第11話 略奪の作法と意外な同行者
「ひゃ──」
海に落ちる、と思ってアンナリーザは息を呑んで身体を固くした。ふわりとした浮遊感は一瞬のこと、けれど彼女は水面に叩きつけられることなく、
(敵船が、こんなに近くに……!)
落下の恐怖に高鳴る心臓の音を聞きながら、大きく目を瞠るアンナリーザの前で、海賊たちが岩場を駆ける
《
(これが、海賊のやり方……)
知りたくも見たくもない光景を前に、アンナリーザはひたすら呆然としていた。だから、足の裏に木材を感じても、下ろされたことにしばらく気付かないくらいだった。でも、少年に肩を
「お姫様。ほら、下。見て」
久しぶりに自分の足で歩こうとすると、上手く身体の
「なんてことを……!」
朝日に煌めく海面に、
恐怖と嫌悪と非難の眼差しを向けても、少年は肩を竦めるだけだ。言葉は通じているはずなのに、人ではない別の生き物と対峙しているかのよう。宮廷で甘やかされたアンナリーザと、法の外で生きる海賊では感じ方も考え方も何もかも違うのだ。
「だって、ほっといたら死ぬまで抵抗するだろ? 兵隊さんってやつはさあ。もう明るくなるし、この辺りに
少年の悪びれない物言いに歯噛みしながら海面に目を凝らせば、落とされた者たちは手足も動かしている……と、思う。ならば確かにすぐに溺れる恐れは少ないのかもしれないけれど、だからといって海賊の慈悲だなんて感謝する機にはなれなかった。
「……そうやって追手の足を封じようというのね。悪辣だわ……!」
溺れた者を助けようとすれば、その分時間を取られることになる。そもそも彼らがしがみついていれば、迂闊に船を動かすこともできないのだし。きっと、《
「賢いって言ってくれよ。マルディバルをあんまり怒らせるなって言われてるからさあ」
「怒らない訳ないでしょう……!」
反射的に怒鳴ってから、アンナリーザは思わず口を両手で覆った。少年の怒りを買うことを恐れた訳ではない。ううん、虜囚の立場を弁えて、ベアトリーチェの身も案じるなら、恐れるべきではあるのだろうけど。でも、それよりも──
(
アンナリーザの驚愕に、気付いているのかいないのか。少年は、辺りを見渡して──恐らく、船員の人数を確かめて──から、軽く頷いた。
「──皆、乗ったな!? 帆を上げろ! 離脱する!」
荒くれの海賊たちは、口々におう、と応えた。《
少年の号令に応じて、海賊たちは船の各所に散っていった。帆が張られ、
《
「アンナリーザ様……!」
「……お父様もお兄様もきっと助けてくださるわ。貴女だって、価値がある人なのだから……!」
ふたりして手を取り合いながら、アンナリーザはこちらの船が《
(お父様たちが私を見捨てることはない……でも、マルディバルに報せが届くまでにどれだけかかるの!? そのころには、私たちはどこにいるの……!?)
ベアトリーチェに言い聞かせた声は、アンナリーザ自身の耳にもいかにも頼りなく弱々しかった。信じてもらえないであろう情けなさに目を伏せた──彼女の視界に、黒い影が過ぎる。飛ぶ鳥のような勢いで、けれどずっと大きい影。それは《
「え……!?」
アンナリーザが目を上げたのと、甲板に
ユリウス、だった。
「なんだ、こいつ……!」
「ゲルディーヴ! 撃って良いのか!?」
なぜ、だなんて思っている場合ではなかった。海賊の何人かが銃を構えたのを見て、アンナリーザは飛び出し、ユリウスを背に庇って両手を広げた。
「駄目……!」
海賊の首領の少年は、意外そうに目を見開いていた。お姫様にこんな勇気があるなんて思ってもいなかったのだろう。驚きの中にも、まだ面白がる表情が見て取れるのがやっぱり気に入らない。でも──交渉するなら彼に対して、なのだろう。
「こ、この方はフェルゼンラングのヴェルフェンツァーン侯爵のご子息です!」
船は、この間にも《
「この方を傷つけては、貴方がたはフェルゼンラングの怒りをも買うことになるでしょう! だ、だから──」
「そう。無事に返せば父は身代金を弾むはず。……珍しい動植物の標本でもあればついでに買い取るだろう」
懸命に訴えるアンナリーザの震える声よりも、でも、無謀な跳躍を成し遂げたばかりのユリウスの声のほうがよほど落ち着いていた。彼の手がアンナリーザの肩に置かれている。そのわずかな重みの、なんと頼もしいことか。
「そういうことだから、私の同行も許していただきたいものだな……!」
背後の様子はもちろん見ることができないのだけれど。ユリウスの翠の目は、眼鏡越しに海賊たちを鋭く睨んでいるのではないかと思えた。
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