第3話 囚われの王子様は嵐を呼ぶ
その夜、
(ベレロニード──王宮からの情報。一刻も早く、確かめないと……)
同じくよく眠れていなかったのか、あるいは性格なのか、真昼のように目をぱっちりとさせたベアトリーチェに手伝われて、アンナリーザは人前に出られる姿を整えた。そうして与えられた寝室を抜け出すと、フアナが驚いたように目を瞠った。
「アンナリーザ様。お休みになっていて構いませんでしたのに。お話なら、明日でも──」
「でも、それだと二度手間になってしまうのでしょうから。クラウディオ様たちも、お目覚めなのでしょう?」
誰もが移動によって疲れを感じてはいるだろう。でも、同時にこれから待ち受ける乱を思うと不安と高揚によって安らかな夢を見るどころではないはずだ。事実、先ほどアルフォンソたちと話した食堂からはさかんに人声が聞こえるし、フアナからしてしっかりと髪を結い、化粧も落とさないままの姿だ。この様子なら、アンナリーザも同席したほうが話が早い。
食堂には、予想した通りの面々が集まっていた。アルフォンソを従えたクラウディオに、ユリウスとゲルディーヴも。誰もが眠そうな気配さえ見せず、遅い時間だからと過剰に気遣い合うこともなく、晩餐で顔を合わせたかのように滑らかに挨拶を交わした。そして、彼らの前に進み出るのは旅塵にくすんだような顔色と格好の男だった。ひとりで駆けてきたということはないだろうから、代表格ということなのかもしれない。よほど急いで参じたのだろう、彼の荒い呼吸と強張った表情に、傍で見ているアンナリーザの心臓もぎゅっと痛んだ。
(多少の
イスラズールが、二十年振りに大陸から正式に迎えた使節団が海賊に襲われる。特別な意図をもって招いた──らしい──アンナリーザは誘拐される。さらには、因縁のあるフェルゼンラングの王子がイスラズールの地を踏むなんて。
最後については、ディートハルトが正直に明かすかどうかは分からないし、というか船長たちが止めておいて欲しいけれど。最初のふたつだけでもレイナルドが機嫌を損ねるには十分だし、ディートハルトをイスラズール王に迎えようとする勢力は活気づくはずで。
それでも、国を乱す嵐を呼ぶのを承知で、クラウディオはあえてゲルディーヴを動かしたはずだ。王宮に動揺が走れば、彼にとっては付け入る隙になるから。
「ベレロニードから参りました。夜分ではありますが、急ぎお知らせしたく──」
だから、使者はもっと弾んだ表情をしているべきなのだ。計画が上手く嵌って、反乱の追い風になるのだと──それ以外の報があるとしたら、いったいどのようなものなのか。何を言われても良いように、アンナリーザは覚悟を決めて使者の言葉を待った、つもりだったのだけれど──
「ディートハルト様が、牢に囚われた……!?」
「は、はい……レイナルド王が、女公爵の執り成しにも耳を貸さぬほどの怒りと不快の激しさで……」
それでも、聞き終えた時には思わず叫んでしまったし、ユリウスは溜息を吐いたし、クラウディオは戸惑ったような眼差しをアルフォンソと交わしていた。
使者の報告は、以下のようなものだった。
ベレロニードに入港した船の乗員は、すぐに王宮に迎えられた。レイナルドは、オリバレス伯爵を伴った使節団だと思っていたのだから当然だ。帆や船体には襲撃の痕がはっきり残っていたはずだけど、それは嵐に見舞われたとでも思ったのかどうか。
でも、使節の先頭に立っていたのは、イスラズール人のオリバレス伯爵ではなく、ディートハルトだった。どうして誰も止めなかったのかは分からないけれど、一番身分の高い彼が主導権を握ったのは、まあまだ理解できる。
(船長たちは、たぶんどう切り出すべきかを考えたし進言したと、思うのだけど……)
順当に行くなら、レイナルドに保護を求めつつ、船に残った物資を代価に、帰国の船を整えるように交渉する、とか。それでもレイナルドが快く手を差し伸べたりはしないのではないかとも思うけれど、それなら臣下やマリアネラが宥める余地もあっただろうし、クラウディオが期待したていどの混乱が
でも、ディートハルトは堂々と名乗りを上げたあげくに、レイナルドに協力を要請したのだという。協力──アンナリーザの、捜索と救出への。イスラズールの王ならば、近海の状況には詳しいはずだと言って。襲撃を受けた、いわば敗残の身で対等な協力だなんておこがましくも不遜にも見えただろうし、レイナルドの差し金では、という当てこすりに聞こえた可能性も十分にある。
「フェルゼンラングの王子殿下は──大胆な御方なのですね? 父を挑発したのでしょうか……」
報に接した驚きをようやく呑み込んだのか、クラウディオがユリウスに意見を求めて首を傾げた。
「大胆な御方なのは間違いないですが、挑発のおつもりはないと思います」
もちろん、アンナリーザもディートハルトのことをよく知る訳ではないのだけれど。ユリウスが重々しい口調で答えたことは、もっともなものだと思えた。
(あの方は……悪気はないのだわ、いつも)
ディートハルトは、心からアンナリーザを救出しなければ、と考えたのだろう。王子として礼儀を叩き込まれたあの方にとって、「か弱い姫君」を守り助けることは第一の使命。そして、王冠をいただくレイナルドも同じように考えるだろうと、当然のように信じたのだろう。だから、ほかの者たちが止める間もなく名乗ったし、
でも、レイナルドが問答無用で異国の王族を投獄する理由は、それだけではなかったということだった。
「クラウディオ殿下の姉君についてもお伺いしたいですが。……ありそうなこと、なのでしょうか?」
クラウディオの異母姉、レイナルドの唯一の娘のセラフィナについては、
そしてレイナルドの怒りの本当の理由は、どうやらセラフィナにあるということだった。水平線の彼方から現れた貴公子が、父に立ち向かう様を見て、彼女は惚れこんでしまった、らしい。そんな物語めいたことが本当に王宮で起きたのかについて問われて──クラウディオも、先ほどのユリウスと同じくらい重々しく頷いた。
「姉は……物語のような恋に憧れている節がありますから。想像がつくと思いますが、イスラズールの多くの男に対しては望めないことなので……」
愛する娘が、自身に無礼を働いた男に夢中になるのを目の当たりにすれば、レイナルドでなくても怒るだろう。そして娘と引き離すためにも、牢に入れるくらいはしてもおかしくはない、のだろうか。呆れるような話だけれど、事態としては深刻で──気まずい沈黙に、外の闇が重くのしかかる。
(マリアネラの娘は、性格も母親にそっくりだったのかしら……?)
アンナリーザは、胸の中でひっそりと溜息を吐いた。
彼女の脳裏に浮かぶのは、微笑んで見つめ合うレイナルドとマリアネラだ。愛人が夫をうっとりと見つめるところを想像しても、今の彼女はそれほど苦しむことはない。ただ──マリアネラは恋とか愛を重んじるというか美化するというか、そんな夢見がちなところがあったと思う。そんな愚かな可愛らしさを、きっとレイナルドも気に入っていた。その性質が娘にも引き継がれていたなら、セラフィナは、異国から来た「王子様」に夢中になってしまったのかもしれない。何しろディートハルトは美しい貴公子で、しかも主張自体は正義に適ったものなのだから。
「……ディートハルト殿下の到着によって混乱が起きるのは、一応は想定の範囲内かと思いますが。クラウディオ殿下の指針に変更や支障は出るのでしょうか」
重い沈黙を破って口を開いたのは、ユリウスだった。問われたクラウディオも、気を取り直したように咳払いして、考えを纏めるそぶりを見せる。
「そうですね……何というか、揉めるにしてももっと穏便に──せいぜいが軟禁ていど、と思っていたのですが。こうなると、王子殿下を擁立しようとしていた者たちの焦りのほうが懸念されます」
「強硬な手段で、ディートハルト様を解放しようとするかもしれない……?」
王に据える予定だったディートハルトが囚われたと知れば、フェルゼンラングに内通していた者たちは陰謀が漏れたことを恐れるだろう。そうして、捕縛の手が彼らにも及ぶ前に、行動に移してしまうかも。
つまりは、クラウディオの動向に関わらず、ベレロニードで乱が起きるかもしれない、ということだ。
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