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 それからの二日間は慌ただしかった。

 まずは街の役所にジョッキーの登録申請を行い、その後一日半かけて体力テストや筆記試験を受け、翌日の午後にようやく申請許可が下りた。パレードリング開催までに何とか滑り込みで間に合ったという感じだ。

 申請書や筆記試験に書かれている文字は俺が知るどこの国のものとも違ったが、なぜか自然と意味を理解することができて苦労はなかった。よく考えれば異世界人のルナやヘカテと普通に会話ができているのだから、きっと何か補正のようなものがかかっているのだろう。

 ルナたちとは宿屋で会話したきり会っていないが、別れ際にいくらかお金を貸してくれており、パレードリングまでは十分に食いつなげるほど懐には余裕があった。何から何まで世話になってしまい申し訳ない気がしたが、ルナは出世払いで返してくれればいいと笑っていた。

 俺は彼女らの恩に報いるべく、パレードリングに備えて情報収集をしようと、残りの時間を使って酒場を尋ねてみた。ダービーに勝つためには強いユニコーンと契約しなければならない。そのためには有力な情報を得ることが何よりも重要だ。

「やっぱり今年もエレナ様のところのユニコーンで決まりだな」

「いやいや、俺が仕入れた情報によると……」

「聞いたか!? 北部から有望な若手ジョッキーが来るらしいぞ」

 酒場に集まった人々は皆、パレードリングの話題で大いに盛り上がっており、こちらから話しかけずともいろんな噂が聞こえてきた。街中にも多くの張り紙が出ていたし、このイベントがかなり大規模なものなのだということが感じられる。

 俺は酒場のマスターや客の会話から有力なオーナーやジョッキー、強いユニコーンの見分け方などの情報を引き出し頭に叩き込んだ。そうしていくつかの酒場を巡るうちに祭りの前夜は更けていったのだった。


 迎えたパレードリング当日。会場となる中央広場に向かうと、そこは華やかな祭典の場と化していた。

 まず目を引くのはやはりユニコーンだ。大きな楕円形の広場の淵に沿って、五十頭近くのユニコーンが盛装したオーナーたちと共にずらりと並んで立っている。実際にユニコーンを見るのは初めてだったが、一目でその美しさに圧倒された。サラブレッドも美しい生物だったが、ユニコーンはその上を行く。走ることに特化した機能美に加え神秘的なオーラを纏っているように感じられるのだ。

 続いて広場の中央に目を移すと、ドレスやタキシード姿の人々がグラスに入った飲み物を片手に談笑している。こちらは恐らくジョッキーたちだろう。皆、思い思いの衣装で着飾ってこのイベントを楽しんでおり、広場全体はさながら舞踏会のような華やかな雰囲気に包まれていた。

 会場には人間だけでなくエルフも多かった。ここダスクシティは人間の街だが、近くのエルフの集落と交流があり、パレードリングになるとエルフのオーナーやジョッキーも訪れるのだそうだ。ルナもそうしたエルフの一人なのだろう。

 彼女にも改めてお礼と挨拶をしなければ。

 立ち並ぶユニコーンの資質を見定めつつ、ルナたちの姿を探していると、不意に一人の男に呼び止められた。

「君、ここのパレードリングは初めて?」

 そいつは俺と同じ歳くらいの若い人間の男だった。

 多くの女性を一瞬で虜にしそうな、少し憂いを帯びた黒い瞳と泣き黒子。意志の強そうな薄い唇。オールバックの黒髪とスラリと長い手足が、タキシードによく映えていて、どこかの貴公子のように見える。それでいて近寄りがたい印象は抱かない。むしろ優しげな表情のせいで親しみやすさを感じる。

 天性の人たらしだな。

 これとよく似た男を知っている。競馬学校の同期でいつの間にか自分を追い抜かして行ったあの成宮優だ。もちろん顔は違うのだが、爽やかな笑顔や纏っている空気がそっくりで、成宮が中に入っているのではないかと疑いたくなるくらいだ。

「あぁ、突然話しかけてごめんよ。僕はユーリ。ユーリ・ラフマニノフだ」

 ユーリ・ラフマニノフ……。

 酒場で聞いた名だ。確か若手の期待の星で去年のユニコーンダービーでも二着に入っているとか。その独創的な騎乗スタイルと確かな技術で『北の天才』とも呼ばれているらしい。雰囲気だけではなく名前やジョッキーとしての実力まで因縁の相手に似ているとは。初対面の相手ではあるが正直いい感情を抱けない。

