第5話 海賊もたまには商人になる
誘拐されて以来、アンナリーザたちに供される食事は代わり映えのしないものだった。硬い肉に硬いパン、たまに干した果物。それから、最初は得たいが知れないと思ったすこし濁りを帯びた酒。美食とはほど遠いけれど、王女の意地として、アンナリーザは美食に接する時のように優雅にカトラリーを使おうと務めている。
(慣れれば慣れるものなのねえ)
海賊たちが愛飲する濁り酒は、飲んでみると甘く独特の風味があって、慣れると意外と舌にまろやかだった。葡萄酒よりも酒精は強いようだから、杯を重ねる気にはなれないし、できれば酸味のある果実で割ったほうが、とも思うけれど、虜囚の身には過ぎた望みだろう。心遣いと贅を凝らした食糧を積んだ《
「やっぱり女の子は甘いものが好きなんだな。結構美味いだろう?」
なぜか度々、食事の席で顔を合わせるゲルディーヴが、得意そうな顔をしているのは気に入らないのだけれど。
(食わず嫌いだっただろう、とでも言いたげね?)
すこし悩んでから、アンナリーザは王宮の晩餐だったら言うであろうことを、少し砕けた言葉遣いで口にすることにした。つまりは、これが社交の場だとしたら、これくらいは話を広げようとするだろう、というようなことを。
「……マルディバルでも飲んだことのないお酒です。珍しいものなのかしら。船乗りがよく飲むものなの……?」
「サトウキビの酒だってさ。よく酔えるから俺たちは好きだけど、そう出回ってるものじゃない。あんたたちは得したかもな」
「そうなの……」
サトウキビを栽培できる気候の土地は、確かに《北》大陸にはごく限られている。甘味の強い砂糖はマルディバルの港にも多く行き交う重要な商品だから、それを大量に精製できるサトウキビは実に羨ましい作物だ。まして、砂糖以外の製品も生み出すなんて、アンナリーザは知らなかった。
(海賊に教えられることがあるなんて)
甘味のある酒の後味が苦く感じてしまって、アンナリーザはゲルディーヴの金色の目をじっとりと見つめた。……睨む、とはならないように気をつけながら、言葉を選ぶ。
「……貴方たちは、盗んだものをイスラズールに流しているの? あの国の人たちのために、イスラズールでは取れないものを提供──盗品なのだけど──してあげているのかしら」
ゲルディーヴたちの船が、イスラズールの実質の首都であるベレロニードを目指しているのでないなら。彼らの
(不法行為は、良くないのだけど)
マルディバルとイスラズールの国交が正式に結ばれれば、ゲルディーヴたちも排除したい存在ではある。でも、彼らにイスラズールの詳細な知識があり、かの地の民との交流もあるなら、協力してもらえればとても助かる……かも、しれない。
大陸諸国との関係や法律や条約の上で問題がないかは父や兄に確かめるとしても、アンナリーザにだって提案や執り成しはできる。そのための情報収集は、たぶんとても大事なことだ。……少年海賊に、まんまと
「あるものを、ないところに持っていくって
しみじみと呟いたゲルディーヴの言葉は、イスラズールとの密貿易を認めるものだった。図々しいもの言いに、アンナリーザは思わず同席しているユリウスと視線を交わしてしまう。何を語り合った訳でもないけれど、次の言葉はふたりしてほぼ同時に重なった。
「もとは盗品でしょう? 商売と、言えるのかしら……?」
「代金は何をもらっているんだ? 鉱山は王が厳しく管理しているんじゃないのか?」
内容は、さすがに違っていたけれど。でも、いずれも当然の疑問だろう。盗品の横流しを交易と言い張るのは居直りというものだし、イスラズール側も、仮にも王の所有であるはずの鉱山から金銀や宝石を流出されているならそれはそれで問題だ。
《北》の大陸の王女と貴公子──本来は恐らく相容れることのない立場のふたりの、少々非難の混ざった視線を浴びて、ゲルディーヴは悪びれることなく肩を竦めた。こういう雑な仕草も、アンナリーザの目には馴染みがなくていまだに構えてしまう。
「《南》では、そりゃ、それなりに
「……フェルゼンラングのせい、ということか」
ゲルディーヴがユリウスを見る眼差しは、いつになく真剣なものだった。それこそ、睨んででもいるかのような。これまでの祖国の政策を思い起こしてか、ユリウスが目を伏せると、少年海賊は視線をアンナリーザに移す。金色の目が彼女を捉えた時には、すでに鋭さは失せて悪戯っぽい笑みが宿っていた。
「そうそう。俺たちだってもっと堂々と寄港できればそのほうが良い……お姫様には、そのために手伝って欲しいんだよね」
「……どうせ、詳細は教えてくれないのだからもう聞かないけど」
「聞かないんだ……」
ゲルディーヴの残念そうな呟きを聞き流して、アンナリーザはサトウキビ酒で唇を示した。強いけれど、甘い。癖があるけれど、悪くはない、かも。彼女たちを力づくで攫っておきながら、馴れ馴れしく振る舞う少年そのもののよう。ディートハルトたちの無事が確認できないことには、そんな甘口の評価をくだすのは早いのかもしれないけれど。でも、希望は持っていたい。
「イスラズールという宝石の輝きが、レイナルド王によって曇らされているのは遺憾なことよ。マルディバルが──我が祖国が磨いて差し上げられるなら光栄なことだし、商人の国としては代価をいただきたいわ。そういうお話ができると思って待ちます。……今は、そういう思いです」
夕日を見ながらユリウスと話した通り、敵の敵は味方、かもしれないのだ。海賊に誘拐を依頼するような人物が、いったい何を言い出すのか──不安も反感も尽きないけれど、冷静に交渉に臨まなくては。
(ユリウス様とベアトリーチェを無事に帰すためにも……!)
それに、彼らはクラウディオの情報も持っているのだろうし。無為に大陸に連れ戻されることを思えば、当初の目的地であるイスラズールに連れて行ってもらえるというのは、少なくとも最悪の状況ではないはずだ。
「うん。それで良いよ。大丈夫、話が分かる奴だから、安心してくれて良いよ!」
満腹の猫が喉を鳴らすような表情で、ゲルディーヴはうんうんと頷いた。猫と違って可愛くはないし、適当なことを言っているのでは、という印象は拭えないのだけれど、こういう人なのだ、とアンナリーザはもう諦めている。でも──
「あ、あと。明日の朝は俺が呼ぶまで甲板に出ないでくれよな」
「え……なぜ?」
わざとらしく声を潜めて囁かれて、つい聞き返してしまった。にんまりと、金色の目が三日月のように嗤うのを見て、やってしまった、と思う。この少年はこういうのが大好きなのだ。彼が次に何を言うのか──アンナリーザには、もう予想ができてしまう。
「それは明日になってのお楽しみ! ……きっと驚くぜ?」
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