第2話 女だって武装を整えなければ

 ユリウスは、兄のティボルトと交易に供される品の受付と整理に当たっている。ディートハルト王子は、アルフレートの監督のもと、航海に使うのと同系の高速帆船クリッパーの見学だ。王子を操船に関わらせる事態など考えられないけれど、《彩鯨アイア・バレーナ》号と普通の船はまったく別物だということ、や揺れのていどを少しでも体感しておいて欲しかった。


 という訳で、今日のアンナリーザはひとりで行動している。夜中に知り合ったばかりの殿方ふたりを部屋に招き入れたことで、父母にも兄にもひどく叱られてしまったけれど、娘として妹として、信頼を失うことはなかったのは幸いだった。隠すことなくすぐに報告して赦しを乞うたからでもあるし、ユリウスの申し出が願ってもないものであったからでもあるだろう。


 アンナリーザが訪ねたのは、マルディバルの王都の中心部からは少し離れた館だった。門扉に掲げられているのは、針とハサミををかたどった紋章。とはいえそれが示すのは館の主の家名ではなく職業だった。この館に住まうのは、ベアトリーチェという平民の女だ。アンナリーザからすると、年の離れた姉とか、叔母くらいの年齢に見える。


 ベアトリーチェは、マルディバルだけでなく近隣の王侯にも顧客を抱える、腕の良いデザイナーだった。


      * * *


 すでに何度も訪れたことがあるベアトリーチェの館の客間で、アンナリーザは女主人と対面していた。彼女の要望を書き留めるためのペンを手にしたベアトリーチェの、髪と目は栗色だ。色調を抑えた装いと併せて、扱う糸や生地、それに顧客の装いを引き立てようという意図もあるのかもしれない。とはいえ、彼女の持つ技術を誇示するかのように、ベアトリーチェが纏うドレスの仕立ては襞の寄せ方も袖の仕上げも胸元の見せ方も、何もかもがうっとりするほど完璧だった。


(ここはお茶もお菓子も趣味が良いから好きだわ)


 東方産の花の香りの茶に、その香りを邪魔しない代わりに美しい見た目の砂糖菓子。他国の顧客からの貢ぎ物かもしれないそれらを堪能してから、アンナリーザは早速切り出した。


「ドレスを四着、仕立てて欲しいの」

「四着、ですか」


 アンナリーザにとってもベアトリーチェにとっても、驚くような数ではない。だからその相槌は、内訳を促されたものだと解釈してアンナリーザは指を折りながら続けた。


「一着は、出航前の夜会で着るもの。二着は、航海中に着るもの。これは、手持ちのものでも良いから無理なら断ってもらっても大丈夫。でも、できれば長袖で、襟が詰まっていて、涼しい素材のものが欲しいわ」

「日焼けしないように、ですわね? 大切なことです。それに、王子様を誘惑しないように、もでしょうか」


 悪戯っぽいベアトリーチェの微笑に、アンナリーザは苦笑しながら首を振った。身分高い顧客にも慣れた彼女のこと、年若い王女なんて時に揶揄いの対象になってしまうのだ。


「王子様じゃなくて侯爵子息よ。それに、私なんかよりイスラズールの蝶や花や鳥に夢中な方よ」


 ディートハルト王子は、公式にはこの国を訪れていないのだ。まして、イスラズールへの船に乗るなんてとんでもない。

 だから、王子様だなんて揶揄されるのはユリウスのことだ。捕縛も覚悟でアンナリーザの馬車を止めてした、と──世間ではそんな噂になっているらしい。尾ひれに翼も角も生えて、立派な怪物に育ったものだと思う。


(ヴェルフェンツァーン侯爵家の評判のお陰で、本気で誤解されている訳ではないはずだけど)


 ヴェルフェンツァーン侯爵家の子息なら、イスラズール行きの機会を掴むためにそれくらいはするだろう、と。自然にそう考えてくれる者はマルディバルでも結構いたらしい。だからこそ、噂は概ね噂として楽しまれる一方で、ユリウスの行動は侯爵家の本気の表れとして受け止められた。熱意のある出資者が現われた、という一報は、様子を窺っていた商人たちの背を押すまたとない追い風になってくれたという訳だった。


