既原春介4

 時計の針が十一時を指した頃、僕は駅前で飢崎さんを待っていた。日曜日の午前中という事もあり、往来する人の数は結構多い。これから昼にかけてまだ増えるであろう人波を眺めながら、ふと雪音達のことを思う。

 女の子を誘っておいて失礼だとは思いつつも、やはり気になってしまう。

 今頃向こうは件の学校に行っているんだろう。あの二人は言葉で人を虐める悪癖があるから、もしかしたら口喧嘩の真っ最中かもしれない。

 その様子を思い浮かべると、自然と溜息が出る。

 向こうの事もそうだが、これからの事も思うともう一度溜息をつきたくなる。依頼の為とはいえ、雪音を助けてくれた人を疑うのは気が重い。

「お待たせしました~!」

 噂をすればなんとやら。僕が溜息をつく前に飢崎さんがやってきた。

 昨日の制服とは違って、白のニットにプリーツの入ったチェック柄のスカートを着ていて、唇には薄くルージュが引かれていた。

 休日なのだから私服なのは当然としても、めかし具合が結構なものだった。

 こちらとしては軽く食事をする程度のつもりだったけど、なんだか黒のジャケットにジーンズという地味な格好で来てしまったのが悪い気がしてきた。

「あの、どこか変ですか……?」

 まじまじと容姿を見つめる僕に、飢崎さんは不安そうに聞いてくる。

「あ、ごめん。ジロジロと見ちゃって……。大丈夫、似合ってるよ」

「そ、そうですか? それなら、えへへ……」

 照れ気味に笑う飢崎さんを見て、こういう反応は新鮮だなと思う。

 椿さんは容姿を気にするような人じゃあないし、雪音も容姿端麗ではあるけどそれを鼻にかけないので褒めても淡白な反応しか返ってこない。

 そこまで考えて、またあの二人について考えていることに気が付いた。

 ダメだダメだ。飢崎さんに失礼だ。

 逸れそうになる思考を必死に戻しつつ、話も戻す。

「それじゃあ行こうか。ちょっとお昼には早いけど、混む前に決めちゃおう。好きなものある?」

「えーっと、既原さんの好きなもので構いませんよ?」

「それは駄目、今日は飢崎さんへのお礼なんだから。うーん、ちょっと歩こうか」

 言って、ゆっくりと歩き始める。

 取り敢えず近くのショッピングモールに行けばフードコートもあるから彼女も色々と選びやすい筈だ。それに、あそこには遊べる場所もあることだし追加のお礼はそこで考えることにしよう。


 ****


 ショッピングモールは大勢の人で賑わっていた。

 まぁ、時間が時間なので仕方がないと言えばそれまでな気がする。

 目的地だったフードコートもその例にもれず、ほとんど満席の状態だった。けれど、幸いなことに僕たちが座るくらいは空いてそうだ。

「さて、何が良い? 好きに決めていいよ」

「それじゃあ、うどんで」

「遠慮しなくてもいいんだよ?」

「いえ。好きなんです、うどん」

「そっか、なら良いんだけど」

 自分たちの席に荷物だけ置いて、うどんを注文しに行く。意外なことに、大勢の人が居るにもかかわらずあっさりと注文できた。

 結構早かったね、なんて言うと飢崎さんは、そうですねと微笑んだ。

 その笑顔はまだまだ他人行儀で、思い返せば最初から会話もぎこちなかった。

 どうやら女の子に気を遣わせずに会話を弾ませる技術は自分には無いらしい。

 なにはともあれ、せっかく注文したうどんが伸びてしまうのももったいないので食べよう。

 いただきます、と言いながら箸を割るとパキッと音を立てて綺麗に割れた。

 ふと、対面に居る飢崎さんの方に目をやると、彼女は既に自分のうどんを啜っていた。本来は気にする必要も無い筈の光景な筈なのに自然と目を惹くのは、彼女の姿勢があまりにも良かったからだろう。

