既原春介1
「……寝ちゃいましたね」
「仕方ないさ、雪音にだってそんな日はあるよ」
「雪音の口調から察すると大体先生のせいだと思うんですけど」
「さてね、どうだったかな」
適当に誤魔化すように椿さんは言いながら机に向かう。けれど、その横顔はニヤリと釣り上がっていて、本当は誤魔化す気など全くないらしい。
それに嘆息を零しつつ、視線を戻すと診察用のベッドで寝息を立てる雪音が目に入った。
上着も脱がず、靴も部屋の隅に跳んでいる。
診察室はさほど寒くはないけど、何となく心配なので雪音の足下にある毛布を広げて彼女に掛ける。ついでに靴もそろえておいた。
喰藤雪音という少女は、僕の高校時代からの友人だ。
彼女が編入してきた時にたまたま隣の席に居ただけだけど、それがきっかけで色々と関わることが増えた。以来、僕は彼女の数少ない友人の一人になっている。
僕らが通っていた高校は地元ではメジャーな進学校だった。学科は普通科しかないし、部活よりも勉強を推進していたと思う。
進学校と言っても偏差値が高いだとか、進学率や就職率が飛びぬけて高いだとかはなく、いたって普通の高校だ。
普通に勉強して、普通に人付き合いをして、普通に就職や進学をする。そんなありきたりな学生生活になるんだろうと思っていた高校二年。「普通」はほんの一瞬だけ覆った。
高校二年の九月。残暑と呼ぶにはふざけているくらい猛暑だった夏休み明け、雪音は編入してきた。
名前の通り雪のように真っ白な長髪に、青空のように青く透き通った瞳。そんな日本人離れした容姿は一瞬でクラスメイト達を虜にした。勿論、僕を含めて。
熱狂的なクラスメイト達とは違って、雪音はとても物静かだった。
授業中にしか言葉らしい言葉を口にせず、昼休みだって誰かと一緒に居るのを見た事がない。それがまた彼女を高嶺の花たらしめるもんだから、一部の男子の間ではファンクラブが出来上がっていた。
けれど、容姿や性格よりも印象的だったのが、彼女を取り巻く雰囲気だった。
上手く言葉にできる自信はないけど、彼女の周りの空気は普通の人間のそれとは違う。有名人や偉人のように輝いているものとも違う。
彼女に触れてしまえばたちまち喰われてしまいそうな、危うい雰囲気。それが、僕にとっての喰藤雪音という人物の全てだった。
「ところで先生」
「ん、なんだい?」
「例の殺傷事件の話、今朝また犠牲者が増えたって言ってましたよね?」
「なんだ気になるのか? 君はこういう話を好んで聞くタイプとは思わなかったんだが……」
「別に好き好んで聞こうとしてる訳じゃないですよ。ただ、最近ニュースでよく見るのでちょっと気になってるだけです。それに此処に来る前に雪音が、犯人は人を襲ってるんじゃなくて、選んでるって言ってたのが気になって」
「なるほど、雪音らしい見解だ。殺傷は結果として起こってしまったもので、目的は別にあるってことか。面白い」
椿さんは作業の手を一度止めて、椅子ごと体を向ける。
「実は、雪音の家での酒盛りが終わった後に一人救急の患者が来てね。その人から聞いた話と今まで起きた殺傷事件の関連性を調べていたんだ」
「その患者さんは……?」
「処置が終わったので帰した。腕を深く切りつけられていたが、それだけだったよ。都心の公園に住んでるホームレスでね、近くの病院を拒否されたせいで此処に運ばれてきたんだよ。そのホームレスが切りつけてきた犯人の顔を少しだけだが見ていたらしくてね。どうやら、犯人は口の周りを血で染めていたらしい」
「口の周り……。顔じゃなくてですか?」
「あぁ、まるで——人を食べたみたいだろ?」
恐ろしいことを、椿さんは楽しそうに言う。
仕事をしていない彼女は、暇な時間を見つけると大抵こういうおかしな話を探っている。警察から協力を受けているとか、誰かから依頼を受けているとか、そういう事は殆どなくて調べるだけ調べて興味が無くなればポイ捨てだ。
それだけならまぁ平和なものだけれど、偶に興味が行き過ぎて僕や雪音が調査員として派遣される。しかも、そういう時は大体佳境を迎えていて、僕たちはいつも痛い目を見ることになる。
断れるなら断りたい。でも、バイト代を人質に取られては逆らう術などありはしない。
「そう聞くとなんだか、安っぽい映画みたいですね」
だろう、と椿さん。
「だが、それと違うところはこれが現実という事だ。雪音の言う通り、犯人は人を襲っているのではなく、美味しそうな人を探して選んでいるという事だろうね」
「雪音も似たような事を言ってました。選んだものを食べるか捨てるかは選んだ側の権利だって」
「ほぉ、起きたら是非さっきの話聞いてもらいたいものだ」
関心深そうに呟いて、椿さんはサンドイッチの封を切った。
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