マッドイーター

影桜

愛情飢餓

喰藤雪音1

 三月になったばかりの夜、事前の連絡も寄越さず救保椿がくぼつばきやってきた。

「やぁ、雪音。今日は私が来たよ」

 突然の来訪者は私の返事を待たず、笑顔でずかずかと上がり込む。

 リビングに着く前に何か文句の一つでも言ってやろうかと口を開きかけるが、それすら許されず彼女は喋り続ける。

「そうそう、実はここに来る途中で事件に出くわしてね。コンビニの前で、殺傷事件。最近ニュースでよく見るが、実際に見るとは思わなかったよ。あぁ、冷蔵庫借りるよ」

 喋りながら私の家の冷蔵庫を勝手に開ける。

 いい加減、私はこのろくでなしを叩き出しても許されるんじゃないかと思えてくる。けれど、そんなことをしても意味がない事をよく知っているので諦め気味にリビングに向かう。

 私の家はマンションの一室だ。玄関から三メートルもない廊下を抜ければ、すぐに寝室とリビングを兼用している部屋に着く。

 リビングに向かう私を横目に、椿はコンビニの袋から自分の酒とおつまみを取り出す。その袋の中に私の分が一切入っていないあたり、彼女の図々しさが顕著に表れていると思う。

 椿とは、三年前からの付き合いだ。当時、私が入院していた病院にカウンセラーとして招かれて知り合った。

 名前の通り、椿のように赤い髪は本人が適当にするので好き勝手伸びっぱなしになっていて、背丈は女性にしてはちょっと高い。温和な顔立ちは整っていて異性からの受けはそれなりによいらしい。

 普段は個人で診療所を経営していることもあって、少しはしゃんとしているが、酒を飲むときはとことんダメ人間になる。

「それで、十八歳になったわけだが、進路は決まったかい?」

「別に、これからも椿の所で働くわけだから問題なくない?」

「ふむ、私としてはそれでも構わないよ。バイトにしろパートにしろ、人手が多いことに越したことはないからね。まぁいいさ、時間はたっぷりあるんだ。今すぐ気分を変えろとは言わないさ」

 他人事のような口振りをして、椿は机の前に座った。

 私は自分のベッドに座って、そのまま体を横にする。

 椿は私のことなど毛ほども気にせず、買ってきた缶ビール開けると景気よく一気に飲み干した。

「……今日はここで寝ないでね」

「くはぁぁぁ……。え、私、今日は車だからここに泊まるつもりだよ?」

 ……本当に叩き出してやろうか。


 ****


 あの後、椿は本当に酔いつぶれて寝た。

 私もさっさと寝たかったが、部屋が酒臭くて眠れたものじゃない。だから、部屋の窓を開けて換気をしている間だけ散歩をすることにした。

 春が始まったばかりの外気は、ほんの少し肌寒い。まだ夜は深まるばかりで、街の喧騒はうるさくなるばかり。それが嫌になって大通りを外れると、今度は電灯が一本も立っていない細い路地に入った。

 さっきまでの喧騒が嘘みたいに静かになる。何もかもが暗闇に食べられてしまったような錯覚。けれど、脚は前に進むことをやめない。

 家を出る時に羽織ったカーキ色の上着の襟元を少し緩めた。

 胸元から涼しい風が吹き抜ける。でも、寒くはない。


 ****


 路地は意外と長かった。かれこれ五分ほど歩いているのに、街の灯りはいまだ遠い。

 ふと、なんでこんなところを歩いているのか考えたくなる。けれど、そもそもこうやって出歩くことに大した意味なんて無かった。

 こんなの、自分の心に巣食う不安を誤魔化す為の手段に過ぎない。

 三年前。中学の卒業を間近に控えていた私は、事故に遭ってそのまま病院に運び込まれた。

 その日のことはあまり覚えていないけど、家が潰れたらしい。

 幸いなことに、私はベランダに居たから軽傷ですんだ。けれど、それに巻きまれた親戚は無事ではすまなかったらしく、二人とも瓦礫の下敷きになって下半身が潰れてしまっていたとか。