 武士みたいにピンッと伸ばされた背筋のせいか、かけうどんを啜る姿すらも凛々しく見えた。

 ……いや、ただうどんを食べている姿に何を感じているんだ自分は。

 僕の変な視線に気づいたのか、飢崎さんの箸が止まった。

「あの……。私の顔に何かついてますか?」

 彼女の表情は、さっきまでの武士のような凛々しさが嘘みたいに、まるで今から叱られてしまう子供のような表情になる。

「あ、いや、ごめん。凄く姿勢が良いからつい……」

「あ、これは子供の頃から剣道をしてて、その癖でつい……」

「あぁ、そういえば部活をしてるって言ってたっけ」

「はい、お母さんから『剣道は精神も鍛えられるからやっておいた方が良い』って言われて始めたものですけど。お恥ずかしい……」

「そんなことない。どんな理由であれ、続けられることって凄い事だと思うよ。少なくとも僕はそう思う」

「そう、ですか……?」

「うん。そうだよ」

 思っているままの事を言うと、彼女の表情から不安が消えて安心したように見えた。

「既原さんって優しいですよね」

「ん、そうかな。自分だとそんな自覚は無いんだけど」

「絶対そうですよ。私なんかにも良くしてくれますし……」

「うーん、飢崎さんは自分が思ってるほど悪い人じゃないと思うけど」

「えへへ、既原さんがそう言ってくれるならそうなのかもしれませんね」

 照れくさそうにはにかんだ彼女は、それを隠すようにうどんに手を付けた。

 僕も自分のうどんを啜る。肝心のうどんは少しだけ伸びてしまっていたけど、そんなことに気づいたのは食べ終わる寸前だった。


 ****


 うどんを食べた後、僕たちはとにかく色々と歩き回った。

 流石にうどんを一杯ご馳走したくらいじゃあ飢崎さんに悪い気がして、けれど何かいい案が浮かんでくるわけでも無く、必要以上の提案も煩わしいとも思ったので、何となく流れに身を任せた結果こうなった。

 お互いの行きたいところに行って、洋服だとか小物だとかを手にとっては見るものの買い物はしない。

 二時間ばかりでテナントを四つばかり制覇すると、流石に疲れたのか飢崎さんは、

「飲み物を買ってきます」

 と言って近くのファストフード店を指さした。けれど何処か申し訳なさそうに言う彼女の事を放っても置けず、ここでも僕が払うことにした。

「すいません、色々とご馳走してもらっちゃって」

 席につくと、彼女はオレンジジュースの入った紙コップを両手に持ってそう言った。

「構わないよ。折角なんだからもっといろいろと言ってくれてもいいんだよ?」

「い、いいえ、もう十分です! それに、こうやって色々見て回るだけでも楽しいですし」

「そう? なら良いんだけど……」

 買ったばかりのアイスティーを口に含みながら辺りを見渡す。

 お昼時を過ぎたフードコートは大人の客数が疎らになっていて、代わりに中高生の数が増えている。

 学校によっては春休みの真っ最中でもあるだろうし、もう少し日が経てばここにも暇を持て余した学生が大勢来ることになるだろう。

「私、自分と同年代の人とこういうところに来るの初めてです」

 不意に、飢崎さんはそんなことを口にした。

「ん、そうなの?」

「はい、学校じゃああまり人と話さなくて……」

「……もしかして、友達いない?」

 我ながら酷い質問だった。

 自分でも意図せずに投げつけてしまった言葉の刃物に彼女はうっ、と喉が詰まったような声を漏らす。

 それを聞いて、やっと場の空気に亀裂が入った事に気が付いた。

「……友達、いません」

 萎れた花みたいな頼りない声だった。

「ご、ごめん。そんなつもりじゃあ……」

「良いんです、人見知りでコミュ障な私が悪いんです……」

「いやぁ、そこまでは……言ってないですけど……」

「良いんです、今こうして友達といるので」

「……ん?」

「あ……」

 今友達といる?

