1章 エルフとユニコーン
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「じゃあキミ、フーマって言ったっけ? フーマは元々別の世界の人間で、気を失って気がついたらこの中央大陸(ミッドランド)にいたっていうのかい?」
手のひらに収まりそうな大きさの少女の妖精が俺の目の前で羽ばたきながら尋ねてきた。
彼女はエルフの少女の友人でフェアリー族のヘカテと名乗った。目を覚ます前に聞いた声の主のもう一人がこの妖精だったらしい。
「まあ。要約するとそうなるかな」
「ふーん」
ヘカテは腕組みをしながら疑わしい奴、と言いたげな表情でこちらを見つめてきた。
素性を疑われるのは気分が良いものではないが、この世界の住人からすれば当たり前の反応なのかもしれない。俺も日本にいるときに突然妖精に出会ったら疑ってかかるだろう。
だが、この状況を疑っているのはこちらも同じだった。落馬して目が覚めたら異世界にいた、などということがあり得るだろうか。普通に考えれば頭を打った衝撃で気が狂ったとか、長い夢を見ているというのが妥当なところだろう。しかし、そんな思考に反して俺の五感はこの世界は紛れもなく現実だと告げていた。
まあ、例え夢だとしても目を覚ます方法がわからない以上、しばらくこの状況に付き合わざるを得ない。その中で元の世界に戻る手段を探さなくては。
「それで。森の中で倒れていたキミをルナが見つけてここに運んできた、と」
「うん。そうそう」
ベッドの横に腰かけているエルフの少女がこくこくと頷いた。
彼女の名前はルナ。『銀の森』のエルフだという。『銀の森』がどんなところかは知らないが、ルナの美しい髪色に似つかわしい地名だと思った。
「この辺りの森は凶暴な魔獣が多いからね。私がたまたま薬草を採りに行ってて本当によかったよ」
ルナは屈託のない笑顔を向けてきた。
「……」
それは何の邪気もない一〇〇パーセント純粋な善意と思いやりから成る笑顔だった。
俺はそんな彼女の笑顔に不思議な衝撃を受けた。まるで心の中のモヤモヤとした何かを晴らしてくれる太陽のような存在が急に目の前に現れたように感じた。この感情をどう扱ったらいいかわからないが、厳しい勝負の世界で生きてきた自分にとって、見返りのない善意が少し眩しすぎたということなのかもしれない。
「うーん。キミのそういう慈悲深いところは美点だと思うし、尊敬もしているけどさぁ。わざわざこの大事な時期に厄介者を拾ってこなくても……」
「わかってるよ。『選択会(パレードリング)』まであと三日だってことくらい。でも、私は困っている人を助けるのに自分の都合は関係ないと思うな。それに……」
「それに?」
「異世界から来たのか記憶喪失なのかはよくわからないけど、フーマはきっと何か必要があってこの時、この場所にやってきたんだと思う。だってフーマはジョッキーだもん」
「え?」
聞き間違いだろうか。今、『ジョッキー』という単語が聞こえた気がする。このミッドランドという世界のことはほとんど知らないが、エルフやフェアリーが住むような世界に競馬の騎手が存在しているというのだろうか。
「……そのジョッキーというのは?」
「え? ジョッキーってレースでユニコーンに騎乗する人のことだよ。フーマってジョッキーなのかと思ってたけど違うの?」
「いや、確かに俺はジョッキーだが……」
ユニコーンときたか。
ユニコーン、日本語では一角獣とも呼ばれるそれは空想上の魔獣とされる存在だ。額の真ん中に一本の角を持つ馬に似た生物だといわれる。ユニコーンでレースをするという話はフィクションでも聞いたことがないが、ファンタジー世界の競馬なのだとすれば意外と納得できる。
それはそれとしても……。
「ルナ、なんで彼がジョッキーだって判ったんだい?」
気になっていたことをヘカテが代わりに聞いてくれた。
「なんで、って……。あ、そうだ! 目を覚ましたらこれを返そうと思ってたのに忘れちゃってたよ」
ルナは腰の後ろに手を回して細長い何かを取り出し、こちらに差し出してきた。
「これは……」
それは乗馬鞭(ステッキ)だった。
ステッキはジョッキーが馬にスパートの合図を送るための道具だ。鞭の一種ではあるが一般的にイメージされる縄状のものではなく、棒切れのような形をしている。ただの棒と違うのはよくしなるということと、馬を傷つけないように先端が平たくなっていることだ。
「フーマが倒れているすぐそばに落ちてたんだ。君のものだよね?」
「……ああ」
俺はステッキを手に取りその感触を確かめた。
間違いなく自分のステッキだ。それもあの落馬したダービーで使っていたものだった。
そのことに気が付いた瞬間、あのレースでの出来事が鮮明に脳裏に蘇った。
最後の直線、成宮に負けたくないという一心で無茶な騎乗をし、馬に負担をかけた挙句落馬した。苦くて恥ずかしくて、吐き気がするほどに悔しい記憶だ。
「どうかした?」
ステッキを強く握りしめるあまり、俺の拳はいつの間にか小刻みに震えていた。
「……いや。何でもない」
「まあ、ステッキを持っていたら確かにジョッキーだって判るよね」
ヘカテはこちらの様子には気づいていないような口調でステッキの件を締めくくった。
「ボクは運命なんて信じていないけどさ。ジョッキーだっていうなら、ルナの言う通りフーマがここに現れたことには意味があるのかもしれない。この街では三日後に『パレードリング』が開催されるからね」
