3章 ドワーフの誇り
3-1
「はぁっ!」
雪が降り積もる寒さの中、俺はプルーフと共に坂路のトレーニングコースを駆けあがっていた。
「ブルッ! ブルッ!」
凍てつく空気にプルーフが吐く息も白くなる。
俺たちは今、ノルデンブルクという大陸北東部の街にある競馬場を訪れていた。季節はまだ秋の半ば頃なのだが、この地方は一年を通して寒いらしく、今日も氷点下まで気温が下がっていた。
衝撃的な末脚を披露したデビュー戦からもう三か月が経つ。あの後すぐに未勝利戦で見事優勝し、チームプルーフは貴重な一勝を手にしていた。そこからは馬体の成長を促すため一旦放牧を挟み、次のレースに出走するために今回この街にやって来たというわけだ。
「このド下手くそがっ!」
トレーニングコースを出て下馬するなり、マリアの叱責が飛んできた。
「アタシの出した指示よりも三秒も早いタイムじゃないか! レースは明後日だっていうのに無駄な負荷をかけるんじゃないよ!」
「す、すんません……」
マリアは俺のことを正式なジョッキーとしては認めてくれたが、腕そのものを認めてくれたわけではなく、こんな風にしょっちゅう叱られていた。
実はプルーフを放牧している間も、体を鍛えるいい期間だと言ってハードなトレーニングメニューを課され、ひたすらしごかれたのだった。正直あれはマリアの趣味も入っていたのではないかと思う。だがそのおかげで今まであまり使っていなかった筋肉を鍛えられ、パワーアップしたような気がするので文句は言えない。
「まったく……。今回のレースの重要性をちゃんと理解してるのかい?」
今回プルーフが出走するレース、ノルデンブルク賞典はユニコーンダービーへの重要なトライアルの一つである。
ユニコーンダービーはトライアルポイントの獲得上位順に出走権が与えられる仕組みだ。トライアルポイントはダービー本番までの各主要レースで一着から三着までに入ることで獲得できる。つまりどれだけ強い馬でも本番までに実績を残していなければスタートラインに立つことすらできないというわけだ。
ノルデンブルク賞典はレースの格付けはそれほど高くないのだが、獲得できるトライアルポイントは多めに設定されているため穴場といえる。もっとも、この地方の厳しい寒さに耐えることが前提になるので、避ける陣営も多いらしいのだが。いずれにせよここで優勝できれば、ユニコーンダービー出走へと大きく近づくことは間違いない。
「罰として裸でトラック三十周だね」
「まあまあ、マリア。フーマも別にスピード出したかったわけじゃないと思うし、まずは話を聞こうよ」
マリアが意地悪な顔で死刑宣告に等しい発言を投げてきたが、隣にいたルナがとりなしてくれた。
「……しょうがない。で、どうだったんだい? プルーフの調子は」
「ああ。唸るような手応えでしっかり仕上がってるよ。全然仕掛けたつもりはないんだけど、自然と進んで行くような感じだった。乗っている分にはそんなにスピードが出たってわからなかったぐらいだ」
「フーマの言う通りだと思うよ」
ヘカテがプルーフの額に手を当てながら口を挟んだ。
彼女は実は魔獣医師の資格を持っており、チームの獣医として活躍しているのだ。フェアリー族の能力なのか、ユニコーンに触れるだけで体の様々な状態を把握できるのだという。
「プルーフ自身は全然無理してない。心拍数も想定範囲内だし、魔力も充実してる。レース前のトレーニングとしては文句なしだね」
「ふーん。だとすると、プルーフの成長がアタシの予想を上回ってるみたいだね」
マリアは自分が俺を責めていたことはすっかり忘れて納得した様に頷いた。こちらとしては釈然としないが、この三か月で雑な扱いに慣れてしまった自分がいる。
「なら上々だ。さっさと片付けて前祝いに呑みに行くとしよう!」
「またお酒!?」
「何言っているんだい。ノルデンブルクはドワーフの街だよ。そうなりゃ旨いビールがわんさかあるに決まってる! これを逃すわけにはいかないよ!」
「ならもう好きにすれば。私はフーマと一緒においしいご飯を探しにいくから。ね、フーマ?」
「あ、ああ」
なんかそれってデートみたいじゃないか?
