第2話 先約う?

「私ね。お店やりたいの。いつか、家族で。でも私たち、夫婦揃ってパティシエじゃん? だから出来れば売り場そとは誰か別の人に任せたいのよ」


「なるほど……」


「それで。アルバイトとかじゃなくてそこそこ経験のある人に社員さんとしてやってもらいたいの。言わば『ヴァンドゥーズちょう』っていうか」


「ヴァンドゥーズ長」

 かっこいい、というかなんだか強そうな響き。


「そう。ね、どう? あんみつちゃん。売り場の『総責任者』ってわけ。いい経験になりそうでしょ?」


 たしかにいい経験になりそう。だけど……。


「まああと四、五年したらってとこかな? 私ももう少しいろいろ経験したいし、子どもももう少し手が離れれば、それこそ私もコンテストに出たりもできるだろうし」


 お店は隣の市で考えてて──と話は続いたけれど私は全然集中できずにいた。ごめんなさい、佳乃さん。すごく魅力的な話なんですけど……。そのお話、受けるわけにはいかないんです。


 厳密に言うと『彼』とはちゃんと約束しているわけではないけれど、それでも黙ってこんなのは気が引けるというか。


「……ん、どうかした?」


「……うう。ごめんなさい、佳乃さん」


 なんと言えばいいのかな。もう正直に言うしかないか。



「──ええ? 先約う?」


 とてもがっかりしてもらえるのは嬉しいけど複雑な心境だった。


「しかも小野寺? もー、なによあいつぅっ」


「そ、そんな言い方」あはは、と苦笑いを向けるとご立腹なお姉さんは「だって」と可愛く口を尖らせた。


「まああいつが開業するより絶対私のが先だもんね。そしたら早い者勝ちでしょ?」


「えっ、そんな。それじゃなんだか裏切りみたいじゃないですか」


「えー、だめ?」

「うーん……」


 こうなれば方法は。


「いいや。直接交渉する!」


 むう。やはりそうなりますか……。


「うう、ケンカしないでくださいね」


「あっはは! 大丈夫。しないしない」


 手をひらひら振って明るく言うけど、これは絶対に波乱の予感だと思う。ひいい、ごめんなさい。いや私は悪くないと思うんだけど、ええっと、どうしてこうなったの? あーん、こんなはずでは。




「小野寺くん。今夜ひま?」


 フットワークが超軽やかなのが佳乃さんの長所。帰りのロッカー室でいきなりそう声を掛けるので私は小さく飛び上がった。


「……はあ? なに企んでんすか」


「あっはは! 企んでなんかないけど」


「お子さん待ってんじゃないんすか」

「大丈夫。パパがいるから」

「なんか用すか」

「うん。用」


 じ、と見つめ合っていた。ひいい、わ、私はどうすれば!? と、とにかく二人を二人きりにしちゃいけない、とは強く感じた。


「……おごりなら」

「ぷふ。おごるおごる」


「よ、佳乃さん」

 服の裾をきゅ、と掴まえた。


「あれ。もうー、心配性だなぁ。あんみつちゃんも来る?」


 もちろんです。こくり、と頷いた。




 お店の近くの居酒屋さん。お仕事上がりに「どこか」と言えば、いつしかここが定番になっていた。


 お酒とおつまみと、サラダ、軽食を頼んでグラスが届くと「おつかれ!」と佳乃さんの掛け声のもと宙で各々の飲み物を寄せ合った。


 パティシエさんってお酒が強いイメージ。これまで会ったみんなお酒好きな人たちだったから。


 小野寺くんも佳乃さんも例外なく。

「もう一杯頼んでいい?」

「俺もいいすか」

 うわあ、ペースが早いってば!


「はん? ちょっと小野寺くん。おごりだからってペース飛ばさないでよね?」


「たまになんだからケチケチしないでくださいよ。那須先輩が結構稼いでんの知ってますよ」


「あ。知ってる。あんたたちたまに二人で飲みに行ってんでしょ?」


 どうせ揃って私の悪口言ってんでしょー? と目を細める。小野寺くんは否定はせずに「はは」と短く笑っただけだった。


 一方で私はお酒はそんなに強くはない。好きではあるけど。


 ハイペースな二人を眺めながら今日もマイペースに甘いやつをちびちびやっていた。


「じゃあ破産したくないからさっさと本題いくね」


 佳乃さんがそう言うのでタラモサラダへと伸びていた私の箸はピタリと止まる。


「単刀直入に言うけど」


 どきん。


「あんみつちゃんを諦めてくんない?」



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