2章 タキオンブースト

2-1

 無事契約を終えた俺は他の仲間を会わせたいというルナとヘカテに連れられ、街はずれにある彼女らの拠点にやってきた。

 そこは日本のよくある一軒家くらいの大きさの煉瓦造りの建物だった。白い漆喰と煉瓦の赤茶色が温かい色味を出しており、脇にはユニコーンが生活するための厩舎と馬房(ばぼう)が併設されている。

 プルーフを馬房に入れて建物の扉を開けると、途端に中から強烈な悪臭が漂ってきた。

 これは……酒の匂いだ。

「うわぁ……。あの人たちまたやってるよ」

 匂いを嗅いだヘカテが辟易したような顔で肩をすくめた。

「今日はパレードリングだからジョッキー連れてくるよ、って言ったんだけどなぁ……」

 ルナも困ったような表情だ。

 嫌な予感を抱きながら玄関ホールを抜け、奥の部屋に進むと、そこには想像以上に悲惨な光景が広がっていた。

 床中に散らばった大量の空き瓶とジョッキ。さらにはワインが入っていたと思われる酒樽も二、三個転がっている。そして部屋の中心に置かれたテーブルの上には、この状況を作り出したであろう二人の人物が腰かけていた。一人は人間の女性、もう一人は初めて見る種族だがどうやらドワーフの男のようだ。

「おう! お嬢! ようやく帰ったのかい?」

 女性の方が陽気な調子で話しかけてきた。

 年の頃は三十代半ばくらいだろうか。長く伸ばした明るい茶色の髪と、それと同じ色の切れ長の瞳。艶っぽい唇や着崩したブラウスから見える胸の谷間が蠱惑的な雰囲気を醸し出している。

「ちょっとマリア! 今日はお酒飲まないでって言ったよね!?」

「うん? そうだったかい?」

 彼女は珍しく怒った様子のルナを見てもどこ吹く風だ。

「アタシはルドルフが飲むって言うから付き合ってただけだよ。一人で飲ませたら可哀そうだろ?」

 ルドルフと呼ばれた男はドワーフらしい小柄な体型の持ち主で、頑固そうな小さな瞳ともじゃもじゃに伸びた焦げ茶色の髭が特徴的だ。なぜかひしゃげた銀色の角付き兜を背中に垂らしている。彼は自分の話題が出ても一切動じることなく酒を飲み続けていた。

「二人とも本当にお酒好きだよねー」

 ヘカテが鼻をつまみながら羽ばたいた。

「そんなにいつも飲んでて飽きたりしないの?」

「はっ! わかってないねぇ。このダスクシティの周辺には大陸でも有数の葡萄の産地がある。葡萄が違えば味も違う。つまり一瓶一瓶違う風味を楽しめるのさ。ということはどんだけ飲んでも飽き足らないってことになる」

「お酒の話はもういいよ!」

 ルナが呆れたように遮った。

「ごめんね、フーマ……。なんか変な感じになっちゃったけど、とにかく二人を紹介するね。彼女はマリア。調教師(トレーナー)だよ」

「おう。よろしく、坊や」

 トレーナーとは競走馬を管理する者のことを言う。どのレースに出場させるか、それに向けてどんなトレーニングを課すかなど、馬に対する包括的なマネジメントがその役割となる。

 競走馬にとっては誰がジョッキーかということももちろん重要だが、それと同じくらいトレーナーも重要だ。才能のある馬であってもそれを引き出すマネジメントができなければ成果を上げることはできない。日本の過去の名馬たちの栄光にも必ず名トレーナーの存在があるのだ。

 このマリアという女性はなかなか癖が強そうだが、ルナが見込んだ人物なのだろうから、ここは信じて付き合っていくしかない。

「それでそっちの彼がルドルフ。装蹄師さんだよ」

 ルドルフはちらりとこちらを一瞥しただけで、再び酒を飲む動作を再開した。一定のリズムで黙々と杯を進める様はまるで機械のようだ。

 装蹄師は競走馬の蹄をケアする職業だ。蹄を削って整え、蹄鉄を装着させてレースに備える。蹄鉄は人間で言えば靴にあたるものなので競走馬にとって欠かせない重要な装備だ。ジョッキーやトレーナーほど華やかな職業ではないが、競走馬の活躍を影で支える仕事人と言える。

