第8話 何が正しいかは私が決めます
「これは──」
目を見開いて絶句したアルフレートは、頭の中で目まぐるしく考えを巡らせているに違いなかった。つまり、異国の王女に何をどこまで話して良いかについて。その時間稼ぎをさせてあげるため、アンナリーザはもう少しだけ情報を付け加えてみる。
「オリバレス伯爵──イスラズールの使者の方からいただいた宝石に仕込まれていました。確かに私に受け取らせないとレイナルド王に叱られるのだと、大層必死なご様子でしたわ」
「オリバレス伯爵、ですか……」
やはり、彼もその名前を覚えていた。
「私の気を惹こうということかと疑ったのですが、この手紙を書いたのはレイナルド王ではありませんわよね?」
筆跡も文章も、一国の王が書くものではない。だからアンナリーザがそう推測するのも何もおかしくない。隠し通せないと判断したのか、これくらいは仕方ないと諦めたのか──アルフレートは、軽く眉を寄せるとゆっくりと頷いた。
「はい。パロドローラ女公爵──レイナルド王の愛人、かと。さほどの学もないはずですし、オリバレス伯爵は彼女の親族ですから」
「女公爵!? 王の愛人が!?」
マリアネラの現状を聞き出そうとしては、いた。でも、アルフレートが漏らした称号は思いもよらないもので、アンナリーザは思わずはしたない大声を上げてしまう。幸いに、アルフレートは無理もない、と言いたげな表情で小さく首を振っただけだったけれど。あの女に女公爵なんて地位はまったく相応しくない。それを、彼も分かっているのだ。
アルフレートは、海を望む窓の外に目を向けた。そこにイスラズールが見えるはずもないけれど、彼方に思いを馳せる時、人はその方角を見ずにはいられないらしい。
「……元々は男爵令嬢に過ぎませんでした。エルフリーデ様の亡き後、レイナルド王はその女と結婚しようとしたこともあったようですが──亡き王妃の生前からの愛人、それもそのていどの身分の女を王妃に据えては、大陸諸国からの同盟を得られないことに早々に気付いたようでした」
気付くも何も、本来なら考えるまでもなく分かるはずのことだ、と思う。前世のエルフリーデとしても、今世のアンナリーザとしても。でも──レイナルドには自明のことではなかったのだろう。
(イスラズールには歴史がなく、他国との交流が薄かった……だから、王でさえ王の何たるかを知らなかった……)
かの地では、王とは並ぶもののない威光と権力を一手に握る存在だったから。
エルフリーデは、そうと気付くのが遅すぎたのだ。あるいは、アンナリーザになって思い返して初めて、思い至ったのかも。そこまで意識が違うから、レイナルドにしてみればフェルゼンラングの干渉は
(王妃にできない代わりに、せめて女公爵に……彼は、彼なりにマリアネラを愛しているのね)
苦い思いと共に、アンナリーザは冷めかけた茶を呑み下した。
「……フェルゼンラングは、イスラズールの内部とも通じていると思います。その女性では、ないのですね?」
フェルゼンラングが想定する
「まさか!」
アルフレートは、憤然と首を振る。外交官としての演技ではなく、心外極まりないことを言われて全力で否定する時の態度だった。少なくとも、アンナリーザにはそう見えた。
「エルフリーデ様を追い詰めたひとりです、マリアネラ──女公爵は。レイナルド王に逆らうはずもない、人形のような女性ですし。我が国の交渉相手にはなり得ません!」
「では、この手紙もレイナルド王の意向に沿ったものなのでしょうか。彼女が言う、正しいイスラズール王とはどなたのことだと思われますか?」
彼の反論は予想の
(クラウディオのことではないの? これを見せても、教えてくれないの……?)
アルフレートによるマリアネラの評は、
(レイナルドとマリアネラが違う考えで動いているなら、もしかしたら……!?)
縋る思いで見つめるアンナリーザの必死さを、アルフレートはどう捉えたのだろう。ひげを蓄えた口元が微かに歪むと、溜息と共に情報を吐き出す。たぶん、彼の立場では踏み込み過ぎたことを。
「……レイナルド王と女公爵の間には男子がいます。王は、その子を次代の王に、と考えていた節があります」
「そう、ですか……」
アンナリーザが目を伏せたのはその子のことを
(我が子のために、居ても立っても居られず余計なことをしたというの……?)
フェルゼンラングの干渉は、マリアネラにとってさえも脅威に映っているのだろうか。分からないけれど──たぶん、アルフレートはこれ以上は明かしてくれない。
「私生児を王に、などとは大陸では考えられません。この一事をもってしても、レイナルドは王に相応しくないことがお分かりいただけるかと……!」
「では、フェルゼンラングが考える王に相応しい人物というのは、どなたなのでしょうか」
駄目で元々、で聞いてはみたけれど、アンナリーザの問いは外交官の鉄面皮の表面で滑り落ちる。手紙で動揺を誘えたのも一瞬のこと、アルフレートは、既にしっかりと心の扉を閉ざしたかのようだった。
「お教えしない、というのが父君様とのお約束です。マルディバルは商人の国、交渉はしても陰謀を巡らせることはないのでしょう」
「そうですか」
フェルゼンラングは、マルディバルが知らないところで
(分かっていたことよ。確かめて、すっきりしたかっただけ)
だから、アンナリーザはまったく落胆なんかしていないのだ。でも──アルフレートは違う風に取ったらしい。ふと気づけば、やけに真摯な顔が目の前に迫っていて、アンナリーザは目を瞬かせることになった。
「ご不安ならば、私は渡航を取りやめられるのをお勧めします。若い姫君が、野蛮な国に渡られることはございません。批判を恐れられるなら、ほとぼりが冷めるまで我が国に留学なりなさればよろしい」
「まあ、父や兄でさえ今さら言わないことを仰るのですね」
たぶん、彼は彼なりにアンナリーザを案じてくれているのだろうけれど。多くを語れないにしても、それだけ後ろめたい企みが進んでいるということだろうし、確かに、まったく怖くないと言えば嘘になるのだけれど。
(でも、もう止めるなんてできないの。分かっているでしょうに……!)
アンナリーザがにっこりと笑ったのは、アルフレートの目には小娘の呑気さに見えたのかもしれない。彼は頭に手を突っ込んでかきむしり、ぴしりと整えた髪型を乱した。若いころの彼が、とても言い辛い報告がある時にしていた仕草で、懐かしい。
「……我が国へのご不信はごもっとも。ですが、イスラズールに関わった姫君が不幸になるのを二度と見たくない、というのも偽らざる私の本心なのです」
「私はエルフリーデ妃ではありません。私を助けてくださっても、亡くなった方には関わりのないことです」
「それは、存じておりますが……!」
縋るような必死な眼差しも、
「私は、そもそも侯爵様がすべてを教えてくださるとは思っておりません。教えてくださらないということを、確かめようと思っただけですわ」
「アンナリーザ様……?」
眉を寄せるアルフレートに、アンナリーザは悪戯っぽく笑いかけた。他国の、それも父よりも年上の外交官にするには不躾な態度だろうけれど、今の彼に気にする余裕はないだろう。
王妃だった
「何も教えてくださらないなら、私が直接見聞きした範囲で判断します。交渉の相手も、その成否も──誰が正しいイスラズール王なのかも。すべて、愛するマルディバルに最良の結果をもたらすと信じるように選び、振る舞いましょう。父にも母にも、兄にも内密でお呼びしたのはそれだけをお伝えするためです」
要するに、アンナリーザはこれを言いたいがためにアルフレートを呼び出したのだ。
「私は、私がやりたいようにします」
言い切った後──目を見開いて固まったアルフレートの顔がおかしくて、アンナリーザははしたなくも声を立てて笑ってしまった。
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