第8話 仲直りの後は大事なお話を
食事の時以外でディートハルトやユリウスと間近に接するのは、数日振りのことだった。つまりは、ディートハルトから不意打ちのように求婚された、あの日以来のこと。ユリウスも、祖国の企みを承知していたのだろうと思うと、彼らにどんな顔で接すれば良いのかアンナリーザには分からなかった。
(詳細は聞かないという取り決めだったわ。マルディバルにとっても悪い話じゃない……ディートハルト様もそのつもりだったのでしょうけど……)
金の髪から雨の雫を拭う彼女の顔が強張っていることを、たぶん、食堂に逃げ込んだ誰もが察していた。
「雨を歓迎するようになるなんて、最初は思ってもみませんでしたわ」
「私たちも逞しくなったものですわね!」
「殿下がたにお手伝いしていただけて、大変助かりました」
「あの──甲板には出られませんし、こちらで休憩なさってはいかがでしょうか」
アンナリーザの侍女たちは、はしゃいでいるようでいて女主人の表情をちらちらと窺っているし、ディートハルトたちに話しかけたひとりは、相当の勇気を振り絞って申し出たように見えた。
「それは……ありがたい申し出だが──」
非常に珍しいことに、ディートハルトも口ごもってアンナリーザにもの問いたげな眼差しを送ってくる。この場の気まずい雰囲気を、彼でさえも察しているのだ。
(ただでさえ息苦しい船の中、ですものね?
侍女たちが、早く機嫌を直して許して差し上げれば、と思っているのがひしひしと伝わってくる。ディートハルトのほうは、もう少し罪悪感を持ってくれているのかもしれないけれど。でも、アンナリーザの態度や表情が硬いのは、彼の求婚が理由では
(求婚は、断れば良いだけだもの)
(でも、
この《
その場の全員の注目を集めていることに気付きながらもアンナリーザが何も言えないでいると──ベアトリーチェが、微かに笑みを浮かべた。
「アンナリーザ様、よろしければ私どもは席を外しましょうか?」
「ベアトリーチェ……?」
心を読んだかのような願ってもない申し出に、アンナリーザは目を瞠る。王宮に仕えていた侍女以上に、この女性は場の空気を読むことに長けているかのようだった。アンナリーザの侍女たちには、王女と他国の貴公子を同じ空間に置き去りにする発想がなかったのかもしれないけれど──
「ユリウス様がいらっしゃれば、滅多なことはございませんでしょう?
アンナリーザの装備をしっかりと覚えていて、かつ殿方にそれを思い出させるという点でも、ベアトリーチェは抜かりなかった。平民のデザイナーの視線を受けて、侯爵子息と王子も、慌てたように揃って首を頷かせる。
「あ、ああ……もちろん。おふた方の名誉の証人になろう」
「姫に銃を抜かせたりはしないと誓う」
ふたりの宣誓を聞いて、侍女たちも一応は安心したようだった。
「では──お三方で、どうぞごゆっくり」
「お気に懸かることも、たくさんおありでしょうから──」
そそくさと席を立つ彼女たちは、たぶん、お見合いの時に「あとはおふたりで」となった時の表情をしていた。アンナリーザには経験がないし、この場には三人が残ることになるし、色恋沙汰とは関係のない話をすることになるのだろうけれど。でも、数日前に突然求婚された直後よりは、アンナリーザも落ち着いている。今なら、もう少し冷静に、踏み込んだ話をできるかもしれない。
* * *
侍女たちは、菓子と飲み物──葡萄酒に蜂蜜で甘味をつけたもの──を置いていってくれた。毎日のように茶を出すには、航海中に使える水の量は限られていた。いずれにしても、アンナリーザはすぐに甘味に手を出す気にはなれなかったけれど。侍女たちと従者たちの気配が食堂から消えるなり、彼女は息を吸い──言葉にして吐き出す。
「──申し訳ございませんでした」
そのひと言は、なぜかディートハルトが発したそれと見事に重なった。ディートハルトとアンナリーザの、少し色味の違う碧。それに、ユリウスの翠。三者三様の色を持った目がそれぞれ見開かれて、それぞれの唇が各々動く。
「先日は、不躾な態度を取ってしまって──」
「姫のお気持ちも考えずに勝手なことを──」
「殿下も難しいお立場でいらっしゃって──」
今度は、内容こそまったく同じではなかったけれど、三つの声がまたしても和音を奏でたので、アンナリーザは思わず笑ってしまった。ディートハルトとユリウスも同様だ。三人して顔を見合わせて笑ってから──ようやく、お互いに順番を譲り合って発言する。まずは、アンナリーザからだ。
「殿下のお気持ちは光栄でしたわ。喜んでお受けできないのは申し訳ないのですけれど、でも、殿下に怒ったり、まして嫌ったりはしておりません。……子供っぽい真似で、失礼いたしました」
「そう仰っていただけて安心しました。その、先日のことは、できればアンナリーザ様がいてくだされば心強いというだけで──ですが、自力でどうにかすべきことだと考えを改めましたので。ご安心していただければ、と思います」
アンナリーザの言葉を聞くなり、ディートハルトがあからさまに表情を緩めたのは、現金なものだ、と思わないでもないけれど。きっぱりと
(気にせず話しかければ良かったのかしら……?)
侍女たちに気を遣ってもらうまでもなく、射撃の練習を口実にすれば、彼らと話ができていたことにも今さら気付いてしまう。自室で、手入れや
考えながら、アンナリーザはナッツ入りの
「私も、ラクセンバッハ侯爵から最初に話を聞いた時は驚きました。殿下の前では言いづらいのですが、祖国がここまでのことを考えているとは──」
「……ええ。そうでしょうね……」
「成り行きとはいえアンナリーザ様の知るところになった以上……その、良い機会かもしれません。イスラズールがどうあるべきか、ご意見というかご要望はございませんか?」
「え……どうして、私に?」
早口に、前のめりに主張するユリウスに、アンナリーザは目を瞬かせた。同時に、少しどきりとする。マルディバルの王女である彼女が、イスラズールの統治に口出しする権利は欠片もないけれど、
(カール小父様への手紙を、彼も見たの……? 何か符合していることを言ってしまったかしら……?)
誰にも言っていない──決して言えない、前世の記憶なんていう与太話を、まさか気付かれたのかと心配しかけたのだけれど。アンナリーザが狼狽えておかしなことを口走る前に、ディートハルトが嬉しそうな声を上げた。
「ああ、それは良い考えだ」
「……殿下?」
「さっきもユリウスと話していたのですが、私は王というものに向いていないし、イスラズールをどうしたいという見識もないのです」
「そ、そうなのですか……」
堂々と言うことではないはずなのに、ディートハルトはそれを口にすることに何らの躊躇いも恥じらいもないようだった。にこやかな笑顔のまま、彼は優雅に首を傾けた。
「ですが、アンナリーザ様は違うのではないのですか? 正しいイスラズール王について、何か考えがおありなのでしょう……?」
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