 ルドルフのことは相当な酒好きということしかわからないが、きっと『無口だけど腕の立つ職人』なのだろう。そう信じたい。

「そしてこちらがフーマ。今日私と契約してくれました! 二人共仲良くしてあげてね」

「フーマ・オオゾラだ。この大陸に来たばかりでいろいろ慣れないこともあるが、何とかプルーフにダービーを獲らせたいと思っている。これからよろしく頼む」

「へいへい。よろしく。……で、お嬢。今日連れてくるって話のジョッキーはどこだい?」

「え? いやだからここにいるフーマがうちのジョッキーだよ」

「おいおい。冗談はよしてくれよ、お嬢。アタシはてっきり雑用係か何かかと思ってたんだが……。まさかこんな下手くそそうな童貞坊やをジョッキーに選んじまったってのかい?」

「なっ!」

 確かにジョッキーとして胸を張れるほど優れた実績があるわけではない。だが、そこら辺の二流よりかはましな腕だというくらいの自負はある。しかもレースに乗る前に下手くそ扱いされるのは我慢できない。いや、というかそれよりも……。

「だ、誰が童貞だ!?」

「ほう。違うってのかい?」

「っ!」

「図星じゃないか。そういう意味では面白い坊やだね」

 マリアはそう言って意地悪く微笑んだ。

「そんな話はジョッキーの腕と関係ないだろ」

「アタシの感覚では関係なくもないけどね。まあそれは置いておいたとして、この大陸に来たってばかりのアンタの腕を簡単には信用できないよ。一応今年のダービーに関しちゃ私も本気なんだ」

「うーん。でももう魔法契約を結んじゃってるんだよねー。ボクの立ち会いで」

「なんだとこのくそ妖精! なんでお目付け役のてめえがしっかり止めねえんだよ!」

 マリアはヘカテに掴みかかろうとしたが、彼女はふわふわと羽ばたいて逃げるだけだった。

「あのね、マリア。事前に相談できてなくて申し訳ないんだけど、フーマとはその……いろいろあって……。たぶん私たちもフーマもお互いのこと必要としてる気がするの。だから彼のこと認めて欲しい。私はマリアともフーマとも一緒にダービーを目指したいと思ってる」

「……はあ」

 ルナの言葉を聞くと、マリアはヘカテを襲うことを諦め、大きく溜息をついた。

「わかったよ。お嬢は一度言い出したら聞かないからねぇ。ただしチャンスは一戦だ。初戦で使えないと判断したら、契約破棄してでも替えを用意するよ。いいね!?」

 マリアはこちらに人差し指を突き付けながら宣言した。

 競馬界においてトレーナーの発言権はかなり強い。オーナーが最終決定権を持っているのは確かだが、現場の責任者であるトレーナーと揉めてもジョッキーはやっていけない。実際、日本にいた時もトレーナーから下手な騎乗をしたと判断すれば二度と乗せてもらえないことがあった。

「……わかった」

 ルナは俺のことを信じてくれた。それに応えないわけにはいかない。

「一戦目で必ず結果を出す。その代わり、勝ったら俺を正式にジョッキーとして認めてくれ」

「……いいだろう。アタシに二言はない。結果を出せたらダービーまでアンタと心中してやるよ」

「よかった! 二人共わかってくれて」

 ルナは安心したように微笑んだ。

「じゃあ早速プルちゃんのデビュー戦に向けて準備しなきゃね。もう時間もないし」

「……ちょっと待ってくれ。そのデビュー戦っていつなんだ?」

 ルナの言いように不安を覚えて恐る恐る尋ねた。

 何となく気づき始めたのだが、彼女は大事なことを言い忘れる癖がある気がする。

「あ、言ってなかったっけ? 記念すべきプルちゃんのデビュー戦は明日だよ」

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