 自分を育ててくれた人達が亡くなったというのに、私は今でもその実感が持てないでいた。

 医者からは、事故のショックでそうなってしまったのだろうと言われた。でも、それはきっと違う。

 あの時、家が潰れた原因は私なのだから。

 覚えていないはずなのに、それだけは分かる。私には普通とはかけ離れた”何か”があるという実感。

 椿あたりに相談すれば、きっと些細なことだと返される。

 でも、その些細な違いが私——喰藤雪音くどうゆきねを異常者に仕立て上げてしまう。

 そんなの、不安になって当たり前だ。


 ****


 あれから随分歩いた。暗闇の路地はとうに抜け、再び街の喧騒が帰ってきた。

 通りに沿うように綺麗に立ち並ぶビル街は、どれも高さが違っている。窓ガラスから漏れる灯りの数は疎らで、そろそろ街も寝静まる頃合いだろう。すれ違う人の数も随分と減った。

 そんな時、視界の隅がやたらと光った。

 ビルの灯りはどんどん減っていくのに、その灯りだけはずっと赤白く、眩しい。

 それに誘われるように目を向けると、コンビニがあった。

 見飽きるほどに見慣れた光景。なのに、何故か脚が止まった。脚が止まると、目も其処に釘付けになる。

 コンビニの駐車場が紅い。水にしては粘着質なそれは、アスファルトを伝って私の方へ流れてくる。

 紅く、赤い駐車場。そこに人型の黒い靄が立っていた。

 途端、鼻腔を擽る悪意の匂い。

 不意に椿の言葉が蘇る。


 ——コンビニの前で、殺傷事件。最近ニュースでよく見るが、実際に見るとは思わなかったよ。


 あぁ、どうしてすぐに気づかなかったんだろう。灯りに赤が混じっているのは、血が混じっているからだ。

「異常ね……」

 靄は両手を血に染めながら、何かしていた。

 私は、コンビニに脚を向けた。

 靄がこちらを向く。

 かおは無い。でも、なんとなく楽しそうな表情をしていた。

 寒気がする。

「■■■■■」

 靄が口を開いて、空虚な顔を歪ませた気がした。

 その時、靄の半分が白い怪物に喰われた。

 怪物は私の背後——髪そのものが怪物になっている。

 腕も脚も目も鼻もない、ただ口だけの化け物が靄を喰らっている。

 もっしゃもっしゃと、靄を齧る音だけが駐車場に残る。その光景は蝶を捕まえたカマキリのようで、でも、それを見ていると何だか安心した。


 ****


 家に帰ると椿はまだ寝ていた。春先とはいえ、毛布も被らず夜風に吹かれてよく眠れるなと感心する。

 開けていた窓を閉めると、嗅ぎ慣れた自室の臭いが鼻腔を擽る。酒臭さはもう無かった。

「んあ……。何だ雪音、出掛けていたのかい?」

「うん、ちょっとね。ねぇ、コーヒー飲む?」

「ん、んー……。あぁ、貰うよ」

 着ていた上着を脱いで、キッチンでお湯を沸かす。

 椿は寝癖が付いた頭のまま、凝った体をほぐすように大きく伸びをする。

「何か面白い事でもあったのかい?」

「……どうして?」

「なに、私がここに来た時よりも機嫌が良さそうなのでね」

「別に、ただ散歩をして帰ってきただけ。面白いと言っても精々がお化けくらいのモノだよ」

 興味深い、と椿は言いながらキッチンに来る。

 足取りからして少しは酔いが覚めたのだろうが、私からすれば依然酔っ払いのそれだ。

 だからだろう、背中越しに抱き着いてくる。

「まだ酔ってるの?」

「うーん、ほろ酔いってところかな。嫌かい?」

「お酒の匂いは嫌い」

「ふふッ、そうか」

 背中から感じる温度がより濃くなった。同じ女性からしても椿の身体つきは蠱惑的だ。おまけに手を胸元に回してくるから、シャツ越しに伝わる女性特有の柔らかさがより強調されて、つい彼女から顔を背けてしまう。

