第2話 貴婦人の面影に捕らわれて

 先代の開拓伯コンタ・ピオネロは、アルフォンソという年配の男だった。エルフリーデの記憶では、豊かな濃い亜麻色の髪をしていたけれど、今は少し色褪せている。とはいえ、琥珀色の目に宿る思慮深さは変わらない。アンナリーザの手を取って、恭しく口づけてくれる礼儀正しさも。

 思えば、前世で面識のあった人とするのは、ラクセンバッハ伯爵、もとい侯爵アルフレート以来のことだ。これからレイナルドやマリアネラと会う時は分からないけれど、二十年の時を経て、かつての知己が健在なのを見るのは喜ばしいことだった。


 しかもアルフォンソは、クラウディオからアンナリーザを紹介されるなり、柔らかく目元を笑ませたのだ。


「大陸からの姫君にお目にかかると、エルフリーデ妃を思い出しますな」


 一行が案内されたのは、秘宝の街テソロカルトのクラウディオの居所よりも堅牢かつ古びた風情の屋敷だった。


(いったいいつ、建てられたのかしら……?)


 エルフリーデは、レイナルドともどもイスラズールの開拓の状況を把握していたはずだった。でも、実際にこんな奥地まで足を踏み入れたことはない。海を目指して密林を切り拓く──そして、王にも内密で港を、ひいては大陸との窓口を得る構想を、開拓者たちはいつから描いていたのだろう。少なくとも、エルフリーデは知らされなかったし気付かなかった。王妃として、たいへん不甲斐ないことだ。


「エルフリーデ妃を……? あの、私は亡くなった方とは似ていないと思うのですが」


 屋敷の内装に目をやりながら、アンナリーザは内心の疑問と、アルフォンソからの言葉の両方に首を傾げた。今の彼女の髪は輝く金、対してエルフリーデは艶やかな黒髪だった。目も、かたや真昼の海の色、かたや冷たく冴えた青玉の色。印象としては真逆のような気がするのだけれど。


 肖像画を見たことがあってもおかしくないはず、と思って問うてみると、アルフォンソは笑って首を振った。この間に、アンナリーザやユリウスたち客人には葡萄酒が供されている。大陸からの密貿易、あるいは海賊たちによってもたらされたものだろう。サトウキビ由来のあの強く甘い酒は、この辺りまで出回っていないらしい。


「無論、お姿は違いますが。我々にとっては、近づきがたく神々しい貴婦人ということで似て見えるのです」

「それは……あの、光栄、でしょうか……」


 単なる賛辞とは思うには、近づきがたい、という評はアンナリーザの胸に刺さった。


(要は、お高く止まっているということでしょう……?)


 エルフリーデがそう思われていた、ということならまだ理解できる。彼女自身としては、イスラズールの荒々しさを恐れていた、という認識だったけれど、この地の民やレイナルドから見れば見下されたようにも感じただろう。

 でも、今のアンナリーザはもっと広い視野が持てている、と思う。マルディバルに生まれたお陰で、未知の文化に対する礼儀と敬意というものを弁えることができているはず。これでもまだ足りないのか、と。アンナリーザの表情が不安に曇るのを察してか、アルフォンソはあくまでも穏やかに微笑んだ。


「大陸から来た御方は、最高の女性だと──我々は、信じ込んでいるように思います。パロドローラ女公爵でさえ」


 マリアネラの、分不相応に煌びやかな称号を聞いて、アンナリーザの頬は強張った。彼女の内心を、アルフォンソは知らないはずだけど──琥珀色の目には、どこか気遣うような宥めるような気配が見えた。


「だからこそ、アンナリーザ様をクラウディオの妃に、などと考えたのでしょう。王妃の座に相応しい貴婦人は、イスラズールにはいないから。そして、育ての親の言うことだから、クラウディオも思い込んでしまった。申し訳のないことです」


 そうなのですか、の意味を込めて、アンナリーザはクラウディオに問いかけの眼差しを送った。アルフォンソは、エルフリーデの思い出話をしたかったのではなく、亡き王妃にかこつけて弁明がしたかったらしい。つまりは、アンナリーザを誘拐した上にクラウディオの結婚相手に仕立てようとしたことについての。


(マリアネラの発案だったの……!?)


