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「あり得ない……」

 俺は心底不機嫌な気分で呟いた。

 ここはダスクシティ郊外の競馬場の一角。レースに出るユニコーンたちが出走準備をする装鞍所と呼ばれる場所だ。

 俺の目の前には芦毛のユニコーン、プルーフが立っており、その周りを皆が慌ただしく動いている。ルドルフは蹄と蹄鉄のチェック、マリアは鞍とゼッケンの装着だ。

「プルちゃんならできる。プルちゃんなら大丈夫。だから怪我無く走ってきてね」

 ルナはプルーフに声を掛けながら鼻筋を撫で落ち着かせている。

「……あり得ない」

 俺は再び呟いた。

 今日はプルーフのデビュー戦当日。これはプルーフにとっても大事な一戦だが、首がかかっている俺にとっても重大なレースだ。だというのに、自分自身の準備が全くできていない。

 日本にいた時、俺はレースに乗る前に必ずトレーニングで跨って背中の感触を確かめていた。それができない時でも、その馬の以前のレース映像や走る様子を見ることで本番に備えることは欠かさなかった。

 それらは自分が乗る馬の癖や特徴を掴むためにとても重要な作業だ。当たり前のことだが、競走馬は機械ではなく生き物だ。それゆえ一頭一頭骨格も違えば筋肉の質も異なる。性格だって同じではない。だからこそそういった彼らの個性を把握して騎乗することで、持っている能力を十分に引き出すことができるのだ。

 しかし、今回はその準備が何一つできていない。

 プルーフはデビュー前だからレースの映像はないし、本番直前だからトレーニングもできない。せめて軽く跨るだけはしたかったのだが、プルーフの機嫌が悪くなるからやめろとマリアに止められてしまった。

 つまりは完全なるぶっつけ本番。サラブレッドならまだしも、ユニコーンに乗ってレースをしたこともない俺にとっては大きすぎる試練だ。

「緊張してんの? フーマ」

 一緒に準備の様子を眺めていたヘカテが能天気な様子で尋ねてきた。

 逆に聞きたいがこの状況で緊張しない馬鹿がいるだろうか。しかし、この無神経な妖精にからかわれたくもないので精一杯強がってみる。

「多少は、な」

「まあ首がかかってるもんねー。でもルナは君の事信頼してるみたいだからさ。ちゃんと応えてあげてよね」

「……わかってる」

 芦毛が勝てないというジンクスを自分が破るとルナに誓った。そのための第一歩だ。現状で出せる全力で挑むしかない。

 そう覚悟を決めた時、後ろから聞き覚えのある高笑いが聞こえてきた。

「あらあらまあまあ。誰かと思えば灰色の御一行ではありませんの」

 振り返ると例の朱色髪の女エルフ、ヴェロニカが腕組をして立っていた。

 今日の彼女はパレードリングの時とは打って変わってスポーティな装いだ。特徴的な色の髪は後ろで束ね、金色の派手なリボンで結んでいる。赤地にオレンジの刺繍が施された乗馬服は体にぴったりと張り付く形状で、彼女の美しいプロポーションを強調していた。

「まさかわたくしの愛馬、『ブラックロータス』と同じレースを選んでくるとは、いい度胸ですわね」

 彼女の後ろには雄大な馬格を誇る黒いユニコーンが泰然と控えていた。ビロードのような黒光りする毛並みに、太くて鋭い赤銅色の角。一目で強いとわかる美しいユニコーンだ。

「まあ、あなた方、特にそこの生意気な人間のジョッキーが恐れおののく様を早々に見られるのですから、わたくしとしては愉快ですけれどね」

「そいつはどうかな」

 明らかな挑発をしてくるヴェロニカに俺も言い返してやろうとしたが、その前にマリアが口を挟んできた。

「言っておくが、うちのチームのメンバーはなかなかに粒ぞろいだ。そのアタシらが見込んだこの子がただの芦毛のユニコーンだと本当に思っているのかい? あまりでかい口を叩くと後で死ぬほど恥ずかしい思いをすることになるよ」

「マリア……!? 貴女……。勝手に従兄上(あにうえ)の元を去ったかと思ったら、まさかそんな駄血の小娘と組んでいたと言うの? これだから人間というのは……。どいつもこいつもすぐにわたくしたちを裏切りますわね」

「マリアは去年までヴェロニカと彼女の従兄のチームのトレーナーだったんだよ」

 ヘカテが耳元でこっそりと教えてくれた。

 なるほどそれでやりあっているわけか。話しぶりから察するにあまり円満な別れ方ではなかったらしい。

「裏切ったとは心外だな。単なる方向性の違いだよ。まあ、ジョッキーの腕が少々頼りないっていうのは決め手の一つだったかもしれないけどね」

「こ、このっ! ……まあいいでしょう。今日のレースが終われば嫌でも自分の選択の愚かさがわかることでしょうから。せいぜい今のうちにいきがっておくことですわ。ではごきげんよう! チーム『ロバ』の皆さま」

 ヴェロニカはそう告げると、お決まりの高笑いと共に去っていた。

「……相変わらず血の気の多い女だね。さて、そろそろレースの時間だ。坊や、準備しな」

 マリアはそう言って乗馬用のヘルメットを手渡してきた。

「口はでかいが、ヴェロニカのユニコーンが強敵なのは間違いない。それでもプルーフなら相手になるはずだ。いいかい、スパートのタイミングに気を付けておくれ。この子の脚は一瞬だが、凄まじいものを持っている。それを活かせる騎乗を頼むよ」

 助言めいたことを言い残し、マリアは関係者の控室へと向かっていった。

 初戦から厄介な相手とぶつかってしまったが、結局やることは一つ。プルーフの力を引き出すことだけだ。ヴェロニカたちが強敵だとしても、ダービーを目指す以上、いずれは戦わなければならない。だとしたら相手との力関係を図れる意味ではいい機会かもしれない。

 そんなことを考えながら着々とレースの身支度を整えていく。手袋をはめ、ゴーグルを装着する。そしてルドルフの手を借りてプルーフの背中に跨った。

「……フーマ、気を付けてね」

 ルナが心配そうな表情で下から見上げている。

「勝負も大事だけど、プルちゃんもフーマも無事に帰ってくることが一番大事だよ」

 ルナの言葉は、落馬したことがきっかけでこの世界にやってきた俺には重く響いた。

 考えてみれば俺はこの世界に来てから自分のことばかりで、あのダービーで共に戦ってくれた愛馬、マゼットマゼランのことを想ってすらやれていなかった。彼にとって生涯で一度きりのダービーを台無しにしてしまったどころか、怪我をさせてしまったかもしれない。彼だけでも無事であってほしいが、もはやそれを確かめることすらできなくなってしまった。

 過去を変えることはできないが、せめてこれからのレースで同じ轍を踏まないことで報いるしかない。

「……ああ。無事に戻るよ。そして結果も出す。だから見守っていてくれ」

 当たり前のことだが、俺の乗る馬は俺だけのものではない。ルナを含めチーム全員にとっての相棒だ。だからこそチームのためにもいいレースをしよう。

 俺は決意を新たに戦場へと踏み出した。

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