 それが楽しいのか、横目に映った椿の顔は主人に構ってもらえた犬のように見えた。

「……なに?」

「いーや。珍しく嫌がらないから私も調子に乗ってみたくなったのさ」

「酔っ払いの相手をする元気がないだけだよ」

「ふふ、そういう事にしておこうか」

 たっぷり十秒、私を抱きしめた椿は満足気な雰囲気で離れる。

 背中にあった暖かい感触が消えて薄ら寒い。

「ところで雪音、パレイドリア効果というものを知っているかい? 空に浮かぶ雲が動物の形に見えたり、岩の模様が顔に見えたりするアレのことだ」

「知ってるけど、なに」

「いや、そのお化けとやらは本当にお化けだったのか、という話さ。ただの錯覚という事もありうる。医者としてはその説を推してみたくなってね」

 くつくつと意地の悪い笑みを浮かべながら椿は冷蔵庫に手をかける。

 こいつ、コーヒーと一緒に酒を飲む気か……。

 呆れつつ、私は溜息をつきながら腕を組んで、さっきの言葉の意味を考える。

 錯覚、か……。

 三年前の事故で入院して以来、私は所謂『人の悪意』というモノが見えるようになってしまった。

 見えるだけじゃない。匂いもするし、触ることだってできてしまう。おまけに私の中には得体の知れない怪物まで居るのだから救えない。

 怪物は私の意志に関係なく『悪意』を喰らい、飲み干していく。最初はそれが怖くて、髪を切ったり、お祓いをしてもらったり、椿に検査をしてもらったりと色々と騒ぎ立てた。

 でも、どれだけ髪を切っても翌日には元に戻って、どれだけ調べても怪物の正体は分からず、どれだけ検査をしても私の体は「普通」という結果に終わってしまった。

 今となっては、もう調べる気力も湧いてこない。

「別に、どうだっていいよ。お化けにしろ、錯覚にしろ、怖いものには違いないもん」

「ははっ、そうだね。それより雪音」

「なに」

「お湯、沸いてるよ」

 見れば、ケトルは真っ白な蒸気を上げていた。

 注ぎ口から勢いよく出ている蒸気は、少し上の方で勢いを失って丸っこい形になる。その形が私には子供が描いた怪物に見えた。

「……ねぇ、椿」

「なんだい?」

「悪意って、どんな味がすると思う?」

 私の質問に、椿は何本目かの缶ビールを開けながら、

「さぁね、善意だろうと悪意だろうと私には分からないさ。私に分かるのは友人の家で飲むビールの味くらいのものだ」

 なんて、得意気に言った。


 ****


 翌朝、起きたら椿はいなかった。睡眠欲に引っ張られながらベッドの中から机に置いてある時計を見る。

 三月二日、午前六時三十二分。ベッドに潜ってからまだ三時間ほどしか経っていない。

 昨日、コーヒーを飲んだ後も二時間ほど椿の酒盛りが続いていたせいか、まだ眠り足りない。

 ……いや、もしかしたら単純にコーヒーが良くなかったのかもしれない。

 椿はきっと仕事の支度をするために一度家に帰ったのだろう。最悪なことに、ビールの空き缶は机に置きっぱなしで処分されていなかった。

 あのろくでなし……。

 眠気と共に沸き上がる怒り。それを鎮めるためにもう一度枕に顔を埋めると、カーテンの隙間から覗く光が空き缶に反射して、顔に当たる。

 それに腹が立って、顔を埋めていた枕を投げつける。投げてから、後悔した。

 からんからん、と部屋に響く甲高い音。それに交じって、スマホが鳴った。

 画面を見なくても誰がかけてきたのか見当がつく。だからこそ、出たくない。

 一回、二回と続く振動。睡眠不足の頭には嫌に響く。

 どうして朝からこうも嫌なことが続くのか、そんな疑問も着信音にかき消される。

 六回目の振動。

 私はとうとう我慢できず、スマホを取った。

「おはよう雪音、よく眠れたかい? あぁ、返事は必要ないよ。君のことだ、まだベッドの中だろう」

 私とは違い、眠気も二日酔いも感じさせない口調で椿は続ける。

「昨日話した殺傷事件についてだが、残念なことに今朝また別の場所で起きた。昨晩のコンビニと合わせて二件連続、何かしら関連性はあるはずだ。詳細は診療所で話すからできるだけ早く私の所に来るように」

