1-3

 再びルナを探しながらパレードリングの中を見て回る。

 三十頭くらいのユニコーンとオーナーを巡ったが、なかなかルナの姿は見つからなかった。

 その間に気づいたことだが、ユニコーンたちは体色が白の個体が多いようだ。

 元いた世界の競馬で使用される品種、サラブレッドには鹿毛という茶色の馬が多い。他には黒鹿毛や青毛という黒っぽい個体や、芦毛という灰色の個体もいるが、実は白い馬というのはまず見ないほど希少なのだ。

 対してユニコーンは白が最もメジャーで、次いで黒、鹿毛は数頭といった分布だ。ユニコーンと言えば確かに白い馬を思い浮かべるから違和感はないのだが、サラブレッドの代わりと考えると不思議な気もする。

 そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか会場の一番奥までやって来ていた。

 この一帯は契約を求めるジョッキーたちの姿もまばらだ。近くに建つ大きな教会らしき建物の影で日当たりが悪いせいか、会場内でもあまり人気のないエリアになっているのかもしれない。しかし逆にこういう所にこそダイヤの原石が隠れているものだ。

 そう思って辺りを見渡すと、最も暗くて目立たないブースにひっそりと立っている銀髪のエルフを見つけた。髪を結いあげ、瞳と同じ淡いブルーのドレスで着飾っているが、あの姿はルナに違いない。傍らには彼女の愛馬と思わしき灰色のユニコーンが立っている。

 ようやく見つけた恩人に挨拶すべく駆け寄ろうとしたとき、すぐ横から甲高い耳障りな女性の声が聞こえてきた。

「まあ! あそこにいるユニコーンたらなんて汚い色なのかしら。まるでロバみたいな灰色」

 声の方に振り向くと、夕日と見間違うような朱色の髪をしたエルフの女が立っていた。

 エルフの年齢はよくわからないが、見た目からは自分と同じくらいの歳に見える。気の強そうな吊り上がり気味の目に琥珀色の瞳。それを彩る睫毛も髪と同じ朱色だ。身に纏った真紅のドレスは彼女の髪色と相まって、その場にバラが咲いたかのような華やかな印象を与える。

 顔の造形で言えば間違いなく美人なのだが、表情や服装のせいか高飛車に見える女性だ。加えて周囲には数人の取り巻きを引き連れており、意地の悪い貴族のお嬢様感が凄まじい。彼女らは皆一様にルナと彼女のユニコーンを蔑むような嘲笑を浮かべている。

「それにあの貧相で小さな角ときたら。あれでまともに走れるのかしら。あんなユニコーンと契約するようなお馬鹿なジョッキーがいるのでしたら、ぜひ一度顔を見てみたいですわね」

 朱色の女はわざとルナに聞こえるような声の大きさで話している。これは明らかに嫌がらせだ。こんなことをされてはルナのところに誰も寄り付かなくなってしまう。

 何か言い返せばいいようなものだが、ルナは俯いて唇を固く結んで耐えているだけだった。

 もしかしたらオーナーとしてジョッキーと揉めるような事態を避けたいのかもしれない。だが部外者である自分なら突っかかっても問題ないだろう。ルナはこの世界で何も持っていなかった俺のことを救ってくれた。今度はこちらが彼女の力になる番だ。

「おい、あんた」

 俺はルナを庇うような形で女の前に出た。

「どういう了見だか知らないが、他人のユニコーンを貶めるようなことはルール違反なんじゃないか」

「な、なんですの、あなた?」

 女は突然割って入ってきた俺の存在に一瞬たじろいだ様子だったが、すぐに調子を取り戻した。

「わたくしは一般論を述べているだけですわ。別に誰かを貶めるつもりなんてありませんのよ」

「馬体の色をなじるような言い方は明らかに悪意があると思うけどな」

「あなた、素人ですの?」

 朱色の女はこちらを見下すように鼻を鳴らした。

「灰色、芦毛のユニコーンが弱いというのはユニコーンレースの世界では常識ですのよ。それは血統が示していますの。芦毛が出るということはユニコーンの純粋種ではなく、亜流の血統が濃いという証拠。事実、今まで芦毛がユニコーンダービーを制したことは一度もありませんわ」

 血統か……。

 確かにサラブレッドにおいても血統はとても重要な要素の一つだ。競走という限られた土俵の上では遺伝的な身体や精神の優位性がはっきりと出る。強い馬の仔やその兄弟が優秀な成績を修めているのは過去の例から見ても明らかだ。

 しかし、血統で全てが決まるわけではない。統計的に良血馬が優れているというのは間違いないが、個で見ればデータを覆すことは大いに起こり得る。だからこそ競馬は多くの人を魅了するスポーツなのだ。

