第4話 王妃に相応しい女性とは

 アンナリーザたちは──というか、クラウディオは、日の出と共に出発することになった。もとよりゆっくりと休息を取るつもりはなかったけれど、想定していた以上の慌ただしさになってしまった。ベレロニードに迫る──かもしれない──乱の可能性は、それだけ見過ごせないということだ。

 レイナルドに囚われたディートハルトを助けようと、フェルゼンラング派の有力者が強引な手段に訴えれば、王都はクラウディオの到着を待つまでもなく戦火に見舞われてしまうかもしれない。民のために阻止しなければならないのはもちろんのこと、次代の王を目指す彼にとって、その場にいない間に決着がついてしまった、となるのはとても都合が悪いのだ。


 だから、開拓地で集めた兵は、ひとまず後方に置き去りにすることにした。携えるのは数日分の水と食料だけ、車も使わず、少人数で馬で駆け抜ける計画になる。


「当初の予定よりも危険な道中になります。ここに残られては──」

「今さらですわ、殿下」


 ユリウスに抱えられて馬上の人になったアンナリーザは、この期に及んで居残りを提案しようとするクラウディオの心配性を、軽やかに笑い飛ばした。彼女のために、ベアトリーチェとフアナも旅支度を整えてくれている。ふたりに対しても今さら、の話になるのだろうに。


「そんなことはできないと、ご存知でしょうに」


 フェルゼンラング派の説得には、マルディバルの王女であるアンナリーザと、フェルゼンラングの侯爵子息であるユリウスの存在が欠かせないだろう。彼女たちの身分を証明することは難しいけれど、彼らと密かに接触したのはラクセンバッハ伯爵アルフレートのはずだから、彼の名を出せばまったく取り合われないということはないだろうと思いたい。少なくとも、今は冷遇された王子に過ぎないクラウディオよりは、海の向こうからやってきた──と称する──アンナリーザたちのほうが、まだしも権威らしいものを帯びていると思ってもらえるのではないだろうか。


「……はい。ご協力は、非常にありがたいとは存じますが」


 クラウディオにとっても、分かり切ったことだろうに。それでも頷き切れない様子の彼は、アンナリーザをしっかりと抱えてくれているユリウスに比べると諦めが悪い。航海の間を通じて彼女の性格を把握してくれたユリウスは、残りなさい、ではなく守ります、と言ってくれた。今も、黙ってやり取りを見守ってくれているのは、きっとアンナリーザに任せてくれているのだろう。その信頼に応えるべく、アンナリーザはクラウディオに言い聞かせる。


「貴重な品の仕入れには危険が伴うものでしょう。危機にあって殿下にお味方したことを、くれぐれも忘れてはくださいませんように」

「ええ……決して」


 冗談めかしたアンナリーザの言葉に、クラウディオは少しだけ笑った。父王に対する反乱への助力の見返りに、将来の交易では相応の優遇を、と。気の早い仄めかしが通じたらしい。そんな未来が来るかどうかは、今考えることではない。危険があるのは誰もが承知、失敗した時のことを考えても仕方がない──そんな言外の言葉もまた、クラウディオにはしっかりと届いたようだった。


      * * *


 開拓地からベレロニードに至る道は、テソロカルトからのそれと比べると幅広く整備されていた。こちらは首都に収穫物を届けるための正規の街道だから当然だ。天候も良く、身軽な騎行きこうとあって、アンナリーザたちは順調に進んだ。この速さだと、野営するのはひと晩だけで済みそうだ、とは、地形をよく知るクラウディオとアルフォンソの意見だった。


 川辺に差し掛かったところで、一行は昼食を兼ねて休息を取ることにした。数時間ぶりに地面に足をつけたアンナリーザは、船上にいるかのように大地が揺れる錯覚に襲われた。危うくよろめきそうになったところに手を差し伸べてくれたのは──クラウディオだ。彼は、ユリウスよりも早く馬から降りていたようだ。


「──お疲れでしょう。限界を迎える前に仰ってください。こまめに休憩を挟むようにしますから」

「はい。お気遣いありがとうございます」


 倒れる無様を晒そうものなら、かえって足手まといになってしまうだろう。だから、善意の気遣いというだけではなく、クラウディオの言葉は念押しでもあるはずだった。クラウディオには分かっていますよ、の意味を込めて。ユリウスには大丈夫ですから、の意味を込めて。にっこりと微笑みかけてから、アンナリーザはクラウディオの手をそっと引いた。馬の世話をしたり、昼食の調理を始めたりする者たちから離れて、内緒話ができそうな木陰を視線で示す。


「ところで、殿下。この機にお伺いしておきたいことがございますの」

「何でしょうか」


 クラウディオは、アンナリーザの意図を察して動いてくれた。手はすぐに離してくれたのは、エスコートするよりも距離感を保ったほうが良いと考えてくれたのだろう。嬉しくありがたい心遣いだった。


(強引に既成事実を、とか──考えない子で、本当に良かった!)