「……そう言われて、私が行ったことあった?」

「ないね、だから彼に迎えを頼んだ。あぁ、そうそうついでに近くのコンビニでサンドイッチと紅茶を買ってきてくれ」

 電話はそこで切れて、入れ替わる様にインターホンが鳴る。

 私史上、ぶっちぎりで最悪な朝になった。

 何処の誰が引き起こしたかもわからない殺傷事件よりも、知り合いが残した空き缶の方が質が悪い。

 いつもいつも、嵐みたいに他人を振り回すくせに、その後始末を押し付けられるのはいつだって周りに居る人間——主に私だ。何たる理不尽か。因果応報なんて言うが、あれは嘘だ。

 だって、巻き上げられた瓦礫は、決して嵐の中心には落ちてこないのだから。

 そこまで愚痴ったところで、二度目のインターホンが鳴った。

 椿も椿だが、彼も彼だ。迎えに来るにしても、後三十分くらい遅くても良いだろうに。

「はぁ……眠い」

 ひとまず、椿に買っていくサンドイッチを何味にするか考えながら、私は寝間着代わりのシャツとジャージを脱ぎ散らかした。


 ****


「おはよう雪音」

「……おはよう、春介」

 インターホンに急かされる様に玄関を開ければ、屈託のない笑みを浮かべて既原春介きはらはるすけが立っていた。まだ早朝と呼べる時間だというのに、彼の顔には活力が満ちていた。でも、それを嫌いになれないのは人柄故だろう。

「眠そうだね、何処か寄る?」

「うん、コンビニに寄る。ついでに椿の朝御飯も買わなきゃいけないから」

「それ、雪音にも言ってたんだ」

「春介にも?」

「うん、サンドイッチと紅茶を買ってきてくれって言われた」

「まったく……」

 きっと、私が面倒くさがって買わないことを懸念したのだろう。私のことをよく理解している。

 ため息をつきながら、私達はマンションを下りて通りを歩く。

 見上げる空はまだ少しだけ白さを残して、太陽は頭だけを見せていた。

 朝特有の肌寒さは自然と背筋を伸ばして、きしませる。

 昨晩は眠れなかったせいだろう、それだけで背中が鈍く痛む。

「まだ、朝は寒いね」

「冬ほどじゃないにしても、まだ上着は要りそうだね」

 普遍的な呟きに、春介は律義に返答した。

 既原春介は高校時代のクラスメイトだ。訳あって、二年からの編入になった私の隣の席が彼だった。

 大人という存在が手に届く距離にまで近づいて、何かと難しい年頃の子が多かった中で、「普通」を貫き通した数少ない変わり者。

 髪は染めないし、伸ばさない。ピアスもしないし、制服の改造とかもしない。人付き合いはそこそこで、スマホの連絡先にはクラスメイトの名前が幾つかあった。

 身長は百七十をギリギリ超えていて、私よりも十センチほど高い。

 人の良さが全面的に出た顔立ちは、椿からも好評だった。

 高校時代から私と一緒に椿の所でバイトをしているが、四月からは親元を離れて大学に通いながら椿の所でバイトをするらしい。

 慣れない生活が始まる中で、あの変人の相手をしていて体力が持つのかはたはた疑問ではあるけど、彼が振り回されている様子は見ていてちょっと楽しい。

「聞いてる、雪音?」

「ん、ごめん。なに?」

「例の殺傷事件の話だよ。二月の暮れから続いて、もう一週間になるっていうのに犯人が分かんないなんて変だと思わない? 昨晩も近くのコンビニで起きたみたいだし。被害者の人、今日の零時ごろに病院で亡くなったらしいよ」