「今まで一回も勝ったことがないからと言って、今回も勝てないとは限らないだろう。走るまで結果がわからないのがレースだ」

「結果がわからなかったとしても、勝算がないに等しいのは事実ですわ。河を渡るのにわざわざ泥でできた舟を選ぶ愚か者はいませんでしょ? わたくしはここにいるジョッキーの方々が間違って泥舟を選ばないよう警鐘を鳴らして差し上げていたのですわよ」

「例え良血でない馬でも力を引き出し、勝利に導くのが優れたジョッキーってものだろ」

 俺の目標である父、大空天馬がまさにそんなジョッキーだった。力が足りないと思われた馬でも奇想天外な乗り方で実力以上の力を発揮させる。それが父が天才と称された所以なのだ。

 まだまだ遠く及ばなくとも、自分もそうありたいと俺は思う。だからこの女の物言いは気に入らないし、例えルナが関わっていなくても突っかかっていただろう。

「その努力を怠って見かけや血統で馬を非難するようなヤツがいたとしたら、ろくなジョッキーじゃないな」

「なっ、なんて無礼な男なのかしら! このわたくしが『秋の森』のヴェロニカと知ってのことですの!」

「悪いが俺は最近遠くの国からやって来たばかりであんたのことも『秋の森』も知らないんだ。さあ、もうお互い言いたいことは十分言ったろ。ここにいるオーナーさんの商売の邪魔になるから持論の演説は他所でやってくれ」

「なんですってぇ!」

 俺の追い払うような言い方に、ヴェロニカは顔を真っ赤にして怒りの声を上げた。

「素人の人間の分際で生意気な! いいですわ! そこまで言うのでしたらあなたがそこの芦毛と契約なさい!」

「は? なんだそりゃ。勝手に決めるな!」

 ルナには世話になったし感謝しているが、契約するかどうかは別問題だ。第一、契約とはお互いの合意が必要なものだ。俺の方がよくても彼女がどう思っているかはわからないし、あちらにもジョッキーを選ぶ権利がある。

「もう遅いですわよ。あなたはわたくしを完全に怒らせましたの。これからあなたが契約しようとする他のオーナーには手を回して全て反故にさせてやりますわ!」

「な、なんだと!?」

 出鱈目にも程がある。ヴェロニカがどういう地位にある人物なのかわからないが、実はとんでもない女に喧嘩を売っていたのかもしれない。

「別に問題ありませんでしょ? 芦毛だろうとロバだろうと力を引き出せば良いのですから。それとも、あんな大口を叩いておいて自分は芦毛のユニコーンは選べないとでもおっしゃるの?」

「っ……!」

 痛いところを突かれた。だが、こうなってはこちらも後には退けない。いや、ヴェロニカが自分の言う通りの権力を持っているのだとしたらすでに退路はないわけなのだが。

 しかしせめてルナの意思は確認しておかなければ。そう思ってちらりと彼女の方に視線を投げると、こちらに向かって小さく頷くのが見えた。それで俺の心は決まった。

「いいだろう。俺が彼女と契約して、この世界初の芦毛のダービー馬を誕生させてやる」

「ほほほほほほ! 随分と大きく出ましたわね。レースであなたをひねりつぶすのが楽しみになって来ましたわ。きっとあなたはわたくしに盾ついたことを後悔することになるでしょうね」

 ヴェロニカはそう宣言すると鼻につく高笑いを残して去って行った。

 嵐のような女だった……。

 俺はどっと出た疲れを感じながら、契約相手となったルナの元へ赴いた。

「その……。すまない。こんなことになってしまって」

 二日ぶりの対面は少々気まずい形になってしまった。彼女の助けになろうとしたのだが、結果として選択肢を狭めただけだった。ジョッキーの選択はオーナーにとって最も重大な決断なはずだろうに、異世界から来た謎の男と契約することになってしまいさぞ不安だろう。

「ううん。フーマが私たちのために怒ってくれたこと、うれしかったよ」

 ルナはそう言ってはにかむように微笑んだ。

「フーマの方こそ、私で、この子でよかったの?」

「そうだな……」

 俺は改めて彼女のユニコーンを間近で観察した。

 灰色の馬体はまだ少々幼さを残し、後躯(トモ)の張りも十分ではない。額の角は他のユニコーンたちと比べると小振りで、色も艶のない象牙色だ。大きな黒い瞳は警戒するように注意深くこちらを見つめている。

 正直、見た目で言えばそれほど魅力的なユニコーンとは言い難い。だが、体のバランスは整っているし、時折動く際の仕草から運動神経の良さは感じる。

「さっきあいつにも言ったことだが、走るまで結果がわからないのがレースだと俺は思っている。だからこの子だって十分ダービーを獲れる可能性はあるさ」

 かつて日本競馬界の『英雄』と呼ばれた伝説の名馬でも、幼い時はそれほど目立つ馬体ではなかったというのだから、やはり競走馬は走らせてみないと分からない。

「……でも、あの人の言っていたことも本当なんだ。芦毛がユニコーンダービーを勝ったことはないの」

「それでも、ルナは勝てる可能性があるって信じているからここに来たんじゃないのか? それなら俺はオーナーを信じて馬の能力を引き出すだけさ。それに俺がいた世界のダービーなら芦毛の馬が勝ったことがあるんだ。だからさ、なんか俺が乗ればジンクス打ち破れそうだろ」

