第4話 緊急事態

「まだ間に合いますか!?」


 疲労の重さを全身で感じ始めた閉店間際、ひとりのスーツ姿の男性が叫ぶようにそう言いながら駆け込んできた。


「あ……ええと」


 無情にもショーケースの中は空っぽ。今年の母の日はついさきほどご来店されたふくふくした体型の素敵アイシャドウマダムがご自身へのご褒美にとショーケースに残っていた全てのケーキをお買い上げになり完売となったところだった。


「なんでも……っていうのもなんですけど、なんでもいいので何かないですか!?」


 その切羽詰まった様子に目をぱちくりさせてしまった。なんでも……と言われましても。


「焼き菓子でしたら」

「ケーキがいいんです……」


「し、少々お待ちください。確認して参ります」


 ぺこりと一礼して厨房へ向かおうとすると、通りがけに小野寺さんが苦い顔をした。


「たぶん無理。もうやる気ないよあの人たち」


 私にしか聞こえないくらいの声でそう話した。『あの人』って、シェフのことそんな風に呼べるのゆうこさんとあなたくらいですよ。前から思ってたけど小野寺さんって、結構な狂犬タイプ?


 構わず厨房へと進んだ。するとそこは小野寺さんの言う通り、すっかりすっきりピッカピカに片付いていて『終了!』の文字が浮かんで見えていた。


 そしてまずシェフの姿がない。その上シェフの次に頼りになるはずのパティシエの那須なすさんが素敵なTシャツ姿で帰り支度を整えていたところだった。


「えっ、那須さん、もう帰るんですか!?」


 私が驚きながら訊ねると那須さんはいつも通り爽やかに「おつかれ! あんみつ姫!」と片手を挙げてそのまま出ていこうとする。


「ちょちょ、ちょと待って那須さん! シェフ、シェフどこです!?」


 慌てて那須さんと出口の間にするりと身をねじ込んだ。


「はあ? とっくに帰ったよ。今夜は盛大に母の日パーティーでもすんのかね? いいよなぁ、娘さんたちがメシ調達してくれんだから。うちなんてこれから俺が買い出しよ。何買やいいんだ? 鶏かな? あえず。ったは!」


 これで25歳だから『精神年齢』という言葉があるのかもしれない。ちなみに那須さんは新婚の既婚者で0歳児のお父さん。大黒柱なのです。


「そんなことより! お客様がいらしてて!」


「はあ? 完売閉店したんじゃなかったの」


「なんでもいいから売ってほしいって」

「えー。焼き菓子じゃだめ?」

「生ケーキです」

「むりむり。断って」

「そこをなんとか!」

「断ることも販売員の仕事でしょうに」

「そんなあ」


「とにかく俺はもう上がりなんでね。あとはあんみつ姫と小野寺くんで仲良くよろしく」


 にっと笑うと私の横を軽やかにすり抜けて外へ出ていってしまった。もう。


 となれば頼みの綱は……。


「わ、私は無理だよ!? 簡単な仕込みしか教わってないし!」


 ばち、と目が合ったタケコさんがふるふると首を横に振る。震えるように小刻みに。


 ですよね……。仕方ない。今回ばかりは。


「お断り……してきます」


 力なくそう言って売り場に足を向けた時だった。ばーん! と小野寺さんが登場したかと思うと、じゃぶじゃぶとその手を洗い、そのまま冷蔵室へ行って明日用のスポンジ生地を取り出してきた。


「ちょ……なにするつもり?」


 タケコさんがおずおずと訊ねると小野寺さんはさも『愚問』と憤るように視線を返した。


「ケーキ作ります」



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