「さぁ、椿からも聞いたけど興味ないもん。でも、犯人には人を襲ってる自覚なんて無いんじゃないかな」

「え……?」

「私達がコンビニの商品棚からサンドイッチと紅茶を買うのと一緒。ただ選んでるだけで、人を殺そうなんて思ってない。だから、人殺しを探そうとしても見つからない。だって、そんな人居ないんだから」

「選んでるだけって、どういうこと?」

「……サンドイッチが美味しそうとか、おにぎりが美味しそうとか、そんな感じ。犯人にとって美味しそうな人たちを選んでるだけ。選んだものを食べるか捨てるかは選んだ側の権利

 ってこと」

「美味しそうって、なんだかその人のこと知ってるみたいだね」

「知らないよ。ただ、私ならそういう基準で選ぶ。因みに、今朝はおにぎりと緑茶が良い」

「えぇ……」

 唐突なリクエストに春介は反応に困った顔をした。

 うむ、それで良い。

 選ぶだとか、美味しそうだとか、そんなつまらない話よりも朝ご飯の話をしよう。

 あぁ、でもちょっと聞いてみたいことができた。

「ねぇ、春介ならどういう基準で人を選ぶ?」

 春介は一瞬考えると、

「僕が好きか嫌いか、かな?」

 そんな答えを何に恥じらいもなく言い切った。


 ****


 結局、春介と二人イートインでゆっくりと朝ご飯を食べたおかげで、診療所に着いたのは八時前になった。

 椿が経営する診療所は、都心から離れたこぢんまりとした住所にある。辺りには住宅も工場もなく、駅からもバス停からも微妙に遠い。おかげで、一番近くにあるコンビニに行くにも徒歩で十五分もかかるという何とも不便な立地だ。

 おまけに外観も酷い。看板の塗装はすっかり剝がれて「診療所」の「診」が消えているし、受付や玄関には節電という理由で電気が付いていない。

 古い知り合いが経営していて潰れた診療所の跡地を買い取ったらしいが、これじゃあまるで廃墟だ。

 そんな辺鄙な場所にある診療所に患者が来ることは殆どなく、今日も今日とて受付は伽藍洞だった。

 コンビニの袋を下げて受付を抜けると、診察室が並んだ廊下に出る。その廊下の一番奥にある右の部屋。そこが椿の個室になっている。

 診療所の中は外観とは違って改装工事が入っていて、ある程度は患者を受け入れる体制を築いている。けれど、肝心の改装内容は椿の趣味になっていて半分は彼女の自宅のようになっていた。

 本来スタッフ用の給湯室として使われていた部屋は、キッチンに変わり果てて冷蔵庫まで完備されているし、患者が殆ど来ないことを良いことに診察室の幾つかを私物化している。

 なので、基本的に私達がコミュニケーションを取るのは椿の個室でとる事になっていた。

 診察室のドアを開けると、散らかった部屋の中にお似合いの人影が一つ。

「おはよ」

「おはようございます、先生」

「おはよう二人共、随分と遅い出勤じゃないか」

 いつもと変わらない笑顔。でも、ちょっとだけ不機嫌そうだった。きっと、頼んでいた朝ご飯が来なくて拗ねていたのだろう。

「まったく、人がお腹を空かせて待っていたというのに……」

「二時ごろまでおつまみ食べながらビール飲んでたでしょ。食べ過ぎは良くないと思ってわざと遅く来たの」

「そうかそうか。で、本当は?」

「面倒だったからわざと遅れた」

「あはは、すいません……」

 私達の軽口に春介は生真面目にも謝る。何とも眠いやり取りだ。

 そう心の中で愚痴りつつ、コンビニの袋を投げ渡して壁際にあるベッドに寝転がる。ここまで頑張って来たけど、もう眠気が限界だ。

「そこ、本来は患者が寝るんだがね」

「別に、誰も来てないんだからいいじゃん。来る予定も無いし」

「まぁね。でも、診療所が平和なのは良い事だよ。誰も怪我をしていないという事だからね」

「よく言うよ。殺傷事件の話をしようとしてたくせに」

「してた訳じゃないよ。これからするのさ。だからさ、ほら」

「いい。興味も無いし、多分聞いてる途中で寝る」


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