 求婚については、双方に遺恨なく丁重にお断りしたはずだった。とはいえ、新しい情報を聞いてしまっては胸を波立たせないのは難しい。アンナリーザの目に浮かぶ混乱と、一抹の不快を読み取ったのだろう、クラウディオは気まずそうに目を伏せた。


「私は──自分の考えで行動していました。無礼や軽率な行動があったなら、私の責任です」

「それは、無論。ただ、アンナリーザ様にイスラズールの内情をもう少し知っていただきたかったというだけのこと」


 どうやら、アルフォンソはクラウディオに反省を促したかったようだ。たぶん、前開拓伯コンタ・ピオネロの考えは当たっていて、けれどクラウディオは気付いていなかった。その上で、改めて彼自身の選択と責任として受け止めさせた。


(私にとってもそのほうがありがたい、かしら……?)


 前世の息子が、前世の夫の愛人の言いなりに育ったのだとしたら、とても悲しい。ううん、実際のところも、マリアネラの影響は彼にとって大きいのかもしれないけれど。それでも、自覚して自省してくれるなら忘れることもできそうだった。


「……女公爵のお考えは、私には何とも。実際にお会いできる機会があることを願うばかりですわ」


 エルフリーデは、死の間際にマリアネラを心から嫌ったものだったけれど。アンナリーザの言葉は偽らざる本心だった。マリアネラが何を考えて来たか、だけではない。クラウディオに何をどう教えたのかも、聞きたいと思うようになっていたのだ。


 アンナリーザの声と表情は十分穏当なものにできていたのだろう、クラウディオは安心した様子で頬を緩めた。


「父は、義母を危険に晒すことはしないでしょうから、あの方はある意味では一番安全です。こちらが勝利を収めることさえできれば、きっとご紹介できるでしょう。姉と兄も──なるべく被害を少なくできると良いのですが」

「私は、そのためにも同行させていただいたのです。──ベレロニードの様子は、いかがでしょうか」


 開拓伯コンタ・ピオネロという以上、アルフォンソは今は開拓に従事していないのだろう。彼の常の居所がこの屋敷かどうかは分からないけれど、少なくともベレロニードに滞在することもあれば、王宮に通じる人脈もあるのだろう。


 アンナリーザが水を向けると、果たしてアルフォンソは表情を引き締めつつ、頼もしく頷いた。


「実のところ、私もこの地に到着したばかりなのです。水平線に帆が見えたところでベレロニードを出発しましたので。ことによると、行動を制限される可能性がありましたからな。とはいえ、すぐにも続報が来るでしょう」


 アンナリーザは、ユリウスやベアトリーチェとそっと目を見交わした。三人が三人とも、ゲルディーヴたちの襲撃の後、テソロカルトに至るまでの道程を思い浮かべていたことだろう。


(こんなに到着日に差がないなんて……ぎりぎりで間に合ったと、言えるのかしら)


 アルフォンソは念のために早めに動いた、くらいの口振りだった。けれど、アンナリーザはほぼ確実に混乱が起きるだろうと予想している。空気を読まないディートハルトと、短気かつ傲慢なレイナルドの相性はたぶんとても悪いから。口に出さないのは、クラウディオたちに言ってもどうしようもないこと、不安を煽るだけにしかならないからだ。忠告や助言や、対策を練ることができるとしても、今少し具体的な情報が入ってからになるだろう。


「続報……早く来て欲しいものですわね」


 アンナリーザの呟きに、クラウディオもアルフォンソも、ユリウスもベアトリーチェも深く頷いた。行動の指針を、誰もが切実に求めている。もっとも、続報を願う理由は各人によって違うのかもしれなかった。

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