「そうなんだ……。そうだよね。やってみなきゃわからないもんね。ありがと! なんか元気出たよ」

 ルナは再び笑った。それは今日初めて見る彼女の明るい笑顔だった。

 予想とは違う形でユニコーンを選ぶことになったが、この笑顔が見られたのだから、結果的に良い選択だったのだろう。俺はそう思うことにした。

「改めて、これからよろしくね! フーマ!」

「ああ、よろしく」

「じゃあ、えっと……、キスしよっか」

「えっ……?」

 美少女から突然投げられた破壊力抜群の言葉に、俺は同様のあまり石のように固まった。

「ちょっと待ってくれ……。まだ心の準備ができていないというか、何というか……」

 動揺のあまりしどろもどろになってしまう。緊張に顔が火照ってくるのを感じるし、動悸が激しくなっている。

 自分でも恥ずかしいと思うのだが、俺は子供の頃からひたすら乗馬に打ち込んでいて、あまり女の子と話したことがない。当然、今まで誰かと付き合ったこともないし、キスなんてしたこともない。異世界とはいえいきなりそんな行為に及ぶのは少々尻込みしてしまう。

「俺たちまだ会ったばかりだし、そうゆうのはもっと親密になってからの方がいいような……」

「え? あ! ああ! ちょっと待って! それはそのそういう意味じゃないの……。えっとそのキスではあるんだけど、えぇっと……」

 俺の言葉にルナも何かに気づいたようにあたふたし始めた。こうなってしまってはもはやパニックだ。お互い顔を見合わせながらどんどん顔が赤くなっていく。

「もう! 君たち何やっているんだよ!」

 そこに一羽のフェアリーが救援に現れた。

「ヘ、ヘカテ! 姿が見えないと思ったらどこにいたんだよ」

 俺は話題をそらすためヘカテに話を向けることにした。

「どこって、外だよ。契約相手が決まるまでオーナーとジョッキー以外は会場に入れないことになっているんだ。やっと決まったと思って来てみたら、相手がまさかのフーマだし、何かキスの話で盛り上がってるし」

「べ、別に盛り上がってたわけじゃないよ!」

 ルナが抗議の声を上げる。

「はいはい。混乱しちゃっただけだよね。もう面倒くさいからサクっとやっちゃおう。フーマ、そこに跪いて、ルナは指輪嵌めて手を差し出す」

 俺とルナはヘカテのテキパキとした指示に慌てて従った。

「キスって言ってもその指輪にするだけだからね。オーナーとジョッキーの魔法契約に必要な儀式なんだ。ボクが詠唱するから合図したらすること」

 そういうことだったのか。冷静に考えれば当たり前だがいきなりこんなところでキスするわけはない。中世のヨーロッパとか映画でたまに目にする主君への誓いの儀式みたいなことなのだろう。

「魔法と誓約の神、シリウスの名の元に契約を結ぶ。オーナー、ルナ・アルジェンティ、ジョッキー、フーマ・オオゾラ。両名は一年を共に過ごし、ユニコーンダービーに勝利するべく力を尽くすことをここに誓う。ジョッキーは誓いの証を」

 ヘカテに促され、俺はルナの手を取った。細く白い指に嵌められているのは銀色の輪に青く煌めく宝石があしらわれた指輪だ。その宝石に向かって優しく口づけをする。

 唇が触れた瞬間、不思議な力が体内を駆け巡るような感覚に襲われた。これがきっと魔法契約とやらの効果なのだろう。

「ここに契約は結ばれた。二人の道行に幸があらんことを」

 ヘカテの厳かな宣言によって儀式は完了した。先ほどの力の奔流も治まっている。

「これで名実ともにフーマはボクたちの仲間だね」

「うん! チーム『プルーフ』へようこそ、フーマ」

「『プルーフ』?」

「そう。この子の名前が『プルーフ』なの」

 ルナが指しているのは傍らのユニコーンだ。

「そうか。よろしくな、プルーフ」

 俺がそう言ってプルーフの鼻筋を撫でた瞬間、

「って、痛ってえぇーー!」

 伸ばした手が芦毛のユニコーンにパクリと咥えられていた。

「あ! ごめん! この子人見知りが激しくて、慣れてない人には噛みついちゃうの……」

「それは先に言ってくれ……」

 何とかユニコーンダービーへの道を歩き始めたわけだが、なかなかに前途多難そうだ。

 手の痛みに呻きながら、俺は心中で溜息をついた。

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