第2話 思わぬ誘い
日にちは夏真っ盛りの八月。それなりにお店も賑わったお盆の翌週、またすっかり忘れられたように店内が静かになった平日の二日間。
参加は自由。だけど
「新入社員の二人は絶対参加ね♡」
とのことで。
そんなわけで、参加者はシェフ、ゆうこさん、那須さんは家族サービスのためパスで、タケコさん、小野寺さんと私。それとアルバイトのせりなちゃんも「えー、行く行く! たのしそう~♡」と参加することに。総勢六名。
ちなみにシェフの娘さん三人は今回の旅行に大賛成で「いいじゃん! ゆっくりしておいで!」と快く送り出してくれたんだそう。母の日の件といい、本当にいい娘さんたちだなぁ。
「……はーあ」
「……なんですか」
「べつに」
こっちだって盛大にため息をつきたい気分だよ、と心の中だけで毒づく。
二人掛けの電車の座席。ゆうこさんの隣をシェフに、タケコさんの隣をせりなちゃんに取られてしまった私は、仕方なく小野寺さんの隣に居心地悪く座っていた。
「シェフと席代わってもらいましょうか?」
「べつにいい」
「だってさっきから」
「いいってば」
「……もう。なら嫌そうにしないでくれます?」
「してないし」
言ってまた「はーあ」と言うから舌打ちのひとつもしたくなる。もちろん心の中でだけど。
「小野寺さんって温泉とか行くんですか」
黙ったままなのも気まずいのでそんな当たり障りのない話題を振ってみた。
「ほぼ初めて」
まあそうだろうね、と思うけど「そうですか」とだけ返す。
「あんたは好きそうだな」
ん。意外な返しがきた。
「好きですけど、そんなに経験はないです。家族で何回かと、友達と卒業旅行でこの三月に」
「行きまくりじゃん」
「そうですかね」
あ、しまった。この返しじゃ話題が途切れるな、と言ってから慌てる。もう、なんで私が気を揉まないといけないの。
話題探しにちらりと隣の男の姿を見る。普段見慣れている制服以外の服装というのは印象が変わってなんだか気持ちがそわそわしていた。
完璧男小野寺さんはどんな私服で来るのかと思ったけど、それは普段の通勤の格好と変わりない無難な黒無地の上下だった。髪型も決めてくるどころか普段より手抜きというか、総じてまるで部屋着のような気の抜けた出で立ち。
「た、楽しみですよね。地鶏が有名だとかって」
「へー」
「温泉も、肩こり・腰痛・神経痛、それから──「興味ない」
く、こいつは。人が気をつかってがんばって話しかけてるっていうのに。
「ケーキ屋ある? 宿の近く」
「え。どうだろ」
慌てて地図アプリを開いたけど「ああ、自分でやるからいい」と言われてしまった。
「旅先でもケーキ屋行くんですか?」
従業員旅行って仕事を忘れて疲れを癒すものでは?
「当然。またとないチャンスっしょ」
「はあ」
わかってはいたけど、この人かなりのケーキ馬鹿だな、と再認識した。
「付き合ってよ」
「……は?」
一瞬耳を疑った。え、なに? 今なんか言った?
「だから、付き合って」
「え?」
「ケーキ屋めぐり。思ったより数ありそうだから」
あ、ああ! なるほど、そっちの「付き合って」ですね、は、はあ、そう、そうですよね。おお、びっくりした。
「一店舗で最低三個は買いたいから、ひとりだとさすがに一日二店舗が限界。でも二人でなら三か四は行けるっしょ」
四……ってケーキ十二個!? ひとりあたり六個!? そんなことしたらせっかくの地鶏が食べられなくなるよっ!
「や、私そんなに食べられないですよ!? どうせならタケコさんやせりなちゃんも誘いません?」
気まずさも軽減するし!
「却下」
「え、なんで」
「女子が多いと動きがとろくなる。選ぶのも迷って結局買いすぎて食い切れなくなったり、時間もかかってあとの店に行けなくなる」
ははん、経験者だなこりゃ。
「ならシェフと回ったらどうですか」
私よりたくさん食べれるだろうし、もちろん知識も豊富だし。
「今更ケーキ屋めぐりなんてやるわけないっしょ、あの仕事嫌いの人が」
「そ、そうですか?」
「あんたしかいないわけ」
消去法なのかご指名なのか、よくわからないけどどうやら逃げられないらしい。
「……わかりました。でも小野寺さんおごってくださいね」
こういうことはちゃっかりしている女なのよ。
「はあ? なんでだよ」
「誘ったのはそっちでしょ?」
「同期だろうが」
「年上ですよね」
ぎり、と睨み合う。負けないですよ、この旅行費で今月は結構ピンチなんだから。まあそれは小野寺さんも同じでしょうけど。
「べつに私は行けなくても構わないです。小野寺さんひとりで回ったらどうですか」
「はー。チャンスをものにしない奴な」
「……な?」
なんですと?
「あんた、
「……」
かっちーん。
「せっかく勉強に誘って貰えたのに参考書や文房具の用意がないなら行かないって? 馬鹿だろおまえ」
なにその例えは。あとおまえって言うな。
「誘ってやったんだからこっちがおごって欲しいくらいだ」
「それはさすがにおかしいでしょ」
堪らずそう返すと「ふん」と鼻を鳴らした。もう、困った人だなぁ。
「わかりましたよ。じゃあ恨みっこなしできっかり半分に割りましょう。一円単位まで」
こうなったらこっちも意地だ。
「望むところだ」
この辺りでもう、なんとなくわかってきた。この小野寺
でもこんなのは、まだほんの序の口。この旅行で私はそれを身をもって実感することとなるわけだった。
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