ……」
「はぁ……」
あまりの言い分に私も春介もため息をつく。
この変人はなんでこうも一般常識から逸脱しているんだろうか。きっと、理解してはいけない要因でもあるんだろう。
私も春介も今まで散々椿に振り回されてきたけど、今回の一番の被害者は間違いなくこの女の子だ。よりにもよって椿に拾われるなんてツイてない。せめて私達だけでもこの子の味方になってあげないとあまりにも可哀想だ。
「ね、お腹空いてない?」
未だに裾を掴んでいる女の子に屈みながら尋ねると、彼女は躊躇いながらもうん、と頷いた。
時間も丁度良い事だし、この子の素性についてはお昼を食べながら聞くとしよう。
****
診療所を後にした私達は、比較的近場のファミレスに来ていた。
昼時のピークを過ぎつつある店内は人が空き始めていて、座る席を選ぶくらいの余裕があった。
窓際の席に三人で座って、机の脇にあるタブレットを女の子の前に差し出す。
色彩豊かなメニューを見て柔らかくなる彼女の表情に、私は内心ホッと一息つく。
「良かったね、雪音」
「ん、何が?」
上着を脱ぐ私に、春介は突然そんなことを言った。
相変わらずにこやかな表情を浮かべる彼の言葉を上手く理解できず、手が一瞬止まる。
「その子と和解できたみたいでよかったねって」
「和解って、喧嘩してたわけじゃないんだから……」
対面からこちらに手を差し出す春介に上着を渡しながら、横目で女の子の方をチラ見する。けれど、彼女にとっては私達の会話などどうでも良いようで、目を爛々と輝かせながらタブレットとにらめっこをしていた。
そう。あれだけ怖がられていたのに、この子は今私の隣に座っている。ここに来る途中でも私の裾をキュッと握りながら隣を歩いてたところを見るに、知らないうちに彼女からの信用を獲得したらしい。
子供って分からない。
純粋すぎて、無垢すぎて、潔白すぎて、悪意の匂いなんて欠片もしない。
子供なのだから善悪の区別が付いていなかったり、すり合わせの真っ最中だったりするのだから当たり前なのだけど、私にとってはそれが新鮮で不思議な感覚だった。触れようとしても雲みたいに霞んでしまうような、そんな感覚。
「ねぇねぇ、何でも頼んで良いの?」
「ん、良いよ」
「やったー!」
年相応の無邪気な笑顔に、私も春介も釣られて顔を綻ばせてしまう。
ウキウキでお子様プレートを頼んだ彼女はよほど嬉しかったのか、脚をプラプラさせながら行き交う店員を眺めていた。
残念ながら、そんな直ぐにお子様プレートが出てくるほどファミレスは神秘的ではない。
落ち着かせるために彼女の頭に手を置くと、何かの遊びと勘違いしたらしく自分の頭を私の手にすり寄らせる。
そういうことじゃないんだけど。まぁ、いいか。
掌から伝わる子供特有の火照った体温は、雲なんかとは比べ物にならないくらい温かった。
****
「茜」
お子様プレートをあっという間に平らげた女の子は、私の質問に短くそう答えた。
彼女の髪色に近い、なんとも覚えやすい名前だ。一緒に椿の事が頭に浮かぶのは、きっと髪色が似ているからだろう。
「じゃあ茜ちゃん、家の場所ってわかる?」
「……ううん、わからない」
「ご両親の名前は?」
「……わからない」
「じゃあ学校は? 学校の住所とか名前とか……」
「……ごめんなさい」
顔を俯けて首を振る茜に、私も春介もこれ以上何も聞けなかった。唯一分かったことは彼女の名前だけ。他の事は本人にも分からない。
自分の両親の名前も、家の場所も、自分の苗字すらも。これじゃあ、彼女の身元を探るのは難しい。
「うぅ……」
自分の事をほとんど覚えていないことが悲しいのか、茜は今にも泣きそうな顔を更に俯ける。子供とはいえ、自分が普通とかけ離れていることは理解しているのかもしれない。『みんな』と一緒じゃないことが不安なのだろう。
「そんな顔しないで」
茜の頭に手を置いてゆっくりと撫でる。せめてもの慰めにでもなればと思ったけど、撫でているうちに零れそうな涙は自然と引っ込んだ。
なんとなく、子供の扱いというモノが分かってきた気がする。
「帰れるようになるまでは椿の診療所に住めばいいし、私も春介も探すから」
「ほんと……?」
「ほんと」
最後に優しく頭を叩くと、茜の瞳には確かな明るさが戻った。
うん、やっぱり子供に暗い顔は似合わない。将来に不安を持つにはこの子はまだ幼過ぎる。頭を悩ませるのは大人の役目だ。
****
十四時を回った頃。ファミレスから診療所に帰ってくると、不貞腐れた椿がベッドに寝転がったまま出迎えてくれた。そういえば、此処を出る前にお腹が空いたとか言っていた気がする。なら、不貞腐れているのは空腹だからか。
「ちゃんとお昼は買ってきたんだから、椿まで茜みたいな顔しないで」
「そうは言うがね雪音、私とて餓死しかければ子供のような振る舞いをしたくなるさ」
「椿の場合は子供よりも酷いけどね」
コンビニの袋をベッドの脇に置きながら愚痴を溢す。
まさか、この三日間まともにご飯も食べずに神隠しの調査をしているなんて思いもしなかった。けれど普段から人使いが荒いのだから復讐されるのも仕方がないと思う。
「それはそれとして、随分と懐かれたようじゃないか。名前も聞きだしてくれたようで安心したよ」
「椿。言っても無駄なのは百も承知だけど、この際だから言わせてもらうね——子供くらいには優しくしてあげて」
「ふむ、私ほど優しい人間などそうそう居ないと思うがね」
「鏡を見てから言って」
「先生、こればっかりは雪音に全面的に同意です」
春介からの援護射撃もあって、椿は小さく笑いながら両手を上げた。寝転がったままのせいでお腹を丸出しにした動物にしか見えないけど。
分かっていたけど、私達の言い分などまともに聞く気もないらしい。
「じゃあ、私は帰るけど春介は?」
「事務仕事だけしてから帰るよ。あ、でも茜ちゃんの晩御飯はどうしよっか」
ん、確かにそれを考えていなかった。
私と春介が帰ってしまえば茜の面倒は必然的に椿が見ることになる。でも風邪を引いてる椿にそんなことができる訳が無いし、万が一茜に風邪がうつってしまったら事だ。
「雪音お姉ちゃん帰っちゃやー!」
遂に茜から駄々をこねられてしまった。
……仕方がない、病人に子供を任せるよりはマシかな。
「ねぇ茜。今日は私の家に泊まる?」
「お泊り!? するー!」
「ん、じゃあ決まり」
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