第3話 若い頃

 Aさんはキレイどころの集まる総務部でも異彩を放っていて、ありきたりなOLとは一線を画していた。外資系だから、帰国子女や変わった子が多かったけど、それでもAさんは浮いていた。


 彼女が課長と不倫してることは、職場の人たちは知らなかったと思う。俺も最初は知らなかった。俺は彼女とよく話していてたから、試しに飯に誘ったら喜んでついて来た。確かにあわよくばという気持ちはあった。それなのに、彼女の方から「帰るの面倒くさいなぁ」と言い出したから、ホテルに行ったという流れだった。いくら美人でも、そんな子と本気で付き合う気なんかなかった。


 そう思ったのには、他にも理由があった。


「あたし、課長と不倫してるんだ」

 Aさんは真夜中にいきなり言い出した。俺は眠かったけど、取り敢えず返事をしていた。

「へぇ・・・あんな普通っぽい人と?意外」

 課長と言えば、人畜無害の平凡な男を絵に描いたような人だ。

「うん。私、普通っぽい人好きなんだ。自分が変わってるから」

「あの人結婚してそうだけど」

「うん。してる」

「別の人にすれば?」

「でも、奥さんと別れるって」

「へぇ。子どもいるんじゃないの?」

「いないよ。奥さん子宮全摘してるから」

「え?なんで」

「子宮癌で」

「あ、そうなんだ・・・でも、それで離婚って気の毒過ぎない?」

「別に。仕方ないと思う。私が奥さんの立場だったら身を引く。現実を受け止めないといけないじゃない。課長、子どもほしいって言ってるんだから」

「ひどい野郎だな。別に養子でいいじゃん」

「自分の子どもが欲しいって」

「う~ん。奥さんかわいそうだって・・・」

「でも、課長も別れたいって言ってた。奥さん更年期になっちゃって、家で包丁振り回したりするんだって」

「君と不倫してるからじゃないの?」

「そうかもしれないけど・・・でも、やばくない?」

「すごいドロドロだね。君も刺されないように気をつけなよ」

 

 俺は彼女と距離を置くことにした。俺たちはその頃、頻繁に会っていたし、多いときは週1回くらいホテルに行ってた。俺はそのうち、ホテル代が惜しくなって部屋にも上げていた。朝一緒に会社に出勤したこともある。だから、彼女は俺の気持ちになかなか気付かなかった。


「あたし、課長と別れたら、江田君と付き合おうかな」

「俺はダメだよ。彼女いるから」すかさず嘘をついた。

「ウソばっかり」

「いるよ」

「江田君って、5股くらいかけてそうだよね」

「本当に彼女いるから、他で探せば?」

「冷たい・・・」

 彼女は怒っていた。

 俺は、彼女のことなんかどうでもよかった。人としても嫌いだったからだ。その後、何回か会ったと思うけど、自然消滅してしまった。


 俺は彼女をどうしたかったんだろうか。あんなクズみたいな女が不幸になっていると期待してたんだろうか。幸せになってるわけないのに。


 ***


「旦那は今もあの会社で働いてるの?」

「うん。今は副部長になってる」

「へえ。結構もらてるんじゃない?」

「まあね」

「いいなぁ。外資系は給料高くて。君も働いてる?」

「ううん。結婚してやめた」

「あ、そうなんだ。子どもまだ?」

 俺は彼女の発言を思い出した。子どもが出来なかったら、身を引くっていう。

「うん。実は不育症で。もう何回も流産してるの」

「君、今、いくつ?」

「42」

「あ、そうなんだ」

 年齢的にはけっこうギリギリかもしれない。

「旦那の方は、何も原因ないの?」

「うん。あっちは健康」

「そうなんだ・・・やっぱり流産ってきつくない?」

「うん。毎回、できた!って大喜びして、崖から突き落とされる感じ」

「そうだよね・・・」

「江田君は?」

「俺は・・・精子無力症で・・・」と、自分の経験を話した。精子の運動率がすごく低くて、自然妊娠は難しかった。

「でも、顕微授精すればできるでしょ?」

「うん。でもさ、嫌なんだよ。不妊外来行くのが・・・」

「だよね。あそこにいると、自分がまるで売れ残ったみたいな気分になっちゃう。子どもができて卒業してく人と、ずっといる人がいて。私なんてもう何年通ったか忘れるくらい」

「一回も出産まで至らなかった?」

「うん。死産もあってね・・・本当にきつかった。死んでる赤ちゃんを産まないといけないんだから。すごい痛い思いしても、生まれてくるのは死体なんだから」

 その場面を想像しただけで辛い。

「そうか、子ども欲しがってたもんね。君も旦那も」

「うん。全員生まれてたらもう20人以上いるかも」

「そんなに?」

「流産の原因がわからないの。でも、毎回流れちゃうんだよね・・・仕事もしてないし安静にしてて、子宮にも全然問題ないのに・・・。もう年齢的にも無理かなって・・・そしたら、旦那が離婚しようって言うんだよ。子ども欲しいからって。ひどくない?私、頑張ったのに」

 俺は彼女が「奥さんは身を引くべきだ」と、言ってたことを思い出した。俺はそう言ってやった。

「私、そんなこと言ってないよ!」

「じゃあ、別の人かもね」俺は適当に言っておいた。


「江田君、他の人と勘違いしてるんだよ」

「そうかもしれないね。でも、奥さん癌で子宮全摘してたんだよね?」

「何で知ってるの?」

「君から聞いたんだよ」

「奥さん、すんなり離婚に同意してくれた?」

 Aさんは首を振った。

「じゃあ、離婚調停やって離婚って感じ?」

 Aさんはまた首を振った。

「奥さん、自殺したの」

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