5  シャドウ・ビジネス

 ひなたがシュシュを外しながらサッと立ち上がる。同じタイミングで、観葉植物を回り込んで男が姿を現し、いきなり大声をあげる。


「この馬鹿タレが!」

怒鳴る男、ひなたは縮こまり、驚いた雷雅らいがが目を丸くして男を見上げる。


「なんのために情報流したと思ってんだ? なんで公園に来なかった?」

「コーちゃん、怒んないで。行ったには行ったんよ」

おどおどとした声音、青ざめた顔、さっきまでのひなたとは別人だ。


「じゃあ、なんであんな小物を取り逃がす? やる気あんのかテメエ?」

すぐ横に座っている雷雅には、男の手が怒りで震えているのが判る。まさか神影さんを殴るつもりか? 思わず緊張する雷雅だ。その時はやっぱり、僕は止めに入るべきだよね?


 青っぽいグレイのちょっと草臥くたびれたスーツ、ゆるめたネクタイはよれよれ、年は幾つだろう、30手前くらい? なんてことを雷雅が考えていると、ひなたを睨みつけて怒鳴っていた男が不意に視線を雷雅に向けた。やっと雷雅がそこに座っているのに気が付いたのだ。


「なんだ、おまえ?」

「あ、いや、その……」

「コーちゃん、その子は――」


ひなたが説明しようとするのを、手をげて男が制する。そしてその手を雷雅に向けるとてのひらを広げ、上から下へと撫でるように移動させた。


「ふぅん……暁月あかつき雷雅、16歳。美立山みたてやま高校1年。学業成績は悪くない。公園でさい厄魂やくこんに襲われそうになったところをひなたに助けられ、ここに連れてこられた。ひなたとの契約を迷っている。戸籍上に父親ナシ、母親は父親と別の男と結婚し、の一族から除名、その後、離婚――」

「な、な?」

 こいつも影と話しているのか?


「父親も陽の一族――おい、雷雅とやら、おまえの父親は誰だ?」

「え?」


「ふん、知らないか――母親は美立山病院か」

「ちょ! ちょっと待て」

勢い込んで雷雅が立ち上がる。


「母に何する気だ?」

「おまえの父親の素性を聞くだけだ。何か問題でも?」

馬鹿にしたように男が答える。そこにひなたが割り込んだ。

「もう聞いた――判らないらしいよ。この子の父親が母親に名乗ってた名前は別人のものだったんだって」

「うん?」


男がひなたを見、ひなたが雷雅をチラリと見た。雷雅にとっても初耳の情報に、どうやらひなたは同情したようだ。雷雅もこんな状況でなければ、今、聞いた話を追求しただろう。でも、気圧けおされてそれができない。それよりも、こんなヤツに聞かされるより、母さんから直接聞きたい――


「陽の一族で間違いはない。うん、あかつきの家の者だ。が、個人を特定できる情報が消去されている。その男の仕業だな――誰だ? こんな高度な能力を持つ陽の一族、名を隠した理由とともに調べ、存命ならすぐにでも引き込む必要がある、少なくとも災厄魂に取り込まれるのは拙い」


「コーちゃん、それ以上は後にしよう」

「フン、この子に同情したか、ひなた? 珍しいな――まぁ、いい。陽の一族が手に入ったなら、予定していた災厄魂は山陰やまかげに取られたところで惜しくない。いやだと言ってももう処理済み、あんな小物で申し訳ないくらいだ。ま、おまえの失態は大目に見てやる」


「でしょ? もう怒らない?」

「だが、次はないからな。そう簡単に陽の一族がそこら辺に転がっている訳もなし。抜かるんじゃないぞ」


 態度が豹変したひなたに呆れる雷雅、いや、それ以上に、自分では考えたこともない母親と父親の関係を今日、会ったばかりの二人が注目していることに混乱する。


 それにしてもこの男、神影みかげひなたも高慢だが、その何倍も上を行く。しかもひなたもどうやら頭が上がらないようだ。


「あぁ、今日のところは許してやる――が、この小僧、まだまだ子どもだな。契約は必ず取れ、でも狩りに連れていくなよ」

「判ってるって。シャドウ・ビジネスの手伝いさせとく」


 ビクビクしていたひなたがホッとしているのが雷雅にも判る。ひなたは相当この男を恐れているようだ。

「そうか……そうだな、その程度なら問題ない。好きにしろ」


 男がもう一度雷雅に視線を向ける。そして、雷雅の肩を引き寄せると耳元で、小さいが物凄く威圧感のある声で言った。

「変な気、起こすんじゃねぇぞ」

そして軽く雷雅を突き放すと、観葉植物を回り込んでカウンターのほうに向かった。『変な気』ってどういう意味だ? 訳の分からない事ばかりにうんざりしながら雷雅は男の後ろ姿を見送った。


