第4話 敵の敵は味方になるか?

 海賊船は、《三日月アルヒラール》号というそうだった。アンナリーザにとっては覚える気にもなれないけれど、少年船長のゲルディーヴが覚えて欲しそうに何度も教えるから耳にも口にも馴染んでしまった。ちなみに、陽動に使ったもう一隻の船は《満月アルカマール》号というらしい。興味がないし捻りがないし、音が似ていてややこしい。


 とにかく──ユリウスと並んで《三日月アルヒラール》号の船首に立つと、船の舳先は沈み行く夕日を指していた。


「本当に、西に向かっていますね……」


 本来の目的地に近付いているらしいのを喜べば良いのか、それとも、海賊たちの言葉を信じられそうなのが不本意なのか。


(いえ……彼らを信じられるなら本来は喜ぶべきことよ。割り切れない私が子供なだけで……)


「そのようですね」


 気持ちに折り合いをつけることができないまま呟くと、ユリウスは真面目な声と表情で頷いてくれた。彼との会話や、あるていど自由に船内を歩くことさえ許されているのも、海賊たちの誠意らしきもの現われなのだろうか。逃げるあてのない海の上でのこと、身を投げる心配さえないと判断されれば放っておいて良いと思われただけかもしれないけれど。


 ちなみに、ベアトリーチェは切り替えが早くて、海賊たちの服の繕い物をして時間を潰している。

 彼女の指が触れるのが絹の生地や糸ではなく、粗く擦り切れた麻や毛や木綿だなんて目眩がする話だけれど、慣れた針仕事をするのは心を落ち着ける効果があるのかもしれない。それに、出来上がった服の受け渡しの時には雑談を交わすこともあるようで、情報収集の役にも立ってもらっている。……結局のところ、彼らの言葉もゲルディーヴの主張との矛盾は発生していないこともまた、アンナリーザを戸惑わせているのだけれど。


「予定通りなら、そろそろイスラズールの陸地が見えてきても良いころですね。ベレロニードを避けて大回りしているなら、もう少しかかるのかもしれないですが」


 見れば分かることを言い、考えても仕方のないことで考え込んでいるアンナリーザに、ユリウスはどこまでも優しかった。彼女の内心の悩みを分かってくれているかのように、毎日毎日少しずつ違う話の広げ方で彼女の気を紛らわせてくれる。この船に攫われてから十日ほどの日課になってしまっていた。


 彼の厚意に甘えていることを自覚しながら、アンナリーザはまたも分かり切ったことを口にすることしかできなかった。


「ええ……。西の海にはイスラズールのほかに目的地はないのですし。あとは、どこに上陸して誰に引き会わされるのか、ですわね……」


 この間に話したことは色々ある。ベアトリーチェのようにできることもない囚われの身では、ほかにすることもなかったから。彼女たちの行動は常に見張られていて、擦り減りそうな心を気丈に保つためにはお互いを頼るしかなかったのだ。


 海の上で分かれたディートハルトや侍女や従者たち、ほかの船や船員について。彼らは本当に無事なのか、今はどこを目指しているのか。航海の半ばを越えていることを思えばイスラズールで再会できるかもしれないけれど、引き返すことも考えられない訳ではない。その場合は、祖国にアンナリーザたちの状況をより早く伝えられると期待できるだろうか。

 いずれにしても、また会える時が来るのを切に願うのだけれど。


 そして、イスラズールのさらに西に、未知の大地があるかもしれないこと。アンナリーザは説として聞いたことがあるくらいだけれど、真剣に夢見ている者もいるのだとか。それが事実なら、イスラズールはいつか巨大な交易網の中継地点となるかもしれない。


 互いの祖国や家族についての話題も、もちろんあった。ユリウスの父、カール侯爵がだと知れるのはアンナリーザにとっても喜びだし、異国の宮廷の習慣はユリウスにとっても興味深いようだった。


 イスラズールの生態系についての話題の時は、知り過ぎているのを悟られないようにするのに苦労した。ユリウスは、夢の大地への憧れを抑えきれないのか、それとも、それだけ魅力的な場所だから心配ないと彼女に伝えたかったのか、アンナリーザの相槌が時々やけに具体的なことには気付かないでくれていたようだった。


 そして今日の話題はというと──イスラズールに着いた後のこと、ゲルディーヴにアンナリーザたちの誘拐を依頼したとかいう人物は何者なのか、ということだった。


「……ディートハルト殿下と通じようとしていたのとはまた別の勢力なのでしょうからね。敵味方に分かれることにならないと良いのですが」

「ええ……」


 正直に言えば、エルフリーデアンナリーザはたぶんその人物の名前を知ってはいるのだ。ディートハルトに協力者の名を挙げられた時に、少ない、と思ったから。現王のレイナルドに不満を抱いていそうな有力者はまだいるのに、と。その中の誰かに会える可能性もそこそこ高いだろうとは思っている。


(でも、こんな乱暴な手段に訴える方たちだったかしら。海賊と手を組んでまで……?)


 そして、いったいどこの港に入るのか、という疑問は依然として解けないのだ。エルフリーデが死んでからの二十年で、密林を切り拓くのは──まあ、できないことはないかもしれないけれど。レイナルドは嫌がるのではないかという気がする。王が独占している大陸との貿易を、出し抜く可能性があることなのだから。


(レイナルドには黙って開拓している……? 彼は、金銀や宝石以外には興味がないかもしれないけれど)


 大地からの実りにもっと興味があったなら、エルフリーデがもたらす大陸の種苗も快く受け入れられていたことだろう。苦い思いを噛み殺して──アンナリーザは、良い情報を探して少々無理をして微笑んだ。


「あるいは、敵の敵は味方、ということにできれば願ってもないですわね。彼らも、レイナルド王の味方という訳ではないようですから」

「そうですね。……若い国でも、派閥もあれば政争もある。人の世は、どこに行っても変わらないものなのかもしれませんね」

「まあ、がっかりなさっていらっしゃるのですか?」


 イスラズール行きを熱望していたユリウスにしては弱気な発言に聞こえて、アンナリーザは眉を寄せた。彼女ばかり気遣ってもらっていたけれど、彼だって予期せぬ苦境の連続なのだ。答えのない推測ばかりでなく、彼の心を軽くしてあげられるような言葉を、必死に胸の中に探す。


「でも、あの……ユリウス様は、イスラズールを発見して、開拓していった人たちに続いているとも言えますし。未知を求める冒険心もまた、変わらない人のならいというものなのでは……?」

「アンナリーザ様……」


 つっかえながらの訴えに、ユリウスはレンズの向こうの翠の目を瞬かせた。何も持たずに海賊船に飛び込んでくれたから、彼の眼鏡の予備も《海狼ルポディマーレ》に置き去りになってしまった。今身に着けているものに何かあったら、と思うと、その点も申し訳なくて堪らない。


「そうですね。勇気ある先駆者と並べていただけるのはとても光栄です」


 彼は、アンナリーザに恨み言を言っても良いところだと思うのに──でも、ユリウスは晴れやかに笑ってくれた。航海の間に日に灼けて、少し色の濃くなった手が、アンナリーザのそれを取る。戦闘での破損を補修した後の残るシャツに、銀の髪も乱れている。でも、彼の所作はどこまでも貴公子らしく、礼儀正しく優雅だった。


「もしもこの件が無事に落ち着いたら、『さらなる西の地』を目指してみましょうか。──アンナリーザ様も、ご一緒していただけますか?」


 手の甲を掠めるユリウスの唇の感触に、アンナリーザの体温が上がった。どんなダンスの誘いよりもずっと、心踊る申し出だった。たとえ今は、現実逃避の夢物語に過ぎないとしても。あるいはだからこそ、口元が自然と笑みを浮かべるのが分かった。


「ええ……ぜひ……!」

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