「……フーマ・オオゾラだ」

 この世界風の表現で短く名乗り返す。

「よろしく! フーマ」

 ユーリはにこやかに握手を求めてきた。

 別にこの男と仲良くしたいわけではないのだが、周りの目もあるので形式的に握手を交わしておく。

「実は僕、ダスクシティに来るのは初めてでね。いろいろ興味深く見て回ってたんだけど、君も同じような感じだったからお仲間かな、と思って声を掛けたんだ。どう? 当たってた?」

「まあ、そんなところだ」

「そっか! なら一緒に回らないかい? やっぱり初めての場所って何かと不安だし、二人の方がより楽しめるだろ?」

 冗談ではない。

 ユーリはユニコーンレースではかなりの有名人だ。そんなやつと一緒に回れば強いユニコーンを持っていかれるのは目に見えている。本人に悪意はないのかもしれないが、こちらからすればいい迷惑以外の何物でもない。

 適当な理由をつけて断ろうとしたその時、後ろの方から大きな歓声が沸き上がった。

 振り返ると広場の入り口に一頭のユニコーンとエルフの女性が入ってくるところだった。

 そのユニコーンは素人が見ても一目で良い馬だと判るほど強烈な存在感を放っていた。純白の馬体に長く太く伸びた銀色の角。たてがみも角と同じ銀色で、歩くたびに揺れ、陽の光で輝いて見える。まるで絵画に描かれた一角獣のような幻想的な一頭だった。

 そしてその横にいるエルフもまた引けを取らないほど美しい女性だった。腰まである長い銀髪とエメラルドのような美しい瞳。身に纏った緑色のドレスは背中が大きく開いており、そこから陶磁のような白い肌を惜しげもなく見せている。頭上には虹色に輝く宝玉が埋め込まれたティアラを戴いており、彼女が高貴な生まれであることを示していた。

 広場の人々はうっとりとしたため息と共に彼女らの動きを見守っていた。エルフの女性は広場の淵の定位置らしきところにユニコーンを誘導すると、よく響く声で周りに呼び掛けた。

「遅れて申し訳ありません。この子の名前は『アダマンタイト』と言います。皆さま、今年もよろしくお願いします」

 その声を受けて、周りのジョッキーたちは一斉に彼女の元へと押し寄せた。

「エレナ様!」

 彼らはそうエルフの女性に呼び掛けている。

 そうか。彼女がエレナ・ディアーナなのか。

 俺は酒場で着いた情報を思い出した。エレナはルナと同じ『銀の森』の出身で、そこを治めるディアーナ王家の姫君だという。『銀の森』自体、ユニコーンの生産で有名なのだが、ディアーナ王家のものは群を抜いて優秀らしい。確かにあのユニコーンは誰が見ても素晴らしい馬だった。

「へえ! ダスクシティにはすごいユニコーンがいるんだなぁ」

 横で一連の流れを見ていたユーリが感心したように言った。

「フーマ、君は彼女にアタックしないのかい?」

「……その気はないな。あの感じじゃ期待薄だろ」

 あの『アダマンタイト』というユニコーンが別格なのは間違いないが、何の知名度もない俺では彼女と契約を結ぶのはまず不可能だろう。

 トップレベルの馬を選べるのはほんの一握りのトップジョッキーか、オーナーと何らかの繋がりがある者に限られる。それは日本の競馬と変わらないはずだ。今の俺にはどちらもないのだから、『アダマンタイト』のような宝石ではなく、将来良くなる素質を秘めた原石を狙うべきだ。

「そうかな? 戦う前から諦めるようなことじゃないと思うけどな」

 ユーリにはこちらの立場はわからないだろう。なにせこいつは『天才』と称されるこの世界でトップクラスのジョッキーだ。ユーリの実績や知名度なら群がっている他のジョッキーたちを押しのけて、エレナを射止めることができるかもしれない。いずれにしても俺が蚊帳の外であることに変わりはないのだからどうでもいいことだが。

「そう思うなら、挑戦してきたらどうだ?」

「うーん……。実は他に本命がいたんだけどね。ただ、あれほどの逸材を見逃す手もないか。うん、決めた。行ってくるよ」

「そうかい。じゃあここでお別れたな」

「見守ってくれないのかい? 僕が玉砕した時のために慰め役が必要だろ」

 ユーリは冗談めかして笑った。

「俺も早く契約相手を探さないといけないからな。あとはよろしくやってくれ」

「そうか……。じゃあ、次はレースで会おう。君と戦うのを楽しみにしているよ」

 そう言うとユーリは爽やかな笑顔を見せて去っていた。

 ようやく厄介な奴から解放された。

 俺は軽い溜息と共に心中で呟いた。

 悪い奴でないのはよくわかるのだが、彼のような人間は俺にとっては眩しすぎて一緒にいるだけで疲れてしまう。

 俺はユーリがエレナに近づいていくのを見届けると、彼に背を向けて歩き出した。

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