閑話 姫君は狼の巣穴に入る (アルフレート視点)

 マルディバルの王宮に再び招かれたラクセンバッハ侯爵アルフレートは、王と、それにアンナリーザ王女に迎えられた。


「拝謁の栄誉を賜り、恐悦至極に存じます」

「何、侯爵も落ち着かぬことであっただろうから。伝えるならば早く、と考えたのだ」

「恐れ入ります」

「先日の件についてだが──」


 形ばかりのあいさつもそこそこに、マルディバル王は本題に入った。先日のへの回答の席だろうとは、アルフレートも察している。察されていることを、相手も承知していることだろう。だからもったいぶった余計な前置きは不要ということだ。気が強いらしいアンナリーザ王女も、今は父王の隣で大人しく膝の上に手を揃えている。


「イスラズールとの交易で、他国に先んじられるのは確かに魅力だ。マルディバルは貴国のを支援しよう」

「賢明なご判断です。《北》のさらなる繁栄のために、ともに手を携えられること、心から嬉しく存じます。我が王も感謝申し上げることでしょう」


 驚くべき答えではなかった。


 陰謀に加担するのは面白くはないだろうが、イスラズールとの交易に関する権益が他国に渡るのは避けたいだろう。マルディバルは海を擁する豊かな国だが、同様に三大陸の交易に携わり、同じていどに豊かな小国はいくらでもあるのだ。……そういった国々の多くは、すでにフェルゼンラングによる反イスラズール同盟に参加させてしまっているのだが。

 とにかく、マルディバルはフェルゼンラングに選ばれた幸運を感謝すべきだろう。


「イスラズールには、縁談は断るが交易には興味がある旨を回答した。あちらも願ってもないことなのだろうな、大筋では快諾してくれた」

「そう伺って私としても安心いたしました。若い姫君が、わざわざ狼の巣に踏み入ることなどあってはなりませんからな」


 マルディバル王は、またも当然のことを述べた。王子たちと王女を交流させる一方で、父王がイスラズールと接触するのは効率的だ。そして、その上での王の決断も。やはり、どの国にとってもイスラズールの資源は魅力的に映るのだ。

 それに、縁談は断るというのも賢明なことだ。先日知らせた情報があってなお、イスラズール王妃の座を欲する親も娘もいるはずがない。ディートハルト王子の報告によると、王太子も妹姫を大層可愛がっているということだった。


 にこやかに頷いて──だが、アルフレートの頭の隅に、疑問が浮かぶ。


(……では、王女は何のために同席しているんだ……?)


 儀礼的な微笑を浮かべるアンナリーザ王女を、視界の端で窺う。今、彼が口にした相槌は、この姫君にとっては不快なものだったかもしれない。彼女は、どういう訳かエルフリーデ妃に感情移入しているようだったから。彼女も同じ運命を辿るかもしれないという不安からなのか──いや、その心配はいらないと、父王が明言したばかりだというのに。


(ディートハルト殿下に売り込もうとでもいうのか? こちらとしても悪くはない話だが……)


 第三王子ともなると、王家に相応しく、かつ後々の王位継承に禍根を残さないような相手を選ぶのはなかなか難しいのだ。溌溂として愛らしい王女を、ディートハルト王子は気に入っているようでもあった。イスラズールを本格的に開発しようとしているフェルゼンラングにとっても、港国の王女を抱き込めるのは好都合だが。


 そんなことを考えているうちに、アンナリーザ王女が笑みを深めたので、アルフレートは思わず身構えた。無論、傍目には気付かれないていどのことだが。経験ある外交官の癖に小娘にたじろいでしまったなどと、悟られる訳にはいかなかった。だが──


「あら、私、踏み入りますわよ? 侯爵様の仰る狼の巣に──私としては、実り多い花園とでも、思いたいのですけれど」

「……なんですって?」


 にこやかに述べた王女と裏腹に、アルフレートの声は無様に驚きを顕わにしてしまった。そこへ、さらにマルディバル王が追い打ちをかける。


「マルディバルは此度こたびのことに国運を賭けることになる。本気のほどを見せるためにも、娘を送るのは良い手段であろう。イスラズールに対しても、国内の計算高い商人たちに対しても」

「お待ちを──イスラズールへの航海そのものの危険もございます。かの地の人々の気性も荒く気候も激しく、とても王宮育ちの姫君が耐えられるものでは──再考なさるべきと、存じます!」


 外交の場に相応しくなく、なぜこのように声を荒げてしまうのか──アルフレート自身にも分からなかった。どうしてこれほど驚き、動揺してしまうのかも。

 本気の証明のために王族を出すのは、当然のことだ。国のために危険を冒すのは王族の義務というものだし、フェルゼンラングも、ディートハルト王子で同じことをしようとしている。


(だが、それでも!)


 せっかく、レイナルド王の不実を教えたのに、どうして無下にされるのか。王女を可愛がっているはずのマルディバル王の決断に、なぜか裏切られたように感じられてしまうのだろうか。


「あら、でも、エルフリーデ妃には耐えられたのでしょう。二十年も前に」

「それは──」


 諫言を重ねようとしても、アンナリーザ王女が笑顔のままで告げたことによって、見事に舌を縫い留められてしまうだが。

 エルフリーデ妃がイスラズール行きの船に乗ったのは、彼女が十三歳の時だった。幼い少女には過酷な旅になるのは誰もが承知で、そして無理を通したのだ。彼も、そのひとりだった。なぜ今さら、と言われたら口をつぐむしかない。時と場合で言うことを変えると思われたら、誠意を疑われるのはこちらのほうだ。


 それにしても、アンナリーザ王女が彼を見る目は冷ややかで鋭かった。いくら口元が微笑んでいても、外交官たる者、目に浮かんだ本音を見誤ることはない。だが、どうしてこんな目つきで睨まれなければならないのかが分からない。


(彼女は知っている──気付いているのか? エルフリーデ様が私にとって忘れることができない御方だと……?)


 訝しみ、つい、眉を顰めそうになるのを必死にこらえようとした瞬間、アルフレートは悟る。雷に打たれたような衝撃と共に。

 彼は、会ったばかりの異国の王女と、エルフリーデ妃を重ねてしまっている。だからこの少女の言動に翻弄されてしまうのだ。目の色も髪の色も表情も、まったく似たところなどないというのに。今日は、ドレスの色さえ彼の記憶と罪悪感を刺激した青ではないのに。


「無論、私としても何の心配もなく娘を送り出すのではない。聞けば、フェルゼンラングの尊い方もイスラズールに向かわれるのだとか。──貴国からも、対応には万全を期していただけるものと期待している」

「は──それは、もう」


 ディートハルト王子だけでなく、アンナリーザを守るためにも全力を尽くせ、と。マルディバル王の言外の要請を聞き取って、アルフレートは従順に目を伏せた。


(殿下も余計なことを言ってくださったものだ……)


 マルディバル王がアンナリーザ王女をイスラズールに、などと決断できたのは、ディートハルト王子につける護衛をあてにできると考えたからだろう。さらには、王族の身分を隠して潜入させる手間を危険を冒させるなら、そのていどの便宜は図れ、という圧力でもある。


(それに、牽制も兼ねているな。王族に王族をぶつけることで、海の上やイスラズールに着いてから、主導権を渡すことがないように……!)


 大国だからといって、何もかもが思い通りになると思ったら間違いだ、という訳だ。商人の国の王も王女も、なかなか強かな相手のようだった。

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