「お噂はかねがね伺っております。虎の毛皮の縁取りのマント──一度、拝見したいものですが」


 だから、ベアトリーチェだって本気でユリウスとアンナリーザがどうこう、なんて考えている訳ではないのだ。事実彼女は、ユリウスの父君の逸話に触れつつ軽く頷くと、手元の紙に視線を戻した。


「アンナリーザ様の可愛らしさにお気づきでないとは、ご子息も変わった方です。──最後の一着は?」

「イスラズールで、レイナルド王に拝謁する時に着る予定のものよ。色は、決めてあるの。アズールが良いわね。マルディバルの色で、あちらにもゆかりのある色だから」


 国と国とが初めての交渉を行う席で、その使者となる王女が纏う衣装だ。ベアトリーチェの手が一瞬止まったのは、その重要性に気付いた証拠。政治や外交の機微をすぐに察してくれるのも、彼女の顧客が絶えない理由なのだろう。


 今回の仕事を、名誉に思ってくれたのかどうか──ベアトリーチェはゆっくりと、首を傾げながら呟いた。


「では、こちらがもっとも格式が高く、かつ、失敗してはならないもの、ということになりますわね。青に──金を施すのが華やかでしょう。それに、意匠はやはり重厚な雰囲気に? 素材は天鵞絨ベルベットではいかがでしょうか?」


 まずは無難な案を出してこちらの反応を窺うのも、さすが、だった。それで良いならソツがないものを用意できるが、それだけで良いのか、と。客のセンスを問う眼差しの鋭いこと、アンナリーザも自然と背が伸びる。


(直接訪ねた甲斐があるわね)


 王宮に招くことももちろん可能だったけれど、王女自ら足を運んだという事実で、こちらの熱意を見せることができれば良い。ここが大事、とお腹に力を入れながら、アンナリーザは意識して余裕ある微笑みを浮かべた。


「青と金の組み合わせは素敵ね。でも、素材は薄絹を重ねたいわ。枠を使ってスカートを張り出させるような、古臭い型も止めてね。最近の流行りに乗っ取って──流れるような、優美な意匠にしたいの」

「イスラズールが知る大陸の姫君は、フェルゼンラングの方が最初で最後、なのでしょう? かの国の姫君が召されていたのは、きっと古式ゆかしいドレスだったと思うのですけれど」


 ベアトリーチェの栗色の目に、微かに驚きと困惑が浮かんだのを見て、アンナリーザは満足した。それに、彼女はイスラズールの事情まで把握してくれている。衣装を作るという職分に留まらず、視野も見識も広いし気配りもできる──とても、有能な女性だ。


「ええ、きっとね」


 もちろん、アンナリーザは──エルフリーデが持ち込んだ衣装をすべて覚えている。ベアトリーチェの推測通り、《北》の伝統ある正装はイスラズールだと暑くて重くて堪らなかった。何より、レイナルドたちには気取っていると思われた、と今なら思う。


「でも、エルフリーデ妃は王に愛されなかったし、フェルゼンラングは最近の政策のせいで嫌われていると思うの。かの国を思い出させるよりは、新しい取引相手が現われたのだと、まず見た目で分かってもらいたいの」

「なるほど……お見事なご見識です」


 ベアトリーチェの相槌は、社交辞令にしてはあまりにも直截な表現だったから、かえって本気で褒めてくれたのかもしれない、と思えた。笑みを深めてそれに応じてから、アンナリーザは身を乗り出した。


「それに、あちらの女性は大陸の流行が気になってしかたないはずよ。こちらの最新を見せつけるのが良いと思うの」

「はい、まことに」


 アンナリーザの訪問の本題は、ここからだった。ドレスを依頼すれば作ってもらえるのは、王家の財力とこれまでの関係からすれば当然のこと。でも、今日は当然では依頼をしに来たのだ。王女のたっての願いだからといってありがたがってくれる相手ではないから、それなら内容に興味を持ってもらわなければ。


「ベアトリーチェ、貴女もイスラズールに行ってくれないかしら。私と一緒に。イスラズールのすべての貴婦人が、貴女のドレスを着るようになるわ。流行を思い通りに作り出せるなんて、素敵なことじゃない?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る