第4話 八つ当たり

「二号店の店長!? やりたいです。やります」


「おお、待って待って。あくまでまだ候補って話だから」


 食らいつく佳乃さんにシェフはたじろぎつつ返す。平日の仕事おわり、もちろん小野寺くんもいる厨房にて。


「兼定のがんばりは認めてるよ。でもパティシエ歴で言えばよっちゃんの方が先輩でしょう? 三年前この話をした時に佳ちゃんが戻る予定はなかったにしても、なんの話もせずに兼定で確定ってのはフェアじゃないでしょ」


 シェフの言い分はもっとも。あとから先輩が入るだなんて想定してなかったことだもん。だけどショックだよね、そりゃあ。


「で、どうやって決めるか……って話なんだけど」



 この世界は──


「今度のコンテスト、兼定が優勝できたら店長を任せることにしようと思う」


 ──実力がすべて。




 それからの小野寺くんは本気だった。毎日遅くまでひとり残ってはコンテストに向けての練習に励んでいた。


「がんばりすぎじゃない?」

「私もそう思います。でもそうなりますよ、こんな状況じゃ」

「まあねぇ。でもちゃんと食べてるのかしら。倒れられたら困るなぁ」

「え……。さあ」


 帰り支度をするゆうこさんにじっと見られて「なんですか」と身を硬くする。


 私よりあんみつちゃんからの方が嬉しいだろうから。という理不尽な理由で小野寺くんの晩ご飯支給係を仰せつかってしまいました。これもヴァンドゥーズの仕事? なんだか納得出来ないけど反論の余地はない。


 仕事上がりに近くのコンビニで軽食を調達してきた。ちなみに代金はゆうこさんからもらっています。


「お邪魔しまーす……」


 小野寺くんだけが残る厨房にそっと顔を出す。集中していて気が付かないのか相手からの返事はない。


「あの……、小野寺くん」


「あのー」


「えっと……」


 こっそり置いて帰ろうかな、でも気付かれなかったらだめだし、などとうろうろしながら思案していると「なに」と返事があった。


「あ、お、おつかれさま。これ、あのその、ゆうこさんから。体壊すからちゃんと食べなさいって」


 相手は「ふうん」とだけ答えておにぎりを受け取ると「ありがとう」と素っ気なく言って台の端に置くとまた作業に戻ってしまう。


 これは食べるかわかんないな。


「あの」


 また返事はない。聞こえてるんでしょ? ねえ、もう。無視ですか。


「……なに。邪魔」


 む。なんですって?


「ちゃんと食べて。見届けるまで帰れないよ」


 私がそう言うと相手はあからさまに面倒くさそうな顔をして「はー」とため息をついた。く。こいつは。こっちは心配してるっていうのに。


 すると小野寺くんは観念したようにどかっと近くのイスに座っておにぎりを開封して食べ始めた。


「ゆっくり食べなよ」


「……一秒でも惜しい」


 もぐもぐしながらそう答えた。


「わかってる。やりすぎてもダメだってことは」


 そう言うとちゃんと噛んだのかよくわからないままごくんと飲み下して「だけど」とおにぎりの包装ゴミをこちらに手渡す。


「逃したくない。チャンスを」


 チャンス……。たしかにこれは、彼のパティシエ人生で最初にして最大のチャンスなんだろう。掴んだのと逃したのとでは今後の運命がガラリと変わってしまう。


「やれることは全部やりたい」


「気持ちはわかるけど……」


 無理はしないでほしい。


「なんでよ。応援してくんないの?」

「してるじゃん」

「ふーん。本音では俺とより佳乃さんと二号店やりたいわけ?」


 む。小野寺くん。


「そんなこと言ってない」

「あーそう。おまえにとっちゃあの人の方が俺より頼りになるってわけか。歴も長いし女同士で分かり合えるし」


「そんなこと言ってないってば」


「はー。あんみつは気楽でいいよな。争う相手もいないし最初から二号店確定してんだから」


 あ。そんなこと言っちゃうんだね。


「食った。帰って」

「小野寺くん」

「見届けたろ。帰れよ」


 手を洗ってまた作業に戻る。目線は作業台に向けたままで、彼は言う。


「これ以上いても八つ当たりされるだけだよ」


 うん。そうだね。八つ当たりだねこれ。わかってる。だけどなんだろう、このままこの人をひとり残して帰ることを、したくなかった。


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