 今こうしてフードコートの簡素な机を囲んで座っているのは僕と飢崎さんだけだけど……。

 もしかして、僕の目には見えないだけでいつの間にか「三人目」が居たのだろうか。

 普通のデート(?)がいつの間にかホラードキュメンタリーになっていた。

「あの、ちがっ、違います! 綾、言葉の綾です!」

 なんて、そんな突飛な展開は無く、単純に僕と飢崎さんの事だったらしい。

 まぁ連絡先も交換して、一緒にご飯を食べて、こうして遊んでいるのだから友達と言えば友達だ。

「友達でもいいと思うけど?」

「……へ?」

 顔を真っ赤にしながらあたふたしている彼女は、その言葉に一瞬時間が止まったように固まった。

 少しして、飢崎さんは未だ赤い顔を隠すように俯いて、

「……いいんですか?」

 消えりそうな声で呟いた。

「勿論、良いよ」

 そう言うと、飢崎さんは顔を綻ばせながら照れた笑いを零す。

 なんだろう、うっかり見惚れてしまいそうなほど綺麗な微笑みだった。たいして喉も乾いていないのに、思わずアイスティーを飲んで顔を冷やしてしまうくらいには。

 そのまま僕たちの会話は途切れてしまった。お互い、変に照れてしまったせいでさっきよりも三割増しで気まずい。この雰囲気の中で話を切り出すのは相当の勇気がいる。

「そろそろ行こうか。まだ見て回りたいところがあるなら付き合うよ」

 結局、空気に耐えきれず会話をぶった切ってしまった。

 こう見えても高校を卒業したばかりの、まだ大人になりきれていない子供に過ぎないのだから仕方がない。

 もう少しだけ、この立場を免罪符にしても罰は当たらない筈だ。女の子の機嫌は損ねるかもしれないけど……。

 けれど、そんな僕の内心とは裏腹に飢崎さんは心底楽しそうに笑っていた。

「だったら、もう一か所だけ付き合ってください」

 氷が解けて若干薄まったオレンジジュースを飲み干しながら、やっぱり彼女の微笑みは綺麗なものだった。


 ****


 飢崎さんが行きたがっている場所は、どうやらショッピングモールの中には無いようで、僕たちは駅前をぶらつくことになった。

 一体どこに行くのかさっぱり分からない。聞いてみても「内緒です」の一言で誤魔化されてしまうので、いよいよをもって目的地に着くのを待つしかない。

 どれだけ歩いたか、そろそろ十五分くらい経ちそうだ。

 後ろを見返してみてもショッピングモールは既に遥か遠くで、もう看板の文字すらも読めそうにない。

「……ねぇ、これからどこに行くの?」

 聞いても無駄だと分かっていても、やはり聞いてみたくなる。

「ふふっ、既原さんは知りたがりですね。でもごめんなさい、まだ内緒です」

 案の定、飢崎さんは小さく笑いながらそう答えた。その笑顔は悪戯を仕掛けた子供みたいに無垢なもので、そのせいか僕には彼女が何を考えているのか読み取れない。

 でも、考えてみればいつも身近にいる椿さんや雪音の考えでも僕は読み取れていないことの方が多い。

 そう思うと、この状況もなんらおかしなことではないように思えてきた。

 ふと、思考を切り上げて辺りを見回してみる。飢崎さんの案内が終わるまでのほんの暇つぶしだ。目的地に着くまでの間、何か話のタネにでもなりそうなものが見つかればいいな、と淡い期待を込めてみる。

 けれど、そんな突拍子もない期待に応えてくれるほど世間は甘くない。

 僕の目に映るのは何の変哲もないありふれた駅前の風景だけだった。すれ違う人々も少しずつ寒くなってきた気温も僕の前を行く飢崎さんも、至って普通の日常だ。

 だからだろう。つい、当初の目的を忘れそうになる。

 飢崎さんへのお礼と身辺調査。この二つが、今日彼女を誘った理由だ。

 あぁ、なんて酷いタイミングだ。思い出すにしても、せめてこのデートが終わった後だったなら良かったのに。

 一度思い出してしまうと、それはもう頭の片隅にこびり付いて離れない。

 この不快なモヤモヤは暫く心に巣食って、僕たちの関係をぎこちないモノへと劣化させてしまう。

「既原さん……?」

「ん、あぁ、ごめんぼーっとしてて……。どうかした?」

「いえ、大丈夫そうならいいんです。それよりも着きましたよ」

 此処が私の来たかったところです、と紹介された場所はただの狭い路地だった。いつの間に迷い込んだのか、知らない建物同士に挟まれている裏路地はどう取り繕っても女の子が好き好んでくる場所ではない。

 いや、女の子じゃなかったとしても普通は来ない。だというのに、当の本人である飢崎さんは至極楽しそうで本当にここに来たかったらしい。

「えーっと、ここは……?」

「裏路地です!」

「あー、うん。ごめん、聞き方が悪かった。来たのは良いんだけど、何をするの?」

「なにって、決まってるじゃないですか」

 まるで分かっていない僕が悪いみたいに言う。

 此処に来れたことがそんなに嬉しいのか、飢崎さんは高揚している様だった。会った時より、ショッピングモールに居た時よりも楽しそうだ。

 けれど、反対に僕は気が気がじゃあなかった。彼女が二歩近づく度に僕は一歩下がる。

 さっきよりも彼女の顔が近い。近づかれたのだから当然と言えば当然だ。——いや、違う。ただ近いだけじゃなくて、そもそも僕が彼女の顔以外を見ようとしていないからだ。

 此処に来て直ぐに目にしてしまったモノ。壁に付着している赤黒いシミがただの汚れではないことを、直感で理解してしまったから。

「飢崎さん、君は……!」

「既原さん——私に食べられてください」

 言って、飢崎さんはスカートのポケットから小ぶりなナイフを見せながら微笑んだ。

 それは、飢崎愛穂という少女が初めて見せた本性だった。

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