3-2

 その夜、なぜか俺は夜中に目が覚めてしまった。

 街の酒場で妙な動物の肝を炒めた料理を食わされたせいかもしれない。やや胃がむかついているような気がする。一杯水でも飲んですっきりした方が良さそうだ。

 そう決意して自分の部屋を出ることにしたが、布団から出るとあまりの寒さに震えた。凍える体を抱きしめながら扉を開けて階段を下りる。

 今回俺たちが泊まっているのは貸別荘のような石造りの家屋だ。ノルデンブルクではレースに訪れる関係者のために、こういった施設がいくつか用意されているそうだ。五人で過ごすには十分な広さでなかなか快適な宿なのだが、夜は暖炉の火が消えているせいで信じられないくらいに冷える。

 一階の台所で甕に入った水を飲むと胃のむかつきは消えていった。これでぐっすり眠れそうだ。

 自分の部屋に戻ろうと玄関ホールを横切った時、カンカンという金属同士がぶつかるような音が建物の外から聞こえて来た。

 何だろう?

 外の厩舎にはレースを目前に控えたプルーフがいる。盗賊や野犬であれば何とかして追い払わなければならない。そんな義務感から俺は恐る恐る玄関の扉を開いた。

 外は当然建物の中より寒かったが、風がないので思ったほどではなかった。空気が澄んで星もよく見える。薄く積もった雪には月の光が反射している。先ほどの金属音以外には音のない静謐な雪国の夜の風景だ。

 庭先を見渡すと、カンカンという音は家屋の隣に建てられた小屋から響いていた。それに気づいて音の主がルドルフだと気づいた。その小屋は装蹄師が鍛冶作業を行うために用意された設備だったからだ。

 となると別に異常事態でも何でもない。ルドルフが何か作業をしているのだろう。しかし、昼間の男のこともあって俺はルドルフの事が気にかかっていた。これが親切心なのか好奇心なのかわからないが、もう少し彼の事を知りたいと思う。

 気づくと俺の足は小屋の方へ向かっていた。

 石造りの小屋の中に入ると凄い熱気が襲って来た。外との気温差でくらくらしそうだ。

 六畳ほどの小さな空間の奥には金属を熱するための炉が備え付けられており、真っ赤な炎が灯っている。炉の手前には金床が置かれ、その上に載せられたオレンジ色の金属をルドルフが槌で打っていた。

 ルドルフは俺が入ってきたことに気づいてちらりとこちらを見たが、すぐに槌を振る動作を再開した。仕事の邪魔をするのも忍びないのでこちらも黙って彼の作業を見守ることにした。

 ルドルフが槌を振るたびに金属は徐々に姿を変えていき、やがて馬の蹄の形に成形されていった。やはり蹄鉄を作っていたのだ。

 蹄鉄を見たことはもちろん何度もあるが、こうしてでき上がる瞬間を見るのは初めてだった。それは新鮮な体験であると同時に、いつも当然のように使っていた道具がどう作られているか知らなかったことに対する若干の後ろめたさを感じさせるものだった。

「……飲むか?」

 ルドルフは作業を終えると、近くの棚からティーポットを取り出しマグカップに注いで手渡してくれた。

「ありがとう」

 ルドルフのことだからひょっとして酒なんじゃないかと一瞬疑ったが、受け取った容器に入っていたのはちゃんとした紅茶だった。一口飲むと良い香りが鼻を抜けていき、体を芯から温めてくれた。

「何を作っていたんだ?」

 ここまで来てみたはいいが何を話したらよいかわからず、分かり切った事を聞いてしまう。

「蹄鉄だ。プルーフのためのな」

「こんな夜中に?」

「昼間留守にしていたのもあってな。明後日のレースに備えて何種類か用意しとるのだ」

「何種類か……?」

 蹄鉄はユニコーンの四肢の蹄に取り付けるから最低四枚は必要だろう。しかし一つのレースに対して複数の種類が必要になるのだろうか。

「実際に使うのは一種類だが、当日の馬場(コース)の状態に対応できるようにしておるのだ。特にこの時期のノルデンブルクは雪の影響がある。雪が解けているのか、積もっているのか。積もっているのならどれくらいの深さか。それによって使うべき最適な蹄鉄は変わってくる」

 そう言ってルドルフは何枚かの蹄鉄を見せてくれた。

 見慣れたシンプルな形のものもあれば、細かい凹凸が入っているもの、サッカーのスパイクシューズのような突起が付いているものもあった。

「凄いな……。こんなに用意してるのか」

 日本にいた時も含め、今まで装蹄師の仕事を何となくしか理解していなかったのだということを痛感した。当たり前のことだが、レースに至るまでの間に何人もの関係者が準備をしてくれているおかげで競馬が成り立っているのだ。

「……ふん。別段凄いことでも何でもない。これが儂の仕事だ」

 ルドルフは淡々とした表情で答えた。

 その様はまさに熟練の職人という風格だ。ルドルフがチームにいることが頼もしいと改めて感じる。だからこそ昼間の件が気になってしまった。

「その……。例の話聞いたか?」

「……グスタフのことか? マリアから聞いている」

「……どうするんだ?」

「お前さんが気にすることではない。例え負けても儂は故郷に帰るつもりはないぞ。まあそもそもプルーフを負けさせるつもりはないがな」

「そっか……。なら良かった」

 力強いルドルフの言葉に俺は安堵した。

「そういえば、ルドルフは何で装蹄師になったんだ?」

 昼間のグスタフの言葉からすると、ルドルフは元々戦士だったようだ。戦士から装蹄師に転職というのはあまりピンとこない。

「……」

 ルドルフが急に押し黙ったので触れてはいけないことを聞いたのかと思い俺は焦った。いらない好奇心を出してしまったかもしれない。

 沈黙が痛いほどになるかならないか、という所でルドルフがポツリポツリと話し始めた。

「……三十年前。今で言う魔界戦争の時のことだ。ここから北に半日ほど行った所にある港街ハーフェンブルクから海を挟んだ島、『テーネブリス』の門が開き、魔界から大量の魔族が飛び出して来た。その頃ハーフェンブルクの戦士隊長だった儂は街を守るために奴らと戦った」

 ルドルフが語った内容はこの世界に来て初めて聞いたファンタジー世界らしいものだった。その語り口は本物の戦いを経た者だけが知るのであろう重みを含んでおり、俺は固唾を飲んで話に聞き入った。

「儂らも激しく戦ったが、魔族共の勢いは凄まじく、街を捨てざるを得なかった。その後も奴らの侵攻は続き、一時はこの北東部を含む大陸の半分近くが奴らの手に落ちた。最終的には儂らドワーフと人間、エルフの連合軍が勝利し、魔族共は一掃され、『テーネブリス』の門も封印されたがな」

 ルドルフはそこで一息ついて自分のマグカップの紅茶を飲み干した。そして遠い目で炉に燃える炎を見つめながら話を続けた。

「……儂は門の封印を見届けた後、ハーフェンブルクの近くにある故郷の村に帰った。だが、そこで待っていたのは変わり果てた家と弟の亡骸だった。むなしかったよ。家族と同胞を守るために戦士になったはずなのに、大切なものを何一つ守れていなかった。最後に残ったのは儂が弟にお守りとして渡していたこの『オリハルコン』の兜(ヘルム)だけだ。皮肉なもんだろう」

 ルドルフはそう言って傍らに置かれたひしゃげた角付き兜を叩いた。それは彼がいつも持ち歩いているものだった。まさか弟の形見だったとは。

「弟は体があまり頑丈ではなくてな。戦士にはなれなかった。その代わりにユニコーンダービーに勝ちたいと言って装蹄師を目指していた。あの戦いで何もかも失った儂は、弟に代わってユニコーンダービーを目指すのもよいかと思うようになった。ちょうど戦士という職業の価値を見失っちまっていたしな。……そんなところさ。儂が装蹄をやっている理由は。くだらん話を長々と聞かせちまったな」

「……そんなことはないよ」

 三十年前の戦争がルドルフの人生を大きく変えてしまったのだ。平和な世界に生きてきた俺には彼の感じた絶望は想像もつかない。しかし、弟の夢を代わりに果たそうという気持ちはよく理解できた。俺も同じように亡くした父の想いを継いでいるからだ。ルドルフのためにも何とかしてユニコーンダービーを獲りたいと改めて思う。

「でも、なんでグスタフはルドルフに戦士に戻って欲しいんだ? 戦争はもう終わったんだろ?」

「……グスタフは、兄は家の誇りを気にしておるのさ。ワーグナー家は代々戦士の家系でな。戦士になれなければ家族の一員として見なされんのだ。まあ、儂はもはや家に興味はない。生き残っているのも儂とグスタフだけだしな」

「そうか……」

 たった二人の家族なら仲良くした方がいい、と傍から見ていれば思ってしまうが、彼らには彼らなりのしがらみがあるのだろう。

「グスタフはジョッキーとしては素人だ。どうせ儂を潰すためだけにユニコーンレースに首を突っ込んでおるだけだろう。だが、子供の頃から馬に乗るのが得意なやつではあった。しかも戦士として日頃からバイコーンに乗っておるからな。きっと強敵になるだろう。小僧も心してかかれよ」

「ああ。負けられないよ。ルドルフが凄い装蹄師なんだってグスタフに見せつけるためにもな」

「……ふん。調子に乗りおって。さあ、もう寝ろ。儂もまだ作業の続きがある。小僧に見られていては気が散ってかなわん」

 そう言ってルドルフは俺を小屋から追い出した。部屋に戻る途中、俺は彼と彼の家族のことを想った。背後からは槌を振るうあの音が繰り返し鳴り響いていた。

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