第3話

「みすぼらしいな」


粗末な牀榻で膝を抱えていた璃夏は、ゆるゆると顔を上げた。

鉄の格子越しに見る藍芳は薄い笑みを浮かべている。

元々、華美を好まない人だったが、紅燕が側室となってから変わった。細かな細工が施された銀の冠、指に翡翠の指輪を連ね、金銀の刺繍が美しい衣は、ほの暗い明かりの下でも目映く輝く。

まるで別人のようだと、璃夏はかつての夫をぼんやりと見上た。こんな場所にまでその格好なのかと、思わず失笑してしまう。

気づかれぬように視線を落とせば、外したままの簪が鈍く光った。


「恨むならお前の父を恨め。王に仇なす大罪人の晏璃風(アン.リーフォン)をな」


「弟は……」


「ん?」


「弟も、殺したのですか?」


「璃月(リーユエ)か……憐れだが、大罪人の子だからな」


目を瞑り、嗚咽を呑み込む。

覚悟はしていたが、現実を突きつけられると辛い。

藍芳は、弟の璃月を実弟のように可愛がっていた。その情に微かな望みを持っていたのだが、呆気なく断ち切られた。

まだ十二歳、璃夏が嫁いだ時は八歳だった。


「何故、私を殺さないのですか?」


唯一の希望を失った今、言葉を選ぶ必要はなくなった。

璃夏は顔を上げ、藍芳を見つめて言う。


「今更、情けなどいりません。さっさと毒を賜りたく存じます」


思っていた反応と違ったのだろう、王は驚いたように目を見張り、僅かに肩を引く。


「大罪人の娘とは言え、我が后だったのだ。民の前で罪を認めれば、一命を助け、穏やかに余生を過ごせるよう取り計ってやる」


「……罪?」


璃夏は眉をひそめた。


「そうだ。重臣達を唆し謀反を扇動し、皇太子妃の権をかざして国費を浪費した。更に側室である紅妃に嫉妬して、その罪を被せようとした」


(何を言っているのだろう…………)


璃夏は謀反の事など知らなかった、もちろん扇動などしていない。

浪費をしていたのは紅燕で、王に対して嫉妬をするほどの愛情はなかった。


「明日、廃后のふれを出す。そこで罪を認めよ、そして紅妃と民に謝罪せよ」


ここまで聴いて漸く、璃夏は王の思惑を理解した。

先王は民に慕われていた。

その重臣達に謀反を起こされた上、璃夏を廃后すれば、「王に非があったのか」と民は噂するだろう。

それでなくと、紅燕が国費を浪費していたことは王宮の外でも噂になっていた。

その噂を一掃するため、璃夏に罪を被せるつもりなのだ。


「そこまで……」


「何?」


「そこまで、愚劣な人間になり下がったのですか?」


「なっ……」


ふつふつと沸き上がる怒りに、璃夏は床に足を下ろし、藍芳の方へ歩を進める。


「謀反を起こした者達の罪は罪、私も罪人の娘としてその罪を負いましょう。貴方も御自身の選択が正しいと思うなら、王として堂々と胸を張ればよろしいのです。貴方の選んだ側室に非があると思うのなら、王として、夫としてーーーーー諌めるべきです」


璃夏は格子越しに藍芳を見上げた。

璃夏の背は藍芳の鼻先ほどしかないが、覇気の強さは弱っている筈の璃夏が圧倒的に上回っていた。

自分が逆の立場なら、璃月を殺したりはしなかったろう。嘘でも生きていることを匂わせて、助けることを条件に、璃夏を従わせればよかったのだ。そんな事すら出来ないとは、つくづく愚かで弱い人だと思う。

放心したようだった藍芳は、言われたことを理解すると、羞恥と、怒りに顔色を変えた。


「そなたのそう言うところが、嫌いだ。理不尽に文句も言わず、感情を見せず、正しいことを口にする。私のことを、父に遠く及ばぬ愚かな男と蔑んでいただろう」


「そんなこと……」


「紅燕はっ、私の光だ。慰め、敬い、愛してくれる…………私は紅燕を失いたくない…………」


それは、璃夏が初めて聴く藍芳の本音だった。

自分ではない女への想いを吐露する姿は、ひどく身勝手で、弱々しく、憐れだ。

だが、不思議なことにその姿が一番、璃夏の心に響いた。

それでもーーーー


「彼女を愛おしいと思うなら尚更、過ちは正すべきです。ひとつ嘘をつけば、それを隠すためにまた嘘を重ねることになります。楽な道ではなく、正しい道選んでください。民のためにも、紅燕のためにも、王のためにも」


「やはり、そなたには通じないのだな」


ぽつりと呟き、藍芳は背を向けた。

振り返ることなく去ってゆく背には、深い哀しみがあった。

璃夏はその場に崩れ落ち、嗚咽する。

破滅へと向かう王と、民を思って。


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