既原春介7

 駅前の裏路地は、夕日に照らされた異世界めいていた。

 雪音からの連絡を受けた僕たちは、救急車を呼んでから椿さんの車で現場に駆け付けた。

 裏路地の近くは、パトカーと救急車のサイレンのせいで野次馬で溢れかえっている。

 あまりの数に呆然としていると、身体中を血塗れにした雪音が隣の路地から壁伝い出てきた。

「なんとなくこっちに居ると思ったんだ」

「雪音。それ、大丈夫なの!?」

「あんまり大丈夫じゃないや。春介、肩貸して」

 雪音は草臥れた顔のまま、眠たげに呟いた。

 言いたいことが山ほどあるのに、こんな弱々しい彼女の姿を見てしまうと言葉が出てこない。

「ごめん、服汚しちゃうね」

「いいよ。それくらい」

 さっさと雪音を椿さんの車に運び込もうとするけど、彼女は動こうとしない。

 揺すっても、声を掛けてもただ一点を見つめたままだった。

 釣られて一緒に見れば、救急車が飢崎愛穂を運んでいくところだった。

 この人混みの中、飢崎さんの姿は見えなかったけどそれでよかったのかもしれない。

 見たら多分、僕は泣いてしまう。

「雪音、彼女はどうした?」

「春介には悪いけど、助けてはない。きっかけを与えただけ。ただ、悪意は喰らったからあの子はもう人を喰らったりはしない。ただの女の子だよ」

「そうか。ただ、ここまで大事になってしまえば必ず警察が介入してくる。依頼者の意向にすべて添えたわけではないが、罪は裁かれるの道理だ。報告は私がしておくよ。春介君、雪音の手当てが終わったら暫く世話を頼むよ」

「え、僕がですか!?」

「他に誰が居る。雪音は片腕が使えないんだし、身の回りの世話係は必要だろ?」

「そりゃあ、そうですけど」

「じゃあ、暫くお願いね。春介」

「……はい」

 我ながら情けない返事に、椿さんはニヤッと嫌な笑みを浮かべた。

 春の夕日の中、僕に体を預けてくる雪音の体温がやけに熱く思えた。


 ****


 雪音の家に着くころには陽はすっかり沈んでいた。

 お互い疲れていたのもあって、コンビニで買った晩御飯もあっという間に食べ尽くすと僕達はあっという間に床に倒れこんだ。

「雪音。飢崎さんを助けたこと、後悔してる?」

「さっきも言ったけど、私はあの子を助けてないよ。きっかけを与えただけ」

「……じゃあ、今でも飢崎さんを許せない?」

「さぁね、もう済んだことはどうでもいい。でも、愛穂に偉そうに説教しておいて何だけど、私も愛情っていうものが何なのかよく分かってない」

 白い蛍光灯に照らされたマンションの一室で雪音はそう呟いた。

 その横顔には覇気がない。傷ついて、弱々しい少女の姿があるだけだ。

「私にも産んで、育ててくれた人は居た。でも、私はその人達から愛情を受けた記憶がない。愛されていたのか、いなかったのか、それすらも分からないまま。白状をするとさ、私は春介を通してでしか『普通』が分からないんだ。自分の価値観が信じられないから、春介の価値観を信じてるだけ。似た者同士の私にあの子の事をどうこう言う権利はない」

 彼女はまるで、僕に懺悔をするようだった。

「でも、雪音は飢崎さんとは違うよ。雪音が僕を通して『普通』の価値観を知ろうとしてるってことは、僕を信じてくれてるからだろ? 逆に言うと、雪音は僕を通して自分を信じようとしてるってことだよ」

「意外。そんなかっこいいこと言えるんだ」

 言って、彼女は寂しげに笑う。

 怒ってほしかったのか、責めてほしかったのか。いずれにしろ雪音が望んだ回答ではなかったらしい。

 でも、僕にはそんなことはできない。だって、雪音は僕との約束を果たしてくれたから。

「まぁ、椿さんの受け売りなんだけどね」

「それ、黙ってればかっこいいままだったのに」

 かっこ悪い、と笑って雪音は天井を見上げる。

「白状ついでに告白するとさ、あの子を通して分かったことが一つあったんだ。自分がどう生きたいのか、何が欲しいのか。それが少しだけ分かった気がする。とてもあやふやで言葉にできるほど確かなものでもないけど、それが思っていたよりも酷いものじゃなかったのがちょっとだけ嬉しい。だからさ春介、これからも私の傍に居て欲しい」

「喜んで。僕で良ければ付き合うよ」

 人工的な光の中で笑う雪音は、年相応の女の子のように無邪気だった。

 思い返してみれば、それが喰藤雪音という少女が僕に見せた初めての本当の笑顔だった。

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