第2章 暇な夏の日は従業員旅行で夢色温泉パラダイス……のはずが?

第1話 ことのはじまり


「はぁん、暑ーい。もう、暑い。暑い。暑い。暑」「ゆうこさん!」


「なにー? 暑い」

「言っても涼しくはなりませんよ」


 蝉のやかましい真夏の日。こういう日はお客様もとっても少ない。ケーキというのは要冷品でも暑苦しいものらしい。


 こうなると暇なゆうこさんの愚痴は止まらなくなってしまう。


「わかってるってばー。でも暑いじゃない。暑いの嫌い。苦手。もうやだあんみつちゃん。とろけそう。私もショーケースに入りたい」


「ショーケースは無理かもですけど、冷蔵室なら入れますよ」


 厨房にはウォークインクローゼットならぬ、ウォークイン冷蔵庫があるから。


「あん、それやったのよね、去年。そしたらシェフに邪魔だってすんごく怒られてさー」


「あはは……」


「でも厨房はエアコン効いてるから、なるべくそっちの方に避難したいよね」


「ですね」


 要冷蔵のケーキを扱う厨房はたしかに涼しい。比べて売り場は節電で外よりはマシという程度なんだ。


 そんな暇で暑い中でも文句ひとつ言わずにさっきからそこの箱詰めカウンターの隅で開いた太いファイルとノートパソコンを交互に見つめ続ける男がひとり。


「ゆうこさん、小野寺さんあれなにしてるんですか?」


「ああ、原価とか原価率の計算」


「……なんですかそれ」


「ヴァンドゥーズの仕事っていうより経営者の仕事なんだけどね。暇だしやりたいって言うから」


 原価。つまりは材料費だとかその商品を作る上でかかるお金のこと。そして原価率とは販売価格に対する原価の割合で、原価÷販売価格×百で求められ、低いほど利益が上がる。基準は三十パーセント程度とされるが業種により異なる。またケーキ店の場合は廃棄率なども考慮しなければならず────ぼかん。あんみつオーバーヒート。


「あはは。まああんみつちゃんはやる必要ないから。それにしてもこの暑い中小難しい計算なんてねぇ。ヘンタイよね、もはや」


「いや……ほんとすごいですよね、小野寺さんって。仕事全部完璧で」


 隙なんか一個もないもん。その上で顔も良し、スタイルも良し。性格は……あれだけど。


「専門学校でもトップの成績だったらしいね」


「うわお」

 やっぱり。格が違うわけだ。


「でも人間だもん。なにもかも完璧ってことはないでしょう?」


「え……?」


 完璧じゃない部分? それは、シェフが前に言っていたこと──「シェフが言うのとは別でよ」


 私の心を読んでかゆうこさんはそう言って笑った。


「あんみつちゃんは知らないのね」


 くく、といたずらっぽく更に笑うと、そのまま「そうだ!」と瞳を大きくして嬉しそうに手を打った。


 途端に急いだ様子で厨房に向かうと「シェフぅ!」と興奮そのまま声を張る。



「夏休みに温泉旅行やりましょう! みんなで!」



 え。……え!?


 こうして急きょ、〈洋菓子店シャンティ・フレーズ〉の夏の従業員一泊温泉旅行が敢行される運びとなりました!



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