『パレードリング』。先ほどルナも話していた単語だ。
俺はダービーの記憶を頭の片隅に追いやって今の自分の現実に意識を引き戻した。
ヘカテの言う通り異世界にジョッキーという職業が存在するのはきっと偶然ではないだろう。そうだとすれば元の世界に戻るための鍵は競馬にある可能性が高い。ここはひとまずこの世界における競馬の知識を収集しておくべきだ。
「その『パレードリング』っていうのは何なんだ?」
「キミ本当にジョッキーかい? 『パレードリング』を知らないなんて……」
ヘカテは呆れながらもそのイベントの内容を教えてくれた。
それによると『パレードリング』というのはユニコーンとジョッキーのマッチングのようなものらしい。ユニコーンとその主(オーナー)たちが広い会場に一斉に並び、それをジョッキーたちが見定め、お互いが合意したら騎乗契約を交わすのだという。
「『パレードリング』で契約すると、そのジョッキーとユニコーンは一年間一心同体になる。つまりそのシーズンのパートナー選びってことだからお互いに慎重になるんだよ。魔法契約だから破棄する場合には相応のペナルティが生じちゃうしね」
「なるほど……」
日本とこの世界ではだいぶ競馬の仕組みが違うらしい。日本では一日に何頭もの馬に乗って勝ち星を積み重ねるのが基本だが、こちらのジョッキーは一頭の馬につきっ切りになるようだ。
「少し理解できて来た。契約期間が一年間というのには何か理由があるのか?」
「え……? それも知らないの?」
ヘカテはげんなりした顔を見せてくる。
「そういう意地悪言わないの。フーマはまだ目が覚めたばかりで右も左もわからない状態なんだから」
ヘカテに代わってルナが説明を続けてくれた。
「契約期間が一年なのは、今から一年後に目標となる大きなレースがあるからだよ。一年間かけて大陸中のユニコーンの中から最強の十八頭が選ばれるの」
「大きなレース?」
「『ユニコーンダービー』だよ」
「ダービー……!」
その言葉の響きを聞いて思わず息を呑んだ。
辛酸を嘗めたレースであり、父が夢見た舞台であり、いつか必ず勝つと誓った目標だ。
「『ユニコーンダービー』はミッドランドで行われるユニコーンレースの中で最も歴史が長くて、最も格式高いレースなんだ。ユニコーンに関わる全ての人々がこのレースのために毎日努力してるんだよ」
同じだ。異世界に存在するダービーも俺が目指していたダービーと同じく栄光の舞台なのだ。それを知ると何か心が沸き立つような気持ちになった。
「それに『ユニコーンダービー』を制したジョッキーには『夢幻の杯』が与えられるんだ」
「『夢幻の杯』?」
「あらゆる望みを叶えられる万能の魔力の器のこと。私思うんだけど、フーマは何か叶えたい願いがあって、『夢幻の杯』を手に入れるためにここにやってきたんじゃないかな」
「……」
あらゆる望みを叶える道具。この世界の住人ではない俺にとっては現実味のないものだが、そんなものがあるのだとすればそれを使って元の世界に戻ることも可能かもしれない。
ダービーに負け、目覚めた異世界にまたダービーがあった。俺も運命を信じる性質ではないが、ここまで揃っているなら偶然とは思えない。まるで天がもう一度挑めと言っているかのようだ。
だが……。
俺はすぐに決断を下せなかった。
この世界の競馬が日本の競馬と同じかは分からない。それでもダービーと名のつくレースを勝つことがそんな簡単なはずはない。それを目指すことでまたあの時と同じ失敗や絶望を繰り返すのではないか。そのことが怖くてたまらなかった。
「俺は……」
ステッキを握る手が再び震える。
落馬して怪我をする恐れよりも、負けて自分の才能の無さを思い知らされることが何よりも怖い。
「大丈夫?」
その時、ルナが俺の拳を手のひらで優しく包み込んでくれた。
手のひらを通じて感じる彼女の体温が俺の心に染み込むように溶けていく。
彼女は他に何も言わずただ純真な微笑みを向けてくるだけだった。俺はそんな彼女の温かさで何とか落ち着きを取り戻すことができた。
どっちみち今のところ他に手段は見つかっていないのだ。元の世界に戻るためにはユニコーンダービーを勝つのがきっと最短の道だろう。それにレースは走ってみなければ結果が分からない。挑む前から逃げるようでは勝てるものも勝てない。俺は今までもそう思ってレースに臨んできたはずだ。ならばもう一度自分を信じて全力で挑むしかない。
「……決めた。俺もその『ユニコーンダービー』を目指す。それで元の世界に帰るよ」
「うん! それがいいよ! フーマ、初めてちょっと笑ったね」
そう言ったルナの笑顔は輝いて見えた。今さらだが彼女と触れあっていることにドキドキしてしまい、俺は慎重に手を解いて誤魔化すように咳払いした。
「……その、いろいろ教えてくれてありがとう。それと森で助けてくれたことも。ちゃんとお礼を言えてなかった」
「いいんだよ。困った時はお互い様って、お父さんもよく言ってたもん。でも次に会う時は私たちライバルかもね」
「ライバル? どういうことだ?」
きょとんとする俺にルナは首をかしげて答えた。
「あれ、言ってなかったっけ? 私、実はユニコーンのオーナーなんだ」
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