最終話 私は幸せです!
電気代もバカにならない。
六月に比べ七月、七月に比べ八月とどんどん高くなる。なるべく一つの部屋に集めたいが、どうしても五人の子どものために子ども部屋が二つは要る。型落ちのにしたいが電気代はむしろ高くなる、まったく悩ましい。
「お母さんも付けなよ」
「私は扇風機があるからいいの」
子ども部屋から流れて来る冷気だけでそれなりには涼しくなれる。暑くなったらどんどんスポーツドリンクを飲んだり飲ませたりさせ、それで汗を掻いたらどんどん下着も取り返させる。幸い、バーゲンセールで安いのがたんと手に入ったので気にする事もあるまい………と思っているとなんだこの天気予報は。
これから一週間、真夏日は一日しかないじゃないか。それも最高気温30℃、最低気温23℃。それでもまだいつ戻って来るとも限らないから油断はならないが。
「今日はスポーツドリンクが安いから買って来るよ」
「お母さん、お菓子はポテトチップス以外がいいよー」
「ダメよ、安いしそれに塩分もたくさん入ってるから」
熱中症には塩が重要であると聞いてから、この前のマドレーヌを除いてアイスクリームでない甘いおやつ(チョコレートとか)はほとんど与えていない。
「私も行くから買ってー」
「しょうがないな、でもちゃんとスポーツドリンク飲みなさいね」
「はーい」
今日はちょうど同窓会の日だった。でも、私にはこの子たちの方が優先だ。浅野さんは今頃、同窓生たちと会っているのだろうか。話ぐらいは聞かせて欲しい。夜になったら電話でもしようか。
「えっと今日はほうれん草と豚肉とチーズが安かったのよね、あと…ああアイスが安かったんだ!」
「じゃアイスクリーム!」
「ダメだよ、お前が持つと振り回して壊すから」
「アイスは私が持つから、萌は野菜をお願いね。かなたはとりあえずチーズ。それで一朗と雄三はひろみをお願いね」
「はーい!」
義母が子どもたちに家事を教えるようになってから、もう数日が経つ。どうやらまずは危ない物を使うお料理より洗濯など布類がらみが優先らしく、おしめを換えたり洗濯物を畳んだりしまったりするのはある程度できるようになっている。次は洗濯機を使えるようになったり洗濯物を干したりできるようになったりさせるのが義母のやり方らしい。
「えーとこれとこれと…」
チラシを横目で見ながら、買うべき物をカゴに入れて行く。カートは、余分な物を買わないために今日は使わない。
「こらこら、今日はアイスだけって言ったでしょ」
「おねえちゃんポテトチップいがいがたべたいっていったのに!」
「だからアイスにしたの!」
萌はかなたを、姉らしくリードしている。二年前に萌のために買ってやった服に袖を通しながら、いずれ自分が着る事になるだろう服をにらみながらかなたは歩いている。これがひろみにまで受け継がれるのかどうかはわからない。出来る事なら受け継がれて欲しいが、多分持たないだろう。それはそれで宿命として、天寿を全うするまでは生きていて欲しい。
「2045円になります」
店員である奥田さんの顔は、相変わらず店員の顔だった。私と言う客をただ客として見つめ、客として処理している。そこに、この前まで存在していた緑色の光はない。なぜあんな目をしていたのか、自分で自分の顔と言うのもわかりにくい物だが、他人の顔と言うのはもっとわかりにくい。勝手にあれこれと推測して、本音と違うメッセージを読み取ってしまう可能性もある。あの緑色の目はカラーコンタクトだったのだろうか。私は服の色にこだわりもないが、一応夏場は寒色冬場は暖色ぐらいの使い分けはできる範囲の服は持っている。奥田さんや牛沢さんが、なぜ緑色の服ばかり着ていたのだろうと思ったけど、なんだ夏場にふさわしい涼しい色合いじゃないか。何も気にする事はないだろう。
「明日はどうするの」
「プール。明日は土曜日だしお父さんも行くんでしょ」
「お父さんと、多分雄三とかなたも一緒かもね」
「お兄ちゃんー」
「お前は宿題を何とかしろ」
八月半ばにして宿題を片付けた一朗はすっかり余裕の表情だ。
一方でおつかいから帰って来て買って来た物を冷蔵庫にしまった萌はそろそろ本気を出さないとまずいとばかりに机に向き合い始めた。この関係性は、去年と何も変わらない。小学生なら一時間百円の市民プールは実に良心的な場所であり、去年の夏休みに一朗が四十日間中十日以上ここに通ったのも納得だろう。もっとも一人で行ったのは三日だけで、夫が一朗と共に雄三やかなたを引き連れて行くケースも多い。私は泳がないし、泳げるかわからない。何より、水着を買うお金がもったいない。十二年前、夫と一緒に旅行に行った時に買ったのが最後だ。上着と違い、こちらは本当に全く使っていない。
「にしても三日前に一人で行った時さ、英一の奴に会ったんだよ。前からツンツンしててやな奴だと思ってたんだけど、それが親切に声をかけてくれたんだよな」
「英一君って、奥田さんとこの子?」
「そう。前は何かやたらと上から目線だったけどさ」
「お兄ちゃんったら、その時も英一くんの言い方は上から目線のまんまだったじゃない、ワンピースのさいしんかん見せたげよかって」
「英一さんって言えよ、年上なんだから」
英一君と一朗が、私と奥田さんの関係と同じようにあまり折り合いが良くない事は知っていた。奥田さんにとって私が嫌悪感を抱く対象だとすれば、子どもにとってもそれは同じだろう。奥田さんが私の事を英一君に何と伝えていたのかはわからないが、子どもってのは思っている以上に親の気持ちがわかる。奥田さんの気持ちは英一君に伝わり、だから奥田さんに気に入られようとしたのだろう。
「あ、そういえばとわちゃんようちえんやめちゃうかもって」
「とわちゃんはやさしい子だったのに」
永遠(とわ)ちゃんはかなたの同級生で、牛沢さんの子どもだ。
義母からの話によれば、牛沢さんは本当に離婚されるらしい。あのかわいそうなほど小さくなっていた旦那さんの怒りは相当であり、牛沢さんにはわずかな手切れ金しか入らないそうだ。永遠ちゃんの親権ももらえないらしい。私だったら絶対に耐えられない話だ。牛沢さんが今後どうなって行くのか、どうにもできないのは正直悔しい。でも、親権が旦那さんの物ならば永遠ちゃんはここに残るだろう。
「大丈夫よ、きっと永遠ちゃんはかなたの事嫌いになんかならないから!雄三、多分永遠ちゃんはお父さんの物だからの大丈夫だよ」
「そう、だよね」
だからかなたと雄三を、それぞれなりのやり方で元気づけてみた。女の子には感情、男の子には理屈で押すのが正解とか聞いた事があるけど、この場合それが正解だったのかどうかはわからない。子育ての正解だなんて、子どもが死ぬまで、いや永遠にわからない。どんなに目先の正解を追い続けた所で、その正解がいつ誤答になって跳ね返って来るかわからない。
牛沢さんだって、もしかしたらこれが幸せな人生への転換点になるのかもしれない。私だって、あの事件がきっかけで人生が悪い方向に行ってしまうかもしれない。いつまで、朝五時半~六時に起き、朝食を作り子どもたちを学校に送り出し昼食を作ったり作らなかったりして、掃除や洗濯買い物をしたりしなかったりしながら夕飯を作り、子どもたちをお風呂に入れて寝かせると言う日々が続くのかわからない。ひろみまで自立して家を離れたら終わるのだろうか。あるいはそれよりもっと前に他の何らかの理由で終わるのだろうか。
もしそうなったら、この前の旅行の時のようになるかもしれない。普段の家事のリズムを取らなくていい事はわかっていたのだが、それでも何をしたらわからなくなり、移動も観光も夫や子どもたちの後を付き従うばかりで、楽しい楽しくない以前に空気に適応できなかった。その点は確かに私の欠陥なのかもしれない。その欠陥を治すのも私のこれからの課題なのだろう。
ともあれ、今日の夕飯は買って来た粉チーズを振りかけた和風スパゲッティだ。と言っても冷凍食品の発展形であるが、だいぶ前に安売りの際に買って来たのを放置しているのに気づいてしまったからだ。許して欲しい。ほうれん草をたくさん食べさせることにより食事のバランスも取れるはずだ。
「いただきまーす!」
六人分の食事を作り終わり、あいさつから食事が始まる。ほうれん草でかさ増ししたようなスパゲッティだが、それでもそんなに評判は悪くない。
「へんわ」
「口に物入れながらしゃべるなよ!」
だが私がスパゲッティを巻こうとすると電話の音が鳴り響いた。私が立ち上がって受話器を耳にやると、浅野さんの声が聞こえて来た。
「浅野さん?」
「ねえちょっと聞いてくれる?奥田さんって知ってる?あなたの知り合いだって言ってるんだけど」
「うん、その人が何か?」
「何でも、見合いをしないかって。そうでなくても結婚相談所に登録してあげるからって、今日ずいぶんと迫られてね」
「浅野さん自身どう思ってるの」
「別にどうとも、あまりにも急すぎてね。何て言うかさ、一刻も早く結婚した私を見たいなって言う感じがにじみ出すぎてね」
奥田さんは、それで幸せなのかもしれない。でもこんな時に、たぶん誰にも言わないでこんな事をやっていていいのだろうか。奥田さんと牛沢さんが、どれだけ親しいのかは知らない。牛沢さんがあの日あの時あの場所にいたのはなぜだろうか。牛沢さんなりに幸せを求めようとしたのかもしれない、と言うよりもそうに決まってるだろう。幸せを求めないで動く人間が世の中にいるのだろうか。
「浅野さん自身で決めるべきだと思うよ、結婚する気があるのならばそれに乗っかっちゃえばいいじゃない」
「それもそうだね。ありがとう、もしかしてお食事中?そんな時間にかけちゃってごめんね」
「いいの、じゃあね」
浅野さんは浅野さんの幸せに向かって進んでいる。私は私で、今現在の幸せのために動いている。
「どうだったの」
「浅野さんから、結婚するかもしれないって」
「そうか!その時はたっぷり祝い返してやらないとな」
夫の声に釣られるように、みんな明るくなった。
一朗や萌、雄三にかなただけでなく、ひろみまで笑ったような気がした。
私にはこの子どもたちの笑い声を、一日でも長く聞く義務と権利がある。
それが私の生活の希望であり、基礎であり、リズムなのだから。
アットホーム・マダム @wizard-T
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