第3話 一店目

「じゃあ晩ごはんまで自由時間ということで。各自のんびりやりましょ」


 駅前で軽くランチを済ませて送迎バスで旅館に着くと、ロビーでゆうこさんがぽん、と手を打ちながらそう言った。その表情は満面の笑み。今日は一際ひときわ肌ツヤもいい気がする。効能? まだ入浴前のはずだけど。


「あんみつちゃーん♡ お買い物行こうよ、タケコさんもっ」


 そう言ってきたのはこちらも一際ひときわお洒落をした女子大生のせりなちゃん。本当はぜひともご一緒したいけど「ああ、えっと」と断り文句を探す。あーあ、絶対こっちの方が楽しいのに。


「ごめんなさい、先約があって……」


「え?」


 せりなちゃんとタケコさんはキョトンと顔を見合わせた。「先約……?」


 ちら、と小野寺さんの方を見ると「いくぞ」とジェスチャーが来た。一秒すらも惜しいらしい。まったく……。


「え? え? あんみつちゃん!?」


 騒ぐのは恋バナ大好きなせりなちゃん。ああもう、違うのにっ!


「違いますよっ!」

「え、でも二人で、でしょ!?」

「最近仲良いもんねぇ」

「タケコさんまで! 違いますってば」

「やだ、隠さなくてもいいじゃない、ね、いつから?」

「だから────「遅すぎ。行くぞ」


 ぐい、と腕を大きな手に掴まれた。そのまま引きずられるようにしてバタバタと旅館を出る。後ろから悲鳴にも似た女子たちの声が聞こえていたけどもはや否定も届かない。


「痛い痛い、もう、痛いですよっ」


「これだから女は」

「あ、差別発言」

「ほんとのことだろ」

「変な噂になったらどうしてくれるんですか」

「はあ?」

「せりなちゃん、絶対そうだと思ってますよ」

「『そう』って?」


 なに、鈍いの?


「付き合ってると思われてるってこと!」


「は。なんでそーなる」

「なりますよ! 旅先で二人きりだなんて」

「ふうん。困るの?」

「困りますよ、だってほんとはそうじゃないし」

「ほんとはそうじゃないんだし、べつにどうでも良くね?」

「あーもう。もう、いい、です!」


 く。なんなんだ小野寺。そういえば職場以外でこんな風に話すのは初めてかもしれない。仕事と関係ない話というのも。


「小野寺さんって」

「なに」

「彼女いないでしょ」


 絶対そうだと自信があった。今日のこの数時間一緒に過ごしただけで、私がどれだけ大変だったことか。


「いたことはある」

「えっ! あるんだ」

「失礼だな」

「過去何人くらい?」

「さあ。数えてないし」


 うわ。これは長続きしないパターンのやつね。そうだよね、この顔にこの身長だもん。見た目で付き合って大怪我、ってこと? ひー。


「なに。付き合いたいの?」

「まさか」

 死んでもいやだ。


 本心で断ると相手は案外「はは」と明るく笑った。


「大丈夫。全然タイプじゃないし」

「そういう傷つけ方やめてくれません?」


 言い合ううちに一軒目のケーキ屋さんに到着した。


 温泉街の一角。店舗自体は古く、老舗の雰囲気が出ている。温泉街のためか駐車場はほぼなく、店舗だけが、どどん! とある印象。老舗感のある店舗に対して看板だけは新しいのか青色で都会的。フランス語で洋菓子店を意味する〈 Pâtisserieパティスリー〉とある。それが若干ちぐはぐな雰囲気もありつつ、含めて老舗感があるような気もした。


「ここ、もとは和菓子店だったらしいんだよね」


「あ、なるほど」


 通りで看板だけが真新しく目立っていたのか。言われてから改めて見るとたしかに和菓子店の雰囲気がいたるところに残っている。


「ずっと和洋菓子でやってたんだけど、六年くらい前に息子が継いで、完全に洋菓子店になったらしい」


「よく知ってますねぇ」

「予習は基本」

「……勉強になります」


 わざとらしく敬うと「心込もってな」と言われた。はい。込めてません。


 自動ドアをくぐるとチリンチリンと鈴が鳴った。「いらっしゃいませぇー」と店の奥から男性の声が聞こえる。


 店内はそれほど広くはなくて冷房が効いていた。灼熱の昼の外を歩いてきた身としてこれはありがたい。


 店内を見回してみる。焼き菓子は箱詰めの大小のみでバラ売りは無し。ラッピングは凝ったものはなくよく言えばシンプル、悪く言えば……ケーキ屋としては少し寂しい印象だった。プライスカードや棚を見ると、そこが紅白饅頭や仏用カステラの売り場だったことがひと目でわかる。


 ボーン、ボーンと壁の振り子時計が突然鳴って一瞬飛び跳ねた。時刻は二時らしい。


「注文お願いします」


 そうしている間に小野寺さんがそう声を掛けていた。せっかちだな、もう。


「はいはい、ちょっと待ってくださいねぇ」


 奥から男性の声がする。ちらと覗くとなにかの作業中らしい。この人、シェフ? ひとりしかいないのか。販売員さんの姿はどこにもなかった。


 少し待って、ようやく声の主がショーケースの向こうに現れた。中年くらいのメガネのおじさん。「いやいや、お待たせしてすみません」とエプロンのポケットからいそいそと注文票とペンを取り出す。


「おひとりでなさってるんですか?」


 小野寺さんが訊ねる。口調が私と話す時と違い過ぎることに関しては今は黙っておいてやる。


「ああ、そうなんです。ほんとはいつも妻が売り場にいるんですけどねぇ」


「夏休みかなにかで?」


「いえ……はは、つい先日、逃げられまして」


「え!」

 声を上げてしまったのは私です。すみません。


「まあ、人生いろいろです。ケーキもいろいろですので、どうぞ」


 上手いこと言ったのかもしれないけどもはや心配になってしまって気持ちがケーキに向かない。そんな私をよそに小野寺さんは「ほんと豊富ですね」とケーキを観察していた。


 定番の苺ショートと、変わり種でイチオシだというシナモンのムース、それとお店によって特徴が出るというチーズケーキを選んだ。小野寺さんが。


 しっかりレシートをもらってお支払い。精算は後日という話になっているのでこの場ではスムーズに格好がつく。


「お身体大切になさってくださいね」


 そんな声を掛けて店をあとにした。




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