俺はそう思って胸が高まるのを感じた。
「言っとくけどボクもルナについて行くよ。フーマにとっては残念かもしれないけどね」
ヘカテのニヤニヤ笑いのせいで俺の気持ちは急速に萎んでいった。
「くくっ。残念だったね、童貞坊や」
「だからその呼び方やめろって!」
一行がそんな他愛ない会話を繰り広げていると、奥のコースから赤銅色の馬に乗ったドワーフの男が近づいて来た。雪が降る中だったためか、突然現れたような感覚になる。
「……おい、お前たち。プルーフ陣営の者か?」
男のドスが効いた低い声は、その風貌も相まって空気を一変させた。
何かで切り裂かれたような酷い傷跡が残る禿頭に、口元に蓄えた真っ黒な髭。黒曜石のような小さな瞳には鋭い眼光が宿っている。ドワーフらしく人間やエルフよりも小柄な体格の持ち主だが、油断すれば一瞬で首を刎ねられてしまいそうな底知れない威圧感を放っている。
彼が跨っている馬も乗り手に負けず劣らず個性的だ。鹿毛や栗毛よりも赤みの濃い光沢のある毛並み。やや低い体高に詰まり気味の胴体で、普通のユニコーンよりもずんぐりとした印象を受ける体型だ。最も特徴的なのは額の角で、なんと小振りな角が二本生えている。
「バイコーンだね」
ヘカテが耳元で囁いて教えてくれた。
バイコーンとはユニコーンの亜種だ。角が二本ある以外に大きな差はないとされており、ユニコーンレースへの出走も認められている。ジョッキー登録の際に知識としては学んだが、実際に目にするのは初めてだ。そう言えばノルデンブルクにはバイコーンが多いとマリアが言っていた。彼らもノルデンブルク賞典に出てくるのだろうか。
「いかにもアタシらはプルーフのチームだが。一体何の用だい?」
マリアが一行を代表して応じてくれた。
「ルドルフ・ワーグナーという男を探している。お前たちの陣営に属していると聞いた」
「確かにルドルフは内のチームの一員だけど、見ての通り今は出かけてるよ」
「そうか。では伝言を頼みたい。次のレース、この俺に負けるようであれば故郷に戻り、戦士として復帰しろ、とな」
「……他人の事情に首を突っ込む気はないが、チームメンバーを引き抜こうって話なら黙っていられないね。そいつはどういう了見なんだい」
「引き抜きなどではない。これはドワーフの戦士同士の問題だ。俺の名はグスタフ・ワーグナー。伝言、確かに届けたぞ」
グスタフと名乗った男は一方的に告げると雪の中に消えていった。
「チッ。これだからドワーフって奴は。どいつもこいつも人の話を聞きゃしない」
「ねえ、マリア……。ルドルフ大丈夫かな? 今の話伝えるの?」
ルナが不安そうに尋ねた。
口には出さなかったが俺も同じ気持ちだった。ルドルフはチームの仲間であり、優秀な装蹄師だ。彼が欠けてしまってはチーム『プルーフ』は成り立たない。
「……面白くはないが、伝えないわけにはいかないだろうね。皆気づいたかもしれないが、グスタフはルドルフの血縁者だ。チームメンバーとは言え、家族の事情に口出しするのは野暮ってもんさ。こいつはルドルフ自身が向き合うべき問題だ。アタシらができることはプルーフが勝てるように力を尽くすことぐらいだろうね」
マリアの言う通りかもしれない。どのみちここで勝たなければダービーは見えてこないのだ。ルドルフのためにも今はレースのことだけを考えよう。
そう思ったものの、簡単には気持ちは晴れなかった。一行はもやもやとした想いを抱えたまま雪が舞う競馬場を後にしたのだった。
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