第5話 私を宝石で買えると思わないで
似たようなことは、何度もあった。つまりは、マリアネラのおねだりで、その縁者に爵位や領地が与えられる、ということが。その中に、確かに使者の──オリバレス伯爵の名もあった。アンナリーザの目の前の男は三十そこそこに見えるから、あの時話題に出た本人ではなくて、息子や甥にあたるのだろう。いずれにしても、マリアネラの縁者だということが分かれば十分だ。
(だから、やっぱりあの女はまだ権力を振るっているのね)
それなら、アンナリーザ宛の追加の小箱は、マリアネラの意図によるものかもしれない。レイナルドの再婚は、マリアネラの立場を
「マルディバルは──交易の国です。ただいただくだけ、というのは
宝石で歓心を買おうというなら不快だし、妙な期待をされても応えられない。今は、国同士の儀礼上のやり取り以上のことをするつもりはない。丁寧な言葉に
「そう難しくお考えにならずとも……。イスラズールに眠る宝石の質も量も、この百年近く変わっておりません。摘み取った薔薇を捧げるていどのこととお考えくださいますように」
「さらに百年後はどうなっているかは分かりませんわ。これも商人としてのご忠告になりますけれど、安易な安売りはしないものです」
薔薇は、花が落ちてもまた蕾を結ぶだろう。でも、宝石はそうはいかない。金も銀も、いずれは掘り尽くされる日が来るのだろうに。オリバレス伯爵は、そんな日のことは来ることがないとでも思っているのだろうか。
(こんな人が貴族で、一国の使者で、伯爵だなんて……!)
イスラズールでは、そもそも爵位なんて曖昧なものだった。レイナルドからして、二代目の王でしかない。開拓者の中で頭角を現した彼の父君が王という名の首領に選ばれて、自身の側近に侯爵だとか伯爵だとかの肩書を与えていったというだけのこと。そんな、「仲間うち」のやり方で通用していた時期も、かつては確かにあったのだろう。
でも、一攫千金を夢見る冒険家や商人だけでなく、地を耕す入植者も増えて、イスラズールには民という概念が生まれた。父がかつて言ったように、黄金は日々の糧にはならない──ならば、王や貴族たるもの、民が末永く健やかに暮らせるように心を砕かなければならないというのに。
「マルディバルとの友好は我が国にとって希望なのです。決して、安易に考えたりなどしておりません」
「ですが……!」
友情を宝石で
イスラズールが無知で無頓着なら、付け込んで搾り取れば良いと、前世の祖国──フェルゼンラングなら考えるはず。マルディバルの王女としても、迂闊な取引相手は歓迎すべきであって。イスラズールの民のことは、今は二の次三の次にしなければいけない。それも、頭では分かっているのだけれど。
アンナリーザと使者の間で、豪華かつ華奢な宝石箱が何度も行き来した。その不毛な押し合いを見かねたのか、母が横から口を挟んだ。
「──では、アンナリーザ。ご厚意にはご厚意でお返ししましょう。貴女宛ての贈り物ということだから、レイナルド陛下への返礼を貴女が考えるのです」
「お母様……」
嫌です、と。とっさに零れかけた言葉もまた、外交の場ではあってはならないものだった。
あの男と関わり合いになりたくないという感情はエルフリーデの記憶があればこそのもの。レイナルドを知らない──はずの──アンナリーザとしては、いくら不信を募らせていようと、これから交渉しようという相手を
「はい……そうですわね。陛下の、お気持ちということですから……お気持ちをお返しすれば、暴利をむさぼることにはなりませんわね……?」
娘の強情を知る母は、落としどころを提示してくれたのだ。余計なものとしか思えない宝石は、アンナリーザを
「王女殿下からの贈り物を、我が王は喜ばれることでしょう」
これは、彼の手柄になるのかどうか。マリアネラを喜ばせてしまうのかどうか。考えると眉間に皺が寄ってしまいそうだから、アンナリーザは努めてレイナルドとマリアネラの面影を頭から追い払った。
(そうよ……レイナルドに贈り物なんてしてあげないの。そうじゃなくて──)
息を整えて考えを巡らせる娘を、母が少し心配そうに覗き込んだ。
「アンナリーザ。ゆっくり考えて、後日お伝えすれば良いでしょう。何なら出航に間に合うようにすれば──」
母も、マルディバルの海の色の目を持っている。晴れて
「いいえ、お母様。私、決めました。レイナルド陛下に──イスラズールに、何を贈りたいか」
贈る相手は、イスラズールそのものだと想えば良い。いっそ、良い機会だとさえ言えるだろう。オリバレス伯爵の要望に従った品だけでなく、アンナリーザが──エルフリーデが、イスラズールにもたらしたかったものを贈れる機会なのだと。
(先のことを考えて、と──
オリバレス伯爵に微笑みかけながら、アンナリーザは心の中で歯噛みする。伯爵経由で伝えられたイスラズールの望みの品は、香辛料や砂糖や鋼材など。どれも大事なことではあるけれど、使ってしまえば消えるものだ。だからもっと──後に残るものを。民の暮らしを利するものを。
「私からは、種を、贈りましょう」
「はあ……?」
何か、姫君らしく可愛らしいもの──手作りの何かしらとか? ──を期待していたのかもしれない。大仰に頷く準備をしていたらしいオリバレス伯爵は、空回りした様子でぽかんと口を開けた。その間の抜けた表情に、優雅に笑みを深めながら、アンナリーザはある方角を目で示した。
「マルディバルの王宮の一角では、《南》の野菜やハーブも育てておりますの。色々な国からお客様がいらっしゃいますから。気候が違うから維持するのもなかなか大変ということなのですけれど。でも、イスラズールはマルディバルよりも南方に位置していますから、育てやすいかもしれません」
イスラズールに入植したのは、《北》大陸の者が多い。つまりは持ち込んだ作物も《北》を原産とする種が多かったという訳で、それこそ気候の違いによって、不作に苦しんだ年も多かったと聞いている。
(今は、もっと耕作地も増えているかしら。イスラズール生まれの人が増えたら、《北》の味を懐かしむだけではなくなるのでしょうけど)
それでも、選択肢が増えるのは良いことのはずだ。気候が合う作物なら、将来的には輸出できるようにまでなるかもしれないし。
「両国の絆も、これから芽吹いて欲しいものです。そのような願いを込めました」
「それは──もったいないお気遣いです。感謝申し上げます」
金銭的に価値があるものとか、せめて見た目に美しい花ならもっと反応しやすかったのに、と。オリバレス伯爵の顔は戸惑いも
「では、改めましてこちらを──どうか、受け取ってくださいますように」
「え、ええ……ありがとう、ございます」
伯爵にしてみれば、やっと押し付けることに成功した、ということなのだろう。異様なほどの熱意に少々気圧されながらも、アンナリーザは細やかな細工の箱の、蓋をそっと開け──中から湧き出た
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