 失礼になりかねない安堵は胸の奥に隠して、アンナリーザはクラウディオを見上げて首を傾げた。誰にも聞こえないのは分かっているのに、つい、声を小さく落としてしまう。


「あの──殿下がイスラズールの玉座を得た暁には、どなたを王妃に迎えるおつもりですか?」

「アンナリーザ様でないことだけは確かですね。……見直していただけるほどのことを、できておりませんから」


 一瞬だけ目を瞠ってから、クラウディオは苦く微笑した。数日前の「求婚」の失敗を、よほど重く受け止めているらしい。それでも軽口で応じてから、彼は考え込むように目を伏せ、慎重に、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「王妃について──考える余裕がない、というのが正直なところです。無理矢理に攫うような真似は二度としませんが、幾ら宝石を積んだところで来てくださる方がそうそういらっしゃるとは──まずは、イスラズールが今少し落ち着かないと、それどころではないように思います」


 クラウディオは、確かに反省してはいるのだろう。でも、アンナリーザの目には根本的な思い違いをしたままだ、と見える。


(やっぱり、王妃は海の向こうから迎えるものだと思い込んでいるようね……?)


 アルフォンソが指摘したように、マリアネラにそう教えられたからなのか。それとも、今のところ唯一のイスラズール王妃であるエルフリーデがそうだったからか。分からないけれど──前世の母であり、今世の同盟者である身としては、おせっかいをしても良い場面だと思えた。


「これは、ひとつの意見なのですけれど」


 さりげなく、できるだけ押しつけがましくならないように、アンナリーザは笑みを浮かべた。


「王妃とは、王を支えて共に国を守る育むものと心得ております。エルフリーデ妃にも、きっとその覚悟はあったと、信じるのですが──イスラズールで生まれ育ち、この地をよく知る方のほうが適任ということも、あるかもしれませんわ」

「……イスラズールに骨を埋めてくれる姫君を探すのは難しいとのご忠告でしょうか」

「いいえ!」


 拗ねた表情を見せたクラウディオに、アンナリーザは大きく首を振る。イスラズールを未開の地と嘲るつもりなど、彼女には毛頭ないのだ。ただ、前世で母として接することができなかった子に、幸せになって欲しいだけで。


「殿下が治めるイスラズールは、大陸のどの国も羨む繁栄を誇ることになるでしょう。その未来をより早く築き上げるには、気兼ねなく相談できる方、助け合える方が良いのではないでしょうか。あの……こちらの方々は、大陸の王女だとか貴婦人に対して、構え過ぎだと思いましたの。違う選択肢もあるのだと、少しだけ視野を広げていただければ、と思ったのですわ」


 王の伴侶は他国の王族から迎える、だなんて大陸の倣いでしかないのだ。エルフリーデの時は、イスラズールという新しい国にをつけるのに、大国の王女を贈られたという体裁が必要だったのかもしれないけれど。クラウディオの即位の正統性なら、アンナリーザが、ひいてはマルディバルが全力で支持しよう。有望な取引先と縁を深めるためなら、父だって文句は言わないだろう。


「……そういう方は、いらっしゃらないのでしょうか」


 フアナの姿を思い浮かべながら、アンナリーザは一歩踏み込んでみる。あの少女は、輜重しちょうの隊列と共に、先遣隊を追ってくることになっている。戦火が起きるかもしれない王都にあえて向かうのは、愛国心ゆえか──ほかの感情もあると、アンナリーザとしては嬉しいのだけれど。


「……分かりません。いえ、いてくれるなら──そうであれば良いとは、思うのですが」


 ともあれ、クラウディオの言葉を聞いて、彼の頬に微かに朱が差したのを見て、アンナリーザは満足した。余計なおせっかいではあったけれど、完全に的外れということはなかったようだ。


「貴重なご意見をいただきました。感謝申し上げます」

「とんでもないことですわ。さあ、良い香りがしてきましたから。食事をいただきに参りましょう」


 折り目正しく頭を下げたクラウディオに、アンナリーザは軽やかに笑った。少々はしたなく彼女のほうから手を伸べると、ごく自然に握り返される。たぶん、クラウディオはアンナリーザのことを王妃候補から完全に外してくれたのではないだろうか。

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