第6話 彼らのやり口は分かっていたわ

「どうして……そんな……」


 頭を殴られたような衝撃の後、アンナリーザは自分の声をどこか他人のもののように聞いた。掠れて震えて、ひび割れて情けない。でも、仕方ないだろう。そうなってしまうほど、ディートハルトに告げられた称号は彼女にとって忌まわしいのだから。

 イスラズール王妃。

 かつての彼女エルフリーデを死に追いやった立場。今世ではそうならないように、奔走してきたはずなのに、どうして過去から魔の手が伸びるように、またその称号を申し出られてしまうのだろう。


「貴女は、私が見たことのない姫君でしたから。これまで周囲にいた、フェルゼンラングの令嬢たちとは違う──商人たちとも、ラクセンバッハ侯爵とも渡り合える方。だから、イスラズールの統治を手伝っていただければ、と思ったのですが」


 ディートハルトが言うのは、ある意味ではとてつもなく失礼なことだ。アンナリーザの容姿も性格も関係なく、統治の支えとしてのみ彼女を欲する、と言っているようなものだから。ただ、それを言う彼はどこまでもにこやかで、彼女を見る目も眩しげに細められている。心からの称賛として言っているのも分かるから──それでまた、アンナリーザは固まってしまう。


 それでも、アンナリーザが眉を顰めていることに、ディートハルトはやっと気付いてくれたらしい。今度は彼のほうから手を放しながら、碧い目がそっと伏せられた。


「……お嫌、なのですね。そうですよね、大陸にはご家族もいらっしゃるのだし。変なことを言って、申し訳ありませんでしたね」

「違います、ディートハルト様」

「はい?」

「そこではなくて──私が、言いたいのは……っ」


 ディートハルトは、父王に捨てられた、と言って良いはずだ。前世では売られた彼女エルフリーデから見れば、もっと怒ったり嘆いたりすべきだろうと思うのに、この王子様はふわふわと笑って首を傾げるだけだからもどかしい。気の毒な立場にいる人を、詰問するような口調になってしまうのは不本意だけど、アンナリーザは思わず声を高めてしまう。


「いったい何を根拠に、貴方がイスラズールの王位を主張できるというのですか!?」


 フェルゼンラングが推すイスラズール王とは、かの地の有力者だろうと、アンナリーザは信じ込んでいた。開拓時代から続く──大陸の諸家に比べれば新興も良いところだけれど──や、民の信望を集める名士の顔は、彼女にもいくつか思い浮かぶから。


(フェルゼンラングとイスラズールの関係は悪化しているのではないの? 余所から王を押し付けて、上手くいくはずがない……!)


 正直なところ、ディートハルトをイスラズール王に、という発想自体はさほど驚くべきものではない。今まで気付かなかったのが不思議なくらいだ。


『エルフリーデ様はイスラズールの最初の王妃になられるのです。なんという栄誉でしょう! フェルゼンラングの王女に生まれても、すべての方が王冠をいただけるとは限りませんのに』


 前世でも言い聞かされた通り、王の子女にそれぞれ王冠を用意してのは、フェルゼンラングの王にとっては愛情であり慈悲なのだ。だからディートハルト自身も、栄誉なことだと口にした。


 ディートハルトは、たぶん父王──エルフリーデの兄に言われたことをそのまま語っているのだ。本当に欠片も疑問に思っていないのか、思っていない振りをしているのは分からないけれど。


「カルロス王を承認したのは《北》の諸国で、フェルゼンラングはその筆頭です。その血筋の統治が不十分であれば、撤回することは十分にあり得るでしょう?」


 だから、エルフリーデの義父のことだって彼は書物上の、歴史上の名前としてしか知らないのだ。それは、嫁いでからほんの数年で亡くなったから、だって多くを知る訳ではないのだけれど。

 それでも、鉱山を拠点にする山賊めいた者たちを取りまとめて、交易の窓口として大陸諸国に名乗りを上げた──荒々しくはあっても、一種の傑物ではあった人だったということは分かる。イスラズールの民にとっては彼らが選んだ王でもあって、その威光を借りているからこそ、レイナルドはイスラズール王を名乗っていられるのだ。それを、ディートハルトはどこまで分かっているのだろう。


「失礼ながら──殿下はイスラズールにとっては余所者に過ぎません。外国の者が王になって、良い結果になった例はとても少ないですわ……!」

「ですが、フェルゼンラングの民が望んでいるということですから」


 意を決して踏み込んでみたのに、伝聞の情報で応じられて、アンナリーザの気力は擦り減っていく。


(それは、誰が言っていたの? フェルゼンラング王おにいさま? アルフレート? でも、彼も何年もイスラズールに行っていないんでしょう!)


 あやふやな情報で、ほとんど身ひとつで異国に放り出されるのは絶対におかしい。どうしてディートハルトは笑っていられるのか──分からないでもないのが、嫌だった。

 彼は、彼女の前世エルフリーデの裏返しなのだろう。泣いて絶望して旅立ったのが彼女なら、ディートハルトは都合の悪いことすべてに耳と目を塞いでいるのかも。それもまた王族としてのひとつの処世なのかもしれない。


「レイナルド王の統治のもとで、イスラズールは貧しくなりました。金銀や宝石を産出する国が、その富で何もあがなえないなどおかしいでしょう。イスラズールは──もっとちゃんとした国にならなければなりません」


 ふんわりと語る前世の甥に感じるのは、身勝手さへの怒りよりも呆れよりも、もはや哀れみだった。怒り呆れるのは、前世の祖国の強欲さに対して。そして同時に、自分自身の迂闊さに対してだった。アンナリーザは、不意に気付いてしまったのだ。


(フェルゼンラングがそう仕向けたのよ。レイナルドと根競べするつもりなんてなかった……最初から、機を見て都合の良い王を仕立てるつもりだったのね)


 エルフリーデとレイナルドの政略結婚が上手くいかなかったことで、王妃を送り込む策は迂遠だと判断したのだろう。だから、より直截的に傀儡の王を立てることにした。そのためのこの二十年だった。つまりは、エルフリーデが生きて死んだ意味は、祖国によって揉み消されようとしているのだ。


(フェルゼンラングの企みがまともなものだなんて、思っていなかったでしょうに。ろくでもないことだと、分かっていたわ)


 自分に言い聞かせようとしても、不意に告げられた陰謀の全容は、少々深くアンナリーザの胸に刺さったようだった。ディートハルトも、もしかしたらユリウスも知っていて当然だったけれど、堅苦しさとは無縁の船の生活が思いのほかに楽しくて、油断してしまっていたのかもしれない。


「……私、ラクセンバッハ侯爵に申し上げましたの。フェルゼンラングの思惑がどうであれ──だって教えてくださいませんでしたし──私がと信じるイスラズール王を推す、と」

「では」


 ディートハルトが目を輝かせたのがおかしくて、アンナリーザは力なく笑った。彼女の口調と表情で、いったい何を期待したのだろう。


「ディートハルト様が目指していらっしゃるのは、せいぜいが鉱山の管理人ではないでしょうか。フェルゼンラングの言うままに宝石を掘り出しては貢ぐ──さほど栄誉のある役目とは思えませんわ」

「アンナリーザ様……?」


 言うだけ言って立ち上がると、ディートハルトの碧い目を見下ろすことになる。長身の彼のことだから、普段の視点とは逆転したことになって新鮮だった。……彼が、戸惑うような、縋るような眼差しをしていることも。そんな珍しい表情をされては、こちらがひどいことをしたような気分になってしまう。


「……申し訳ございません。失礼を申しました。あの、下がらせていただきます」


 アンナリーザが目を伏せると、ディートハルトは律儀に頷いた。


「はい。……その、私こそすみません。ありがとうございました」


 何へのお礼なのだろうと、一瞬だけ不思議に思って、そういえばそもそもは食事の差し入れだったことに気付く。ディートハルトの顔色はまだ冴えないから、立ち上がって追いかける余裕はたぶんないだろう。


「どうぞゆっくりお休みになってくださいませ」


 最後に、もう一度彼の額を拭ってから、アンナリーザは盆と皿を抱えて彼の部屋を辞した。

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