「コーちゃん!」

ひなたが男を追ってカウンターのほうへ行く。


「お疲れさまでした」

 マスターの声がし、少し間をおいて

うるさい、まとわりつくな!」

と、男の怒鳴り声、

「コーちゃん、もう行っちゃうの?」

これはひなたの声、泣き出しそうだ。すぐにチリンとドアベルの音がした。


 しばらく誰の声も、何の音もしない。


「お嬢さま、コーヒーフロートでもお出ししましょうか? チーズケーキもございますよ」

 穏やかなマスターの声に、

「うん……それじゃあ、クリームソーダ頂戴――2つね」

ひなたが答え、雷雅は音をたてないように気を付けて椅子に座った。なんだかひなたが可哀そうだった。あの男に相手にされていない? そんな感じがした。


 ほどなくひなたがクリームソーダを持って、席に戻ってくる。ソフトクリームを使ったクリームソーダだ。サクランボは見えない。


 雷雅の前にソーダを一つ置いてから、ひなたが自分のソーダのストローを口に持っていく。ミントグリーンの液体が透明なストローに吸い上げられ、ひなたの口の中へと消えた。


「あの男はわたしの夫、神影家の次期当主、神影 煌一こういち。いずれ影の一族の頭領となる男」

そう言ってから、ひなたがクスッと笑った。


「ライガ、びっくりした? あの男、怒ると恐ろしいのだ。店に入ってきたときの様子で、怒っているのは判ったからな。マジ、焦った」

「いや、だって……」


旦那さんなんでしょう? と言おうと思って雷雅は別の言葉に変えた。

「僕を助けたから怒られた?」

「やっぱりおまえは馬鹿か? 話を聞いていなかったのか? おまえを助けたことで煌一の機嫌が直ったのが判らなかったか?」

 なんだ、元の神影さんに戻ってる、そう思って少しだけ雷雅が安心する。


「それにしても、あの人は僕の影と話したってわけじゃなさそうですね」

「うん、煌一、ライガの影をスキャンした」


「影をスキャン?」

「わたしにはない能力、一族の中でも特殊な能力だ。影をスキャンすると本人さえ知らない情報まで読み取れる。本人や影が嘘をこうとしても無理だ――そもそも影は本体を映す鏡のようなものだからな。影を読み取れば、本人が判る」


「僕の父親のことを話してましたね」

「……嫌な話を聞かせた。煌一、めっちゃドライだから。あれはあれでいい所もあるんだけど。今回は許してくれ」

「いえ……」


何と答えていいか判らない雷雅だ。代わりに

「そういえば、シャドウ・ビジネスって?」

と、聞いてみた。狩りには行かせるな、と言った煌一にひなたが言った言葉だ。


「あぁ……」

と、ひなたが雷雅を見て、食べないとソフトクリームが融けちゃうぞ、と笑った。

「シャドウ・ビジネスって言うのはね――」


 影って言うのは大抵の場合、本人よりも優秀なことが多い。忍耐力や柔軟性で、本人に劣る影はまずない。


「文句を言う影とか、映り込む場所の形に逆らう影なんて見たことないだろう? そして常に本人に忠実で離れることもない」

「え? 神影さん、影、勝手に動いてましたよね?」


「それはわたしが能力を使ったからだ――てか、神影さんじゃなく、ひなた、でいい」

「じゃあ、ひなた」

「呼び捨てしていいとは言ってない」

「はい、すいません」


「それで、だ――今、ライガが言ったように、能力を使えば影を自由に動かすことができる。本体が勉強している間、影が別の勉強をしたらどうなると思う?」

「え……影の頭が良くなる?」


「フン――本体のもとに、影が新たな知識をもたらす。効率よく勉強ができる」

「あ、それでひなたさん、司法試験?」

ひなたがニヤリとする。


「司法試験に限らない。わたしの幼少期からの勉強法だ――それと、影は別人のものをつけることもできる」

「別人のもの?」


「優秀な人物の影をさらってきて、クライアントの影にしてしまう。するとクライアントは優秀な影の恩恵を受けられる」

「それでそのクライアントの影をもとの人に移す?」

「そんな面倒なことはしない、2つの影を融合させるほうが簡単だ―― 影は盗まれても、しばらくすれば新たに発生する。最初は薄いがだんだん通常に戻る。たまに戻らないのもいて、よく『影が薄い人』とかって言われるのがそれだ」


「なんか、騙されてる気がするのは、僕の考えすぎですか?」

「判っているなら聞くな」

「それ以前に、影を盗むって犯罪なんじゃ?」


 フフン、とひなたが鼻で笑う。

「ライガ、影を盗んだって、本人は気が付かない」

「でも、窃盗になるんじゃ?」


「影を盗んだって、どうやって検察は証明するんだ? そもそも影を取り締まる法律なんかないんだよ、ライガ」

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