第9話 自然な流れのはずだったのに
ディートハルト以外の者が口にしたとしたら、痛烈な皮肉だと捉えたことだろう。自分を正しく
「わ、私……」
でも、彼の真意がどうあれ、言われたほうとしては冷や汗をかかずにはいられない。唇をわななかせたまま、アンナリーザは心の中で頭を抱えて絶叫する。
(なんて偉そうなことを言ってしまったのかしら!?)
正しいイスラズール王を推す、と──アルフレートにあんな啖呵を切ってしまったのは、何ひとつ分からない、誰も教えてくれない状況が、腹に据えかねたからだった。前世の兄たちも、イスラズールのマリアネラもレイナルドも、それぞれ勝手に企みを巡らせて、民のことなど考えてもいないようだったから。
エルフリーデとしてなら、正当な怒りだと思う。でも、アンナリーザとしてはどうだろう。フェルゼンラングの陰謀に憤りながら他国の統治を語るなんて、傲慢にもほどがある。ディートハルトに無邪気な微笑みを向けらると、滔々と語る気にはなれなかった。
期待に満ちた眼差しで彼女を見てくるユリウスも、ディートハルトから何を話したのか聞いたのだろう。前世の記憶、なんて夢物語を疑われたのではないと分かったのは良いけれど、でも、彼もアンナリーザに何かしらのご高説を言わせたくて仕方ないようだ。
「マルディバルにとっては、将来的な交易相手ということにもなりましょう。アンナリーザ様には意見を述べる権利があると思います」
「そ、そうでしょうか……」
「そうですとも」
雨に濡れたのを拭き取ったばかりだから、ユリウスの眼鏡はランプの乏しい光源でもよく光った。その煌めきは、なぜか刃を思わせて鋭くアンナリーザを追い詰めるのだけど。銀髪の貴公子は、どうも彼女の言動を事細かに把握しているようだった。彼は軽く首を傾げると、アンナリーザの目を覗き込んできた。
「アンナリーザ様は、イスラズールに種をもたらすことを思いついてくださったとか。現地の生態系への配慮も必要ではありますが、これまでフェルゼンラングも手が回っていなかったところです。……亡きエルフリーデ妃のほかは」
「そうでしたの……? 気候が違うからでしょうか。私は、《南》の作物を目にしたり口にしたりする機会も多いものですから」
エルフリーデは、ユリウスの父カール侯爵に《北》の種苗を送るようにねだったことがあった。彼は、王女の要請に応えてはくれたけれど、レイナルドは妻の実家からの「施し」に良い顔をしなかった。だから、無力な王妃には育て方を上手く民に伝えることもできなかった。またひとつ、前世の苦い記憶を噛み締めながら、アンナリーザはこの場をどう切り抜けようかと頭を捻る。あるいは──これは、良い機会かもしれないから。
(自然にクラウディオのことを聞き出せないかしら。イスラズールの正当な王は、あの子のほかにはいないのではないの……?)
ディートハルトをイスラズール王に、だなんて聞かされて動揺したのは、その主張に正当性がないのを、彼女が誰より知っているからだった。ううん、前世の兄もアルフレートも承知していなくてはならない。エルフリーデが死の間際に王子を産み落としたことを、さすがに揉み消すことも忘れることもできないだろう。
「そういえば、我が叔母はアンナリーザ様と似た考えをお持ちだったということになりますね。王妃に相応しい慈悲深い御心で──と、これは感想なので、他意はないのですが」
ちょうど良くというか、ディートハルトも彼女の前世の名を出してくれた。余計な後半に触れるのは避けて、アンナリーザはぎこちなく微笑み、言葉を選んだ。
「……エルフリーデ妃に姫君がいらっしゃればちょうど良かったのでしょうに、ね……? ディートハルト様とお似合いの年ごろでしたでしょうから。フェルゼンラングでは、従兄妹同士の結婚もよくあることと伺っています」
咄嗟に捻り出したにしては、なかなか上手いことを言えたのではないかと思う。自分で自分を褒めたい気分だった。
(
イスラズール王の正当性、亡き王妃の名前……アンナリーザへの、求婚。この流れで口にするなら、さほど突飛な思い付きではないだろう。彼女が──前世云々は抜きにして──持っている情報からすれば、エルフリーデには子供が
(どうして無理な話を通そうとしているのか──不思議に思っていてくだされば……!)
エルフリーデの甥、クラウディオにとっては従兄になるディートハルトはもちろんのこと、ユリウスだってクラウディオの存在は知っているはずだ。エルフリーデは、懐妊中の不安もカール侯爵宛てに綴ったのだから。
「あ、それは……」
さあどう答える、と。アンナリーザが祈るように睨むように見つめる先で、フェルゼンラングの貴公子たちはちらりと視線を交わした。ふたりして軽く眉を寄せたのは、いったい何が理由なのだろう。彼女には分からない──分かりたくない何かしらを、ふたりは微妙な目元や口元の強張りで語り合い、了解し合ったようだった。口を開く役割を受け持ったのは、ディートハルトのほうだった。
「叔母には──」
王子がいるのは知っている。あるいは──
ディートハルトの言葉を遮るように、上のほうから乾いた破裂音が聞こえた。上、つまりは甲板のほうから。
「今のは──」
三人が三人とも、揃って船室の天井を見上げたのには十分な理由がある。彼女たちは、航海の間にその音にすっかり馴染んでいたからだ。
(銃声……!?)
先ほども、ユリウスたちが練習をしているのが聞こえてはいた。でも、今は状況が違う。急な雨で、甲板に出ているのは水夫たちだけのはず。荒っぽい彼らのこと、多少の言い合いや喧嘩はこれまでに見聞きしないでもなかったけれど、まさか銃を持ち出すはずもない。
「な、何が……?」
腰を浮かせたアンナリーザを手で制しながら、ユリウスは椅子を蹴立てて立ち上がった。ほんの一瞬遅れて、ディートハルトも続く。殿方たちは、さすがに女よりも反応も判断も早かった。ユリウスが大股に歩いて扉を開けた時、外に控えていた侍女たちは、まだ何をすべきか分からないようでおろおろと狼狽えた顔を見合わせていた。
「中へ入って。ご婦人方は固まっていたほうが良いでしょう」
迷える羊を誘導する牧羊犬のように、侍女たちを室内に導いてから──ユリウスは、アンナリーザに向き直った。
「アンナリーザ様も、こちらにおいでください。我々で様子を見てきます」
「え、ええ……お気をつけて……!」
「嬉しい御言葉です。どうかご安心なさいますよう」
硬い表情のユリウスに比べて、にこやかかつ爽やかな笑みを残していったディートハルトは、危機感がないというか彼らしいというか。でも、とにかく、不測かつ不審の事態に庇ってくれたのは素晴らしいことだ。この王子様も、悪い人ではないのだ、本当に。
「アンナリーザ様……何が起きたのでしょうか……」
「分からないわ。でも、静かに。私たちが邪魔になることがあってはいけないから」
心配そうに寄ってきた侍女を抱き締めながら、アンナリーザは上のほうを、甲板のほうを見つめ続けた。雨はもう止んだのか、水音は聞こえない。それよりも、慌てて、尖った調子の人声が届くのが心細い。水夫たちが言い争い、ユリウスたちが問い質すような──何を言っているのかまでは、分からないのだけれど。
(今回の航海は嵐に耐えるだけでは済まない、のかしら……)
前世よりは、よほど順調に進んでいると思っていたのに、思い違いに過ぎなかったのかどうか。空からは消え去ったのかもしれない暗雲が、アンナリーザの